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17-3(早瀬視点)
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午前9時。
黒崎製菓の会議室にいる。これから辞令式があるためだ。本日付けて昇進した者は、自分を含めて3名いる。その他は新部署への異動者だ。マーケティング推進室の室長となる、橋本と並んで立っている。話題は昨日の一件だ。
「枝川には怪我がなかったよ」
「黒崎常務とメンバーで、飲みに行く段取りをしています。……手首に跡が残りましたね。すみませんでした。帰ってからは大丈夫でしたか?」
「悠人のことか。思い切り、叱られたよ。どこのだれにやられた?ちゃんと言いなさい!ってね。まるで親だよ」
「早瀬さん。変わりましたね。大して話していませんでしたが、こんなに熱い人だとは思いませんでした」
「自分でもそう思う。これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします」
悠人から叱られてしまった。あのままの状態で家を出たことを後悔したが、彼の言うとおり、気持ちに余裕がなかった。泣かせたくないから逃げてきたわけだ。みっともない。
黒崎は辞令式の前段で打ち合わせ中だ。副社長との2人で、山田の処遇を話し合ったと聞いた。生産部の部長は出張中で、副社長の指示に従うと言ってきたそうだ。ここで責任を取りたくない者が上層部にいるのかと呆れ返った。
副社長と黒崎ともに、この大きな船が沈む可能性があると言っている。かじ取りのコントロールが利かない予兆が来ている。千尋製菓のように、身内が多く役員や役職者にはなっていない。その分だけマシだ。
業績は好調でも、伸びてはいない。このままでは、他企業のシェア競争に負けてしまうだろう。そうならないようにするのが、自分たちの役目だ。
今年の春には役員の半数が入れ替わり、役職者の異動もあった。黒崎ホールディングスとの合併を口実にしている。今日の辞令式では、さらに大きな変化が起きた。それだけの危機感があるということだ。
橋本は悠人のことを知っている。バイトに来た時に世話になったからだ。淡々とした橋本が、悠人のことを面白がっていたのが印象深い。
あの子には不思議な力があり、相手の毒牙を抜いてしまう。それが発揮できる環境を整えてやりたかった。ギチギチに絡み合った家族関係、先輩から襲われたことのトラウマ、自信のなさ、それらを整えてきた。
(……悠人のためというより、自分のためだった。悠人が言った通りだ。どうやって謝ろうか。仲直り出来るかな?はあ……)
壇上で会話をしている黒崎のことを見つめた。夏樹とよく喧嘩をしている彼なら、いいアドバイスをもらえそうだ。頼ってばかりだが、背に腹は代えられない。考え事をしていると、橋本から声を掛けられた。スーツの内側から着信音が鳴っていた。
「……早瀬さん。今なら電話できますよ」
「……ありがとう。廊下で話して来る」
「……進行役に伝えます」
橋本に断りを入れて、廊下に出た。電話の相手は悠人ではないだろう。遠慮して掛けて来るわけがないし、今は大喧嘩中だ。いや、まさか何かあったのかもしれない。
逸る気持ちでスマホを見ると、別の相手からの電話だった。悠人ではなかったことに、ホッとしつつもガッカリしてしまった。電話の相手は父だった。
早瀬家と千尋製菓の両方で発言力がないとされているが、社員からは好かれている。じっくりと、相手の話を聞くタイプの人だ。頼りがいがある。若い頃から力を発揮する人間ばかりとは限らない。温和な人柄に惹かれて、父の周りには人が集まっている。
「もしもし?」
「……裕理。忙しいところをすまない。辞令式の前に伝えたかった。昇進おめでとう」
「お父さん、わざわざいいのに。ありがとうございます。5分なら時間がある」
「……今朝のニュースを見た。カッコよかったぞー?」
「子供じゃないよ」
「……会社が落ち着いたところだ」
「そうだったね。あとは新規事業の効果が出るのを待つだけだ」
「……よく知っている。悠人君と会いたい。やっと時間ができた」
「それは喜ぶよ。ただなあ、今、大喧嘩中だ」
「……お前がか。珍しいな。……まさか」
「今までの相手には別れ際に大爆発をされた。……今回は意味合いが違う。我慢できなくなったどころか、ケツを叩いて叱られたようなものだ」
「……ほお。12歳年下の子にか?お前がなあ。ははは」
「悪かったね。俺が悪いから仕方ないだろ」
「……拗ねているのか。ははは」
真面目に話したつもりだが、電話口からは豪快な笑い声が聞こえてきた。窮地に立たされているというのに、ここまでどっしり構えた人だったのか。ますます会いたくなった。
「……お母さんには、今回は僕だけが会うと言ってある。悠人君のことでは口を挟まさない。子供の頃はすまなかった」
「もういいよ。いい子をやめたと言っただろう?お父さんも頑張っているね」
「……コンラッドの役員のお嬢さんとの見合いのことだが、僕のほうから断った」
「ありがとう。お母さんから、ギャーギャー言われただろう?」
「……お母さんたちが騒ぎ過ぎただけだ。経営陣には、過ぎた保身は必要ない。コンラッド側も同じだ。向こうはホッとしているかも知れない。下手に関わりたくないだろう」
「ボロクソだねー、ははははーっ」
父の言いように、思わず吹き出してしまった。電話口からも、同様に笑い声が聞こえてきた。辞令式の前や窮地に立たされている者同士の空気とは思えない。
「……黒崎製菓で頑張りなさい」
「お父さんとは対岸同士で立ちたい」
「……できるだけそうなれるように努力する」
「根性見せろよ!」
あのハロウィンイベントのステージで、佐久弥から言われた言葉だ。今度は俺が父に言っている。自分自身に対してもだ。
