夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 18時半。

 家に帰ってきた。すると急に体の力が抜けて、廊下で寝転がった。アンが心配して駆け寄って来て、慌てて起き上がった。今夜は外食することになったから、晩ご飯の支度がない。初日で出されたお弁当が美味しかったと黒崎に話したら、今夜はガストロノミー・ミュールを予約してくれていた。

「黒崎さん。もうすぐ帰って来るかな?」

 これから帰ると連絡があった。今日は冷え込んでいるから、家へ入ったらすぐに温かいものを飲みたいだろう。黒崎が気に入っている茶葉を使って、緑茶を淹れた。

 すると、門の方向から灯りが漏れてきた。誰かが通り掛かると反応するから、タクシーが停まったのだろう。窓から外を見ると、やっぱりそうだった。

「アン、パパが帰って来たよ~。迎えに行こうね」

 さっそく玄関から出ると、門の向こうに、タクシーのランプが見えた。その後、ドアが閉まる音がした。

 すると、家の門が開かれて、見慣れたコート姿が入ってきた。すでに助走をつけてあるから、黒崎を目標にダイブした。よく見えなかったが、ちゃんと届いたようだ。しっかりと抱きとめてもらえた。

「おかえりーー!」
「ただいま」
「黒崎さーん」
「重いぞ。危ない」
「もっとだよーー」

 背中に両手が回された。ぶら下がるように肩にしがみついて見上げると、笑い声を立てられた。ホッとして、さらにしがみついた。これをやってもらいたい。

「クルクル回ってよー」
「ここでか?危ないから中へ入るぞ」

 引きずられた状態で玄関へ入り、ドアが閉まるのを待たずにキスをした。こめかみや頬へ何度も受け取ったから、くすぐったくなった。こうしたかったと囁かれて、俺も同じだよと答えた。

 リビングへ入った。黒崎のコートを脱がせてソファーの背に置いた。ハンガーに掛けるのは後にする。黒崎から抱き寄せられたからだ。しかし、さっきとは違って、耳元で聞こえた声は、なんだか寂しそうなものだった。

「今日は一緒に帰りたかった」
「黒崎さ~ん……」
「振り返らなかったな。待っていたぞ」
「あのねえ……」
「……寂しい。どこにも行くな」 
「どこにも行かないよ~」
「……行ったじゃないか」
「帰ってきたんだよ?」
「俺は一人で帰って来た」

 さらに抱きしめられたから、黒崎の背中に両手をまわして、ポンポンと叩いた。まだ拗ねているみたいだ。あんなに大人の姿を見たのに、家の中に入ると立場が逆転した。何度も背中をさすって頬へキスをした。

「冬休みに入った。外に出なくていいだろう?」
「黒崎さんと出かけるからさ~。寂しかったのは、俺も同じだよ。家で待っていただろ?同じ場所に帰るんだ。寂しくないよ?」
「ああ……」

 数メートルの距離でも、向かい合って話していてもだ。殺伐とした空気の中では、いつだって黒崎のことを目で追った。しかし、それでは駄目だと、気持ちを引き締めていた。
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