森林の星空少年~あの日のメエメエ

夏目奈緖

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 さて、正司社長が店の前からタクシーに乗って会社へ帰っていった。ついさっきまでカズさんと笑いあい、朝陽とも絡み、一時は冷え凍っていた場が和やかになっていた。そして、一台のタクシーが停まった。木田さんと堀尾君を送っていくために六槍さんが呼んだ車だ。宴たけなわということで、お互いに肩の力が抜けている状況の中、もっと一緒に過ごしたいという余韻を残している。

「では、わたくしたちはこの辺で失礼します」
「ありがとうございました」

 木田さんと堀尾君がタクシーのそばに行った。すると、街路樹の葉が風に揺れ、遠くで誰かの笑い声が聞こえる。なんて穏やかな午後だろう。木田さんが穏やかに一礼した。その仕草まで品があり、見ているこちらの背筋まで伸びてしまいそうだ。

「ああーー、なんてことだ!木田さんと堀尾君、ツーショット帰宅だ!」
「カズさん。二人は同じ職場なんだよ。同じところに帰るに決まっているだろーー」 

 俺が小声でつぶやくと、六槍さんがくすりと笑った。その声にカズさんが顔を上げて、どういうことだと言い出した。

「意外とお似合いかもしれませんね」
「ふむふむ。神主と若きアシスタント、禁断の帰路だね」
「やめてくださいって……。もう悠人さん、声が大きいですよ」

 タクシーのドアが開き、木田さんが軽く会釈をして座席に乗り込んだ。堀尾君はその隣に腰を下ろし、少し緊張した面持ちで姿勢を正した。その様子を見ているだけで、こちらまで微笑ましくなる。

「それじゃ、また近いうちにお会いしましょう」
「はい。また神事の際はぜひ」

 六槍さんが答え、朝陽も笑顔で手を振った。俺もそれにならって手を上げた。カズさんはというと、両手を胸の前で組み、まるで祈るような姿勢で木田さんを見送っている。顔は真剣そのものだ。いや、真剣すぎてホラーとも言えよう。

「木田さん!あなたを思う心を……、磨いておきます!」
「ええ、どうぞ。……あまり磨きすぎて削れませんように」

 木田さんが笑って応じると、タクシーがゆっくりと発進した。その瞬間、カズさんがなぜかタクシーを追いかけて二歩ほど駆け出した。

「待ってください!次は、あなたの心を清める儀式を僕に――!」
「社長!やめてください!」
「あああ……」

 六槍さんが即座に肩を掴んで止めた。タクシーが角を曲がって見えなくなった後も、カズさんは名残惜しそうに空を見つめていた。

「……あの横顔、尊い。夕陽に照らされる神職の輪郭……。いや、神々しい……」
「ふむふむ。詩人モードに突入したねーーー」
「危険です、社長。次の段階に行く前に、煩悩チェックを受けてください」
「あああ……」

 六槍さんが真顔で言った。しかし、カズさんは止まらなかった。よく回る口で何かを口走ろうとしている。それはセクハラ発言に違いない。酔った勢いということにはならない。いくら木田さんがいなくても、セクハラはセクハラである。

「僕は思うんだ。もしこの世界に“恋のおみくじ”があるなら、木田さんは“大吉”だ。いや、“恋みくじ限定の神様”だ。あの微笑みに出会った瞬間、僕の魂は……、脱衣!」
「……脱衣?」

 全員の動きが止まった。やっはり服を脱ぐ発想をしていたのか。あきれてものが言えない。さすがはカズさんだと言えよう。しかしながら、会食の場ではよく持ちこたえたと思う。おかしな発言はあったものの、セクハラ発言はしていない。そこで、俺たちはカズさんの様子を見た。俺たちから見つめられて、慌てている。

「ち、違うんだ!魂が衣を脱ぐように、浄化されるという意味だ!」
「ふむふむ。説明が余計に危ないねーーー」
「社長、それ完全にアウトです」
「六槍さん。今のは文学的表現だよーー。魂が服を脱いで、心が裸になるんだ」
「いや、余計にアウトです」

 六槍さんが言い切ると、朝陽が笑いをこらえきれず、口元を押さえた。

「社長、それ……、もう清めてもらえませんよ……」
「ははは……、僕は穢れたままでもいい。愛に祈る!」
「ふむふむ。末期だねーーー」

 その瞬間、秋風が通り抜けた。金木犀の香りがふわりと漂い、カズさんの赤い顔をやさしく包み込む。なんて秋らしいのだろうか。すると、六槍さんが朝陽に向いて、小さく笑って言った。

「でも、まあ……。本気で人を想ってる顔だね、社長」
「うん。あれは恋の安全祈願成功だね」

 朝陽の言葉に俺も頷いた。タクシーの姿はもう見えない。しかし、あの窓越しに見えた木田さんの微笑みは、まだこの空気の中に残っている気がした。

「……ふむふむ。恋も神事も、清めても消えないんだねーー」

 俺の言葉に、みんなが小さく笑った。そして、俺たちも到着したタクシーに乗って、プラセルの本社へ戻ることにした。俺の背中にはまだ、カズさんの”脱衣魂宣言”が響いていた。たぶん、今日一番のインパクトは、神事でも安全祈願でもなく、恋という名の“危険物”だと言えよう。
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