アイアンエンジェル~あの日の旋律

夏目奈緖

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9-1 引っ