アイアンエンジェル~あの日の旋律

夏目奈緖

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 午前10時半。

 病院に行ってきたところだ。近くの調剤薬局で薬を受け取ってきた。黒崎からの電話の後、山崎さんが俺のことを心配して家まで訪ねてくれた。病院まで徒歩10分だから歩いて行こうと思っていたら、タクシーを呼んでくれた。病院で診てもらったら、風邪だということだった。初期に受診したから、すぐに治ると思う。

(まだ熱は高くないから動ける……。帰りは歩いて帰ろうっと……。行きたい本屋があるんだ……)

 せっかく外へ出てきたから、本屋へ寄って帰ることにした。駅の近くにある『アイビー書店』だ。大きな店だ。どんなものがあるのか見るだけで帰ろうと思った。

 駅の方へ向かうと、すぐに看板が見えて来た。3つの建物に分かれている。1号館、2号館、3号館と表示されている。ガラス張りの外観がお洒落だから、最初前を通りかかった時は書店に見えなかった。

「お洒落だなあ。雑貨屋もある。こっちの1号館に絵本のコーナーがあるのか。見ていこうっと……」

 今日は平日の午前中なのに、店内は人が多かった。落ち着いた茶色の本棚が高い位置まで並んでいる。展示の仕方まで凝っている。表紙が見やすい配置だと思った。

 キョロキョロしながら歩いて行くと、背の低い本棚のコーナーを見つけた。児童書が置いているのだろう。それなら絵本は近くにあるはずだ。

「あった。うわあ~、充実しているよ~」

 絵本のコーナーまで来て、ため息が漏れた。目の前に広がっているのは、仕掛け絵本の特設コーナーだったからだ。海外の作品も充実していることが分かった。

「良いところに引っ越してきた。はあ……、ここに住みたい。欲しいものがありすぎるよ。本棚を増やさないと叱られる……」

 近くにあった椅子に腰かけて、サンプルの仕掛け絵本を開いた。絵本好きとしては堪らない。するとその時だ。絵本を眺めていると、急に視線を感じた。顔を上げると、離れた場所に男の人が立っていて、こっちを見つめていた。何か声を掛けられるかも知れない。そういう時は適当に受け答えをするといいと、黒崎から習っている。

「……こんにちは」
「……こんにちは」

 その人が近くまで来て、挨拶をされたから返した。見上げると、お義父さんに似ている人だった。黒崎よりも年上に見えた。40歳ぐらいだろうか。

「黒崎の家に引っ越してきたんだね。聞いているよ」
「ご親戚の方ですか?」
「そうだよ。僕は島川一貴だ。圭一の4番目の兄だ。はじめまして」
「はじめまして」

 すぐに立ち上がった。晴海さん以外で、お兄さんに会ったのは初めてだ。この間、黒崎が寝ているときに訪ねてきてくれた人だろう。その時は会っていないのに、俺の顔を知っていたのが不思議だ。見た目は紳士的な人だ。しかし、遠目から見ていた時の視線は、好意的ではなかった。さらに島川さんが話しかけてきた。

「新しい家には慣れた?」
「少しだけ。みなさんに親切にしてくださって、有り難いです」
「そうだろうね。お父さんのお気に入りだから、親切にした方が得だと分かりきっている」
「……」

 なるほど。こういう人なのか。嫌みを言われてしまった。ここで話を切ると逃げたと思われる。あえて自分からは何も問いかけず、相手の出方を知ることにした。勝手に喋るだろうと思った。

「圭一は、お父さんのお気に入りだ。経営者としてだけでなく、母親もそうだった。ああいう結果になったとはいえ……」
「……」
「夏樹君だっけ?君もああならないようにね」
「……」
「何も言わないし、聞かないわけだ?さすがは圭一が選んだだけある。お父さんが可愛がるわけだ。圭一は、周りから期待されている。僕以外の兄弟にも会う機会が出来るよ。その時にゆっくり話そう。邪魔したね。じゃあ」
「失礼します」

 一言だけ返して、島川さんが去るのを待った。その姿が見えなくなった後、ため息をついた。

「黒崎さん、お兄さんが何人もいるのに、拓海さんしか守ってくれる人がいなかったんじゃないかな……」

 あんな事を言われて胸が痛くなった。それでも、気にするわけにはいかない。想定内だ。母からも聞かされている。負けないと決めた。守られているし、俺の方こそ、黒崎とお義父さんのことを守りたいからだ。

「あ。もうこんな時間だ……」

 気がつくと、島川さんが立ち去ってから30分も経っていた。山崎さんに心配をかけるだろう。さっそく店を出て、急いで帰った。
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