夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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17-1 夏樹の一日

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 4月12日、金曜日。午前6時。

 バレンタインのイベントから二ヶ月が経ち、季節は春を迎えた。すっかり暖かい。この季節が恋しかった。庭の畑のトマトが実をつけ、九条ネギも順調に育っている。この辺りの景色がきれいになった。朝のうちに水やりを済ませて、大学から帰った後で、畑の草を抜く世話をしている。

「あったかいなあ。気持ちいいな~」

 大きく深呼吸をして、両腕を使って体を伸ばした。庭の木々も生き生きとした葉や花を咲かせている。新緑の風が吹き込んできて、いっそう爽やかな気分だ。すると、門の方から黒崎が歩いてきた。アンを左腕に抱き、2つの紙袋を右手に下げている。ご近所さんからのプレゼントだろう。

「黒崎さーん。おかえりー」
「ただいま。ここに居たのか。靴がないから心配したぞ」
「この時間は畑にいるじゃん。ごめんね、心配かけて」

 黒崎がアンを地面に降ろした。この辺りを歩いてくると言っているかのように尻尾をパタパタ振って、俺の近くで歩き出した。ここ数日だ。黒崎にべったりだったのに、俺のそばに居ることが増えた。心配をかけている。もちろん黒崎の方もだ。そっと髪の毛をかき上げられて顔色を見た後、抱き寄せられた。この時間が温かくなって良かったと笑っている。寒さがあるうちは、朝の収穫をやめていた。そして、黒崎が留守の時は、一人で庭にも出ていない。

「体調はどうだ?起きたばかりだ」
「今日もいいよ。トマトを見たら元気になったよ」
「大学まで電車で行ってみるか?久しぶりに」
「うん。今日はラッシュを避けられるし」
「言うことを聞いてもらえてよかった。帰りはタクシーを使え。いいな?」
「うん。そうするよ。朝ごはんを作るよ。手伝ってね~」
「ああ。もちろんだ。……酢味噌和えが食いたい」
「今晩作るよ。俺も食べたくなってきたんだ」

 充実してきた畑を見て笑い合い、家の中へ入って行った。

 俺は先月、庭で倒れて、病院に搬送された。その日から、常に意識して走らないように気をつけている。3月13日の朝のことだ。体力づくりのために、短時間のジョギングを庭でやるようになっていた。必ず黒崎から付き添われている。その後で発声練習をやったところ、急に苦しくなって倒れてしまった。胸の痛みが起きたのかは分からない。

 その日の夕方に目が覚めた。お義父さんと伊吹、沙耶さんが病室に来てくれていた。黒崎はお義父さんからの連絡を受けて、会社から向かっているところだった。先生を呼んで診察を受けた後、黒崎へ電話をかけようとして止められた。そして、ベッドの傍にある表示を見て、違和感を持った。倒れて数時間しか経っていないというのに、3日経っていた。俺の記憶では、倒れたときは3月10日だった。しかし、表示は13日だった。伊吹に聞いてみると、記憶違いだろうと言われた。

(……今日は13日なの?10日じゃないの?)
(13日だ)
(今日はまだ10日だよ。倒れて3日経っているよ。今朝のことじゃないよね?)
(まだ起きばかりだ。混乱しているんだろう。もうすぐ黒崎さんが来るぞ。お兄ちゃんが連絡しておいた)
(待ってよ。今日は10日のはずだよ~。悠人がおばあちゃんのお墓参りに行くから、お土産を買ってきてくれるって話をしたからさ。13日がお墓参りの日だよ?)
(お義父さんに聞いてみよう。……そういう話でしたか?)
(いいや。来週行くと話していたよ。早瀬君の仕事の都合だ)
(お義父さん……。あのラインを見る!沙耶さん、スマホを取ってくれない?)
(電池切れになっているの。充電する心の余裕がなかったから。心配したのよー?)

 そうだろうか?と、半信半疑で壁の時計を見た。今週は好きな番組の”マーリン先生がきた”を見ていない。それを口にした時、黒崎が病室へ入って来た。看護師さんも一緒に。この後でもう一度、主治医の南里先生が来てくれると言っていた。

(黒崎さん。マーリン先生の録画記録を見せてよ。スマホで分かるからさ)
(どうして調べるんだ?)
(10日に見たかどうかを知りたいからだよ)
(今朝倒れて搬送された。……もうすぐ悠人君が来てくれる。夢の話をしてやってくれ。心配している)
(でも……)
(すまない。俺の責任だ。AEDが反応しなくてよかった)
(ごめんね……)

 あれ以上は聞くのをやめた。検査を受けた結果、不整脈が見つかった。しばらく収まっていたのに。普通に生活する分には、大きな影響はない。

 ああいう事が起きたからと、家にあるAEDの台数を増やした。お義父さんの家と我が家の玄関に一台ずつ置いた。もし近所の人が倒れた時に役立つし、これで少し安心できると黒崎が言っていた。
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