森林の星空少年~あの日のメエメエ

夏目奈緖

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 月島さんの言葉が余韻として店内に残っている、その隙間に、羽音さんが小さく手を挙げた。

「……あの。僕も、話していいですか」

 一瞬、空気が止まった。俺は思わずスマホから顔を上げ、高野さんと視線を交わす。嫌な予感しかしない。

「え、羽音さん?」
「ちょ、ちょっと待ってください、それは……」

 俺が止めに入るより早く、ママが目を輝かせた。

「あらーー?なに?なに?もしかして、羽音さんも“語れる口”?」
「語れるっていうか……、月島さんの話を聞いてたら、なんだか自分だけ黙ってるのが、ずるい気がしてきて」
「ずるいの問題じゃありません!」

 高野さんが珍しく声を張った。来れこそ止めないといけないだろうと言いながら。羽音さんのイメージの問題である。ファンが見ていたら驚くだろう。そうでなくても、コメント欄は羽音さんの登場に沸いている。新宿二丁目という場所のせいなのか。

「羽音さんは、立場を考えてください。あなたは……」
「人気歌手。王子様キャラ。清純派、だよね」

 羽音さんは苦笑して、あっさりと言った。その軽さが、逆に怖い。確かにそうだ。羽音さんは、表向きにはスキャンダルとは無縁の存在だ。柔らかな笑顔、穏やかな話し方、恋愛を匂わせない距離感。ファンはそこに“夢”を見ている。ここで男性遍歴なんて語り始めたら、そのイメージは簡単に崩れる。

「羽音さん、配信中ですよ」

 俺も止めた。コメント欄が沸いていることと、ここで話す内容じゃないということも忠言させてもらった。

「分かっているよ。でも……」

 羽音さんは、テーブルに置かれたグラスを指先でなぞった。

「月島さんの話、すごく正直で。かっこいいなって思ったんです。選んできた恋を、恥ずかしがらずに話せるのって」

 月島さんが、驚いたように羽音さんを見る。

「君が?そう思ったのかい」
「はい。だから……、僕も、嘘のまま王子でいるのは、少し苦しくなっちゃって」
「うひぇーーー!ちょっと!その流れはダメですよ!」今ここで解放しなくていいですよ!」
「悠人君、落ち着いて」

 ママはにこにこしている。そして、自分で責任取れるなら、少しだけならいいんじゃない?と言った。すると、羽音さんもニコニコし始めた。解放するらしい。

「ママ!」
「だってほら。全部話す必要はないのよ。ニュアンスだけでも」

 高野さんは頭を抱え、俺は胃の奥がきゅっと縮むのを感じた。これは止めるべきだ。絶対に。

「羽音さん。お願いです。あなたの“商品価値”を……」
「商品って言い方、きついなあ」

 羽音さんは、困ったように笑った。その笑顔は、ステージで見るものと同じなのに、どこか違って見えた。

「大丈夫ですよ。具体的な名前も、場所も、言いません。ただ、僕も、恋はしてきましたって話をしたいだけです」
「それでも十分危ないです!」
「危ない、って言われるほど、僕が綺麗だと思われてるなら、それはそれで、ありがたいけどね」

 冗談めかして言うが、目は本気だった。そして羽音さんが言った。王子様って、恋しちゃいけないんですか?と。その一言で、誰も言葉を失った。ママがゆっくりとグラスを持ち上げる。

「……いい質問ね」
「でしょ?」

 羽音さんは、背筋を伸ばした。

「ファンの皆さんが思ってるほど、僕は無垢じゃないです。でも、遊び人でもない。好きになった人と、ちゃんと向き合ってきました」
「待って、もう語ってる!」

 俺が慌てて言うと、羽音さんは、まだ序章だとと言った。

「好きになった人数は……、まあ、王子様にしては多いかもしれません。一瞬だけの恋人なら星の数ほどいます。どの人とも続かなくて」
「アウト!アウト!」
「大丈夫です。えげつない話はしません。ママや月島さんみたいに」
「それはどういう意味だ」
 
 月島さんが苦笑する。コメント欄がざわついているのが、視界の端でも分かる。それでも羽音さんは、逃げなかった。

「隠してきたわけじゃない。ただ、話す場所がなかっただけです。ここが正解かどうかは……、分かりませんけど」

 そう言って、羽音さんは俺たちを見回した。

「止めるなら、今だよ?」

 俺は口を開きかけて、閉じた。止めたい。止めるべきだ。しかし、同時に、羽音さんの覚悟も感じてしまっていた。そこで、ママが、ゆっくりとうなずく。

「じゃあ……、続きをどうぞ、羽音さん」

 俺は頭を抱えた。この夜は、どこまで本音が暴かれるつもりなんだ。そんな不安を抱えながら、画面の向こうで回り続けるコメントを、ただ見つめることしかできなかった。
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