夏椿の天使~あの日に出会った旋律

夏目奈緖

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 10月30日、水曜日、午前8時。

 デビューステージ本番だ。これから会場入りする。IKUからの迎えの車に乗り込んだ。18時30分スタートのステージに向けて、最後の練習をするためだ。

 全体を通したリハーサルは昨日終えた。まずまずといったところだと、監督プロデューサーが言っていた。及第点だとも。ハッキリ言ってもらえてありがたい。褒められると気を抜きそうだ。これまでの練習の成果を100%出し切るステージにする。及第点よりも上にいきたい。

 ガーーー。

 後部座席には長谷部さんと悠人が乗っている。佐久弥はすでに会場入りをしている。プロデューサー的な仕事をしているため、今回のステージでの裏方もつとめている。パワフルだと思った。

 今日の観客は500人だ。抽選で選ばれた人達が招待される。佐久弥の人気を思えば、少なすぎる人数だ。もっと大勢のほうが盛り上がるしインパクトがあるのでは?そう思っていた。すると、佐久弥がこう言った。

(……ボーカリストとしての、限界の人数だ)

 そう答えが返ってきた。今の自分では盛り上げることができないと言われた。それは悠人も同じだと。500人でも大したものだと励まされた。いつかもっと大人数を迎えたい。

 車が減速を始めた後、軽い揺れが起きた。スモークガラス窓から見えているのは会場だ。早くも到着したのか。

「夏樹君、悠人君、着いたわよ。降りる準備をしてね」
「はい。えーっと」
「なつきー、深呼吸しろよー。こんなときにレポート課題はやめたら?」
「だって落ち着くんだよ。悠人も同じようなことしてるじゃん」
「これはアルバム編集だから。藍生のベストショット集。機嫌の悪い藍生、おかゆを食べている藍生。お兄ちゃん、がんばるぞ!」
「ゆうとー、デレデレだね~」

 レポート課題のファイルを閉じた。悠人がすっかり”お兄ちゃん”になっている。こういう会話をしていると、まるで大学にいるようだ。

 一週間前から大学へ行っていない。ステージの準備のためだ。ベテルギウスのカバーアルバムの発売と雑誌での告知が同時にあり注目を浴びた。友達は普段と変わらなくて、楽曲を聴いてくれていた。

 佐久弥のファンが大学に訪ねてきたそうだ。10日程前の出来事だった。学生以外の人が多く歩いていた。グループで行動していた人から、絵理奈ちゃんが声をかけられた。

(ここの学生で、ナツキとユートって子、いますよねー?今日は居るの?……分からないですけど……ここって聞いたんですけど……人数が多いから……知らないの?ここじゃないのー?佐久弥はここの大学出身で、学食はーー。……ああ、教務課さんがきました)

 あちこちで増えてきて、教務課の人たちが走ってきたそうだ。数人の警備員も連れていた。大きなもめ事にはならなかった。

 実はもっと前から起きていたそうだ。分からないように、団結して守ってくれていたと知った。大学に来れなくなるかもと思ってのことだ。伊吹の後輩である剣道部員を中心に、俺たちはガードされていた。

 IKU側から大学へデビューすることを説明していたため、問題にはならなかった。デビューステージが終われば落ち着くそうだ。今はまだ表に出ていないから興味がある。佐久弥に会えるという噂が広がったし、実際に悠人達と学食で食べていたから信ぴょう性があったのだろう。俺と悠人の共通した答えはこれだ。

(佐久弥の顔をつぶしたくない!)
(おーーー!)
(役不足かも?)
(だめだだめだだめだーー!)
(ぎゃはははーー。無理するなよ!)

 そんな俺たちを見て、佐久弥が爆笑していた。

 ガーーー。

 会場の駐車場に到着した。長谷部さんの後に続いて車を降りると、作業中のスタッフさんを見かけた。向こうから声を掛けられる前に挨拶した。

「おはようございます!よろしくお願いします!」
「おはようございます!」
「……おはようございまーす。頑張ってくださいねーー」
「ありがとうございます!失礼します」
「ありがとうございますーー、さあ、入りましょう」

 長谷部さんから促されて建物へ入った。スタッフさんが俺たちへ手を振ってくれている。支えてくれている沢山の人がいる。悠人と向かい合って大きく頷いた。
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