海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 早瀬が頷いた。しかし、笑っている。今の会社が好きだから、移るつもりは無いそうだ。そして、千尋製菓のことを話してくれた。

「もちろん言われているよ。現在進行形だ。父以外の人からだ。俺が移ったところですぐに状況は変わらない。せいぜい会社を売るまでの、時間稼ぎにしかならない。経営陣として去れば、今よりもいい形になるはずだ。社員が路頭に迷わなくて済む。それを理解できない人たちだ。役員の何人かは親族が務めいている。しがみつくわりには、何もやらない人だそうだ。俺は黒崎製菓グループを選んだ。これは変わらないことだ。早瀬家の名前を汚すなと言われて育ってきた。押し付けられるのは懲り懲りだ」

 早瀬は笑顔で話しているが、ツラそうな顔もしている。嫌な目に遭ったことだろう。何でも出来る人だ。しかし、実は見えないところで泣いているのだろう。表には出さずに。今の自分に出来ることは、そばにいることだ。

 椅子から立ち上り、早瀬のそばへ行った。彼の体に両腕を回して、出来るだけ体温が伝わるように抱きついた。

「話してくれてありがとう」
「気にするな。話して楽になった。意外とあっさりと口に出来たよ」
「そっか……」

 やっぱり話したくなかったのだろう。いつも冷静な人なのに、それが保てないかもしれないと思ったのかな?そういう姿も見せてほしい。力になりたいと思った。

「悠人君と似ている環境だったよ。母からは、子供の頃から、相手を選んで友達になれと言われていた。バンドを始めた時は反対されなかった。『早瀬の名前さえ守れば、何をしてもいい』と言われた。父はそうじゃなくて、ライブにも来てくれた。あの人がいるから、家族は悪くないと思っている。悠人君には、ご両親と繋がっていてほしいと言ったのには理由がある。お父さんは……、悪い人じゃないからだ。相手が年下であろうと部下であろうと、態度を変えない。珍しいことだよ?けっこう好きなんだ」
「え……、お父さんのことが?」
「そうだよ。飲みに行ったこともあるんだ。息子さんの話も聞いたよ。いい父親のふりをしていたのはバレたけどね」

 肩を揺らして笑ったことで、こっちまで笑えてきた。ただし、泣き笑いというものだろう。慰めるつもりが、反対にすがりついてしまった。

「はいはい。泣くな。そういうつもりで話したんじゃないぞ?」
「ごめんね……」
「こうやって泣いてくれる子がいるんだ。回り道をした甲斐があった。富士山が頂上まで真っ直ぐの道なら、登れる気になれるか?曲がっていて、休む場所があるから登れると思っている。そういうことだ。元気を出しなさい」
「うちにいるときは、左利きでいてよ……」
「右で慣れているよ。君の体を触るのも右手だろう?」
「んん?そうだっけ?」
「そうだよ。指はどっちだ?」
「えーっと。あっ」

 つい相づちを打ってしまった。恥ずかしいことを質問されたというのに。早瀬は笑っている。こんな事を言っても、爽やかだからタチが悪い。

「裕理さんって爽やかだよね?そういう人は得だよ。友達に言われたことない?」
「君の前でしか言わないから分からないよ。エロい話はしないからね」
「こんなにエロいのに?長年の培ってきたものじゃないわけ?」
「なんだその表現は。面白くて可愛いから、どうしようもない」
「もうっ、ダメだってば!食べ終わったなら片付けるからさ。寝るかソファーへ行っててよ。掃除機もかけたいし……」

 ごく普通のことを言ったつもりなのに無言になった。それは束の間で、早瀬が明るい笑顔を浮かべた。カッコいいのに、子どものようだと思った。

「こういうのに憧れていた。話に聞いても羨ましいと思わなかったのに。30歳が近くなった辺りで欲しくなった」
「もう離せってば。大人しくしてよ」
「片付けが終わったらソファーへおいで。大丈夫な方法がある」
「何のことだよ?」
「抱かれる形のこと。向かい合わせだけしかしていないからね。そろそろ先へ進もう」
「なにそれ。変なことするなよ」
「悠人。昨夜は眠れなかっただろう?3日もまともに抱いていないから」
「なななんだよーっ」

 早瀬から離れたものの、抱き寄せられた。そして、甘い声で囁かれてしまい、片付けが終わったら、そばへ行く約束をしてしまった。
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