海のそばの音楽少年~あの日のキミ

夏目奈緖

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 全てを話し終えた後、黒崎さんが頷いていた。バカにするとか呆れるとか、そういう顔ではなくて、優しく笑っていた。そして、入り口のスクリーンを全部下ろして、俺の前に戻ってきて、椅子に座った。

「君に話したがらないことだが、この際だ。裕理には言わないでもらえるか?」
「はい。もちろんです」
「あれでもマシになったんだぞ」
「ええ?」
「仕事モードが、最近までいつも見せていた顔だった。俺は両方を知っているから分かる。黒崎ホールディングスの形態が変わる頃の話を聞いているだろう?」
「はい!黒崎製菓から独立する時ですよね?その後、子会社を作ってホールディングス化したことを聞きました。海外拠点の話もしていましたが、詳しくは聞いていません」
「黒崎ホールディングスになる前の会社のこ時のことだ。かなり多忙になって、プライベートが壊れてしまった。それは俺のせいもある。ギタリストの夢を諦めて、仕事モードの顔しか見せないようになっていた。……悠人君と付き合い始めて、楽しそうにするようになった。今じゃ、あのとおりだ。よく笑うようになった。仕事中の雰囲気も変わったんだぞ?元から敵を作らないタイプではあったが、そつなくこなしていた。今は人間味が出ている」
「そうだったんですね。機械みたいにやってるのに」
「今でも周りが付いていけないぐらいのスピードがある。会社としては助かっている。……今、11月末の人事に向けて、準備をやっているところだ。家の中には仕事を持ち込まない主義の人間はいるが、裕理も俺も、それが出来るタイプじゃない。急に思いついて仕事モードに切り替わって、書斎へ籠るタイプだ。決して悠人君のことをないがしろにしていない」
「それは分かっています。……いや、分かっていませんでした」

 理解できたつもりでいた。あの夜、誤解が解けたと思っていたのは大間違いだ。早瀬から構ってもらえたから、寂しさがまぎれただけだ。ここで仕事中の早瀬を見て、まだ遠い存在に感じているのだから。

「俺は気が利かないんです。自分のことばっかり考えて、裕理さんが何をしてほしいのかも思い付きません。どんなことをすればいいですか?自分でも考えますけど、今日からできることが知りたいです」
「特別、何もしなくてもいい」
「それだと……」
「そばにいてやればいい。寂しがり屋だ」
「そっか……」
「強いて言えば、我儘を言ってやることだ。今回のことは喜んでいたんだぞ?やっと無理なことを言ってもらえたと」
「そうだったんですね。何も知らなくって……」
「いいや。よく知ってるじゃないか」
「……」

 黒崎さんは本当に優しい人だと思った。夏樹の話とは180度異なる姿を目にして、これも黒崎さんなんだと知った。ということは、どんな面も早瀬ということだ。知らないのは当たり前のことで、これから関係を作っていくのだと分かった。

「もっと裕理さんと話します。いつもペラペラ喋っていますけど」
「それがいい。悠人君は我儘を言って、ちょうどいいぐらいだ。裕理こそ我儘だぞ?それに負けるな」
「はい」

 テーブルに置いている珈琲を一口飲んで、笑いあった。今度、ゆっくり家に遊びに来るように言ってもらえた。ここは職場だから音楽の話は出来ない。帰ってからメールをすると黒崎さんが言ってくれた時、ドアの向こうから名前を呼ばれた。

「ひさだくーん!」
「ひーさーだーくん」
「はーい!」

 ドアへ向けて返事をすると、向こうがザワついていた。数人の話し声がしているのに、入ってこようとしなかった。

「あれ?」

 椅子から立ち上って、ドアの前まで行った。ドア開けようとすると、その手が空振りになった。向こうから先に、ドアが開かれたからだ。誰が立っているのか知るよりも先に、そこから見えている人達の緊迫した空気に驚いてしまった。

「何があったんです……、か……」
「悠人!」
「?」

 見上げようとすると、強い力で引き寄せられた。顔に当たったのはスーツの生地の感触だ。スッキリしたグリーン系の匂いと、耳元で聞こえている声は早瀬のものだった。どうして抱きしめられているんだろう?それが知りたくて顔を上げようとしても、力が強すぎて出来なかった。

「ここに居たのか」
「うん……、休憩しに来たんだ」
「心配した。会議から戻って来たら君がいなくて探した。枝川からスクリーンが降りていると聞いた。連れ込まれたかと思った。相手がその人で良かった……」

 気がつくと、そばに黒崎さんが立っていた。早瀨から抱きしめられているから、目線だけしか動かせない。暗い色のスーツが見えていたから分かったことだ。黒崎さんが苦笑しているから、周りの空気が和んだ。

 よかったねと口々に囁きあい、社員さん達がデスクへ戻って行った。そして、早瀬が俺に頬ずりをした。ここはオフィスなのに大丈夫なのだろうか。その心配が顔に出たようで、心配ないと黒崎さんから声を掛けられて、やっと安心した。
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