会議室が騒めきだし、父に断りを入れて電話を切った。そのタイミングで橋本が呼びに来てくれたから、すぐに会議室へ入った。
黒崎製菓の会議室にいる。これから辞令式があるためだ。本日付けて昇進した者は、自分を含めて3名いる。その他は新部署への異動者だ。マーケティング推進室の室長となる、橋本と並んで立っている。話題は昨日の一件だ。
「枝川には怪我がなかったよ」
「黒崎常務とメンバーで、飲みに行く段取りをしています。……手首に跡が残りましたね。すみませんでした。帰ってからは大丈夫でしたか?」
「悠人のことか。思い切り、叱られたよ。どこのだれにやられた?ちゃんと言いなさい!ってね。まるで親だよ」
「早瀬さん。変わりましたね。大して話していませんでしたが、こんなに熱い人だとは思いませんでした」
「自分でもそう思う。これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします」
悠人から叱られてしまった。あのままの状態で家を出たことを後悔したが、彼の言うとおり、気持ちに余裕がなかった。泣かせたくないから逃げてきたわけだ。みっともない。
黒崎は辞令式の前段で打ち合わせ中だ。副社長との2人で、山田の処遇を話し合ったと聞いた。生産部の部長は出張中で、副社長の指示に従うと言ってきたそうだ。ここで責任を取りたくない者が上層部にいるのかと呆れ返った。
副社長と黒崎ともに、この大きな船が沈む可能性があると言っている。かじ取りのコントロールが利かない予兆が来ている。千尋製菓のように、身内が多く役員や役職者にはなっていない。その分だけマシだ。
業績は好調でも、伸びてはいない。このままでは、他企業のシェア競争に負けてしまうだろう。そうならないようにするのが、自分たちの役目だ。
今年の春には役員の半数が入れ替わり、役職者の異動もあった。黒崎ホールディングスとの合併を口実にしている。今日の辞令式では、さらに大きな変化が起きた。それだけの危機感があるということだ。
橋本は悠人のことを知っている。バイトに来た時に世話になったからだ。淡々とした橋本が、悠人のことを面白がっていたのが印象深い。
あの子には不思議な力があり、相手の毒牙を抜いてしまう。それが発揮できる環境を整えてやりたかった。ギチギチに絡み合った家族関係、先輩から襲われたことのトラウマ、自信のなさ、それらを整えてきた。
(……悠人のためというより、自分のためだった。悠人が言った通りだ。どうやって謝ろうか。仲直り出来るかな?はあ……)
壇上で会話をしている黒崎のことを見つめた。夏樹とよく喧嘩をしている彼なら、いいアドバイスをもらえそうだ。頼ってばかりだが、背に腹は代えられない。考え事をしていると、橋本から声を掛けられた。スーツの内側から着信音が鳴っていた。
「……早瀬さん。今なら電話できますよ」
「……ありがとう。廊下で話して来る」
「……進行役に伝えます」
橋本に断りを入れて、廊下に出た。電話の相手は悠人ではないだろう。遠慮して掛けて来るわけがないし、今は大喧嘩中だ。いや、まさか何かあったのかもしれない。
逸る気持ちでスマホを見ると、別の相手からの電話だった。悠人ではなかったことに、ホッとしつつもガッカリしてしまった。電話の相手は父だった。
早瀬家と千尋製菓の両方で発言力がないとされているが、社員からは好かれている。じっくりと、相手の話を聞くタイプの人だ。頼りがいがある。若い頃から力を発揮する人間ばかりとは限らない。温和な人柄に惹かれて、父の周りには人が集まっている。
「もしもし?」
「……裕理。忙しいところをすまない。辞令式の前に伝えたかった。昇進おめでとう」
「お父さん、わざわざいいのに。ありがとうございます。5分なら時間がある」
「……今朝のニュースを見た。カッコよかったぞー?」
「子供じゃないよ」
「……会社が落ち着いたところだ」
「そうだったね。あとは新規事業の効果が出るのを待つだけだ」
「……よく知っている。悠人君と会いたい。やっと時間ができた」
「それは喜ぶよ。ただなあ、今、大喧嘩中だ」
「……お前がか。珍しいな。……まさか」
「今までの相手には別れ際に大爆発をされた。……今回は意味合いが違う。我慢できなくなったどころか、ケツを叩いて叱られたようなものだ」
「……ほお。12歳年下の子にか?お前がなあ。ははは」
「悪かったね。俺が悪いから仕方ないだろ」
「……拗ねているのか。ははは」
真面目に話したつもりだが、電話口からは豪快な笑い声が聞こえてきた。窮地に立たされているというのに、ここまでどっしり構えた人だったのか。ますます会いたくなった。
「……お母さんには、今回は僕だけが会うと言ってある。悠人君のことでは口を挟まさない。子供の頃はすまなかった」
「もういいよ。いい子をやめたと言っただろう?お父さんも頑張っているね」
「……コンラッドの役員のお嬢さんとの見合いのことだが、僕のほうから断った」
「ありがとう。お母さんから、ギャーギャー言われただろう?」
「……お母さんたちが騒ぎ過ぎただけだ。経営陣には、過ぎた保身は必要ない。コンラッド側も同じだ。向こうはホッとしているかも知れない。下手に関わりたくないだろう」
「ボロクソだねー、ははははーっ」
父の言いように、思わず吹き出してしまった。電話口からも、同様に笑い声が聞こえてきた。辞令式の前や窮地に立たされている者同士の空気とは思えない。
「……黒崎製菓で頑張りなさい」
「お父さんとは対岸同士で立ちたい」
「……できるだけそうなれるように努力する」
「根性見せろよ!」
あのハロウィンイベントのステージで、佐久弥から言われた言葉だ。今度は俺が父に言っている。自分自身に対してもだ。
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