アイアンエンジェル~あの日の旋律

夏目奈緖

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6-3(黒崎視点)

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 10時半。

 9時半にインターフォンが鳴り、父からの宅急便が到着したものと思い込んでモニターを確認した。そして、そこに映っていた人物を見て頭痛がした。送り主である本人が届けに来たからだ。父がいた。秘書の村井を同行させていないのなら、完全なプライベートということだ。何かの会合に出席するのかと嫌味を向けたが、夏樹へ満面の笑みを向けたのみだ。

 その2人が肩を寄せ合い、リビングのソファーへ座った。外は寒かっただろう。足が悪いのに。ロビーまで迎えに行かせてくれ。そんな優しい言葉を夏樹からかけられて、父が嬉しそうにした。滅多に感情を出さない人のはずだが、昔とは大違いだった。

「夏樹ちゃん。驚いていたね。直接、届けに来たかったんだよ」
「隆さん。ビックリしたよ~。空港まで迎えに行ったのに」
「嘘でも嬉しいよ」
「嘘じゃないってば。村井さんとはホテルの前で別れたんだよね?具合が悪くなったら、どうするんだよ。飛行機に乗るところまで送っていくからね。遠慮しないでよ?」
「ありがとう……」
「……喉が渇いているよね?お茶にしようか。珈琲がいい?」
「珈琲が飲みたい」
「すぐに淹れてくるよ。近所のカフェで買った珈琲豆なんだけどね。今朝開封したばかりだから、美味しいよ」
「君が淹れてくれるのかい?」
「うん。珈琲メーカーが淹れるんだけどね~。美味しいよ」
「……私も淹れてみたい」
「うん。教えるよ。黒崎さんも出来るようになったんだ。けっこう簡単だからね」
「ああ、初めて使う……」

 こんな光景を眺める日が来るとは思わなかった。この言葉が浮かぶのは、何度目だろうか。電話では優しい言葉をかけられた。喘息はどうだ?と。風邪を引いた時は、咳が重くなりがちだ。そう答えておいた。すると、父がそうかとと言った。その一言の返事が嬉しかった。

「そうだよー。この豆を5杯すくって。ここに入れてねー」
「こうかい?……失敗した。こぼれたね。すまない」
「気にしないで。黒崎さんなんか、もっと酷いんだからさ……」
「そうなのか?」
「うん、後で話すよ。えーっとね。この線まで入れてね」
「なるほど。このメーカーは、HONBISIか」
「そうだよ。このメーカーの製品が多いんだ」
「圭一が選んだのか?」
「うん。黒崎さんが決めているんだ。何でもそうだよ……」
「強引な息子だ、まったく……」

 あんたに言われたくない。喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。夏樹と楽しく過ごしたいはずだから、我慢をすることにした。
 
 ニュース番組へチャンネルを変えると、黒崎製菓との合併の話題が出た。そして、まるで別人のような自分の姿が映し出された。以前とは異なり、穏やかな笑顔をしている。夏樹のおかげだと思った。

「……黒崎製菓との合併により新体制へ。黒崎ホールディング代表取締役社長、黒崎圭一氏が常務取締役、営業企画部長へ。専務取締役、田所まりあ氏……」

 9月20日開催の取締役会にて、内定する人事を決定した。先日開催された株主総会の決議を経て、就任が決定した。プライベートに触れたインタビューには、こう答えてある。ーー”気力と体力を充電できる環境と、優しく迎えてもらえる家族の存在ができました”と。

 父のインタビューは、先日、回答された分だ。ーー”圭一氏は、私の息子です。対等なビジネスパートナーとして、話し合いを重ねて参りました”だった。深川副社長のインタビューも流れていた。俺にとっては恩師のような人だ。一緒に働けることを嬉しいと思った。

(いろいろとあったが、完璧な人間はいない。素直に言わないから誤解される。寂しいなら、早くそう言え……)

 父が寂しいと言うだろうか。素直に口にする日が来るのだろうか。父がそう言った時は、息子として受け止める。頼りにされたいと思い始めたからだ。あれ程までに嫌っていたというのに。これも夏樹のおかげだ。

「夏樹ちゃん。私は寂しいんだよ……」

 キッチンから聞こえた言葉に、思わず耳を疑った。聞き間違いではなく、父が今後の生活の不安まで口にし始めた。体力的なもの、体調の変化の不安、俺達に負担をかけたくないが、頼りにしていることまで言い出した。俺への嫌味だろうかと眺めたが、素直な思いだと分かった。

「私は一人暮らしだ。お手伝いさんはいるが……」
「俺たちがいるから寂しくないよ?3月の終わりには引っ越すからね。もっと近くなるんだよ~」
「それまで寂しいよ……」

 全身の力が抜けた。記憶の中と、テレビの中の『黒崎隆』はどこに行ったのか?3人分の珈琲カップと、洋菓子を持って歩いてくる姿は、俺が求めていた休日の父親の姿だった。

 初めて自分で入れた珈琲だと、本気で自慢気にして声をかけてきた。それに抗う理由はない。……よかったなと、優しく言葉を返すと、夏樹から微笑みを返された。この一言のみでいいのだと分かった。
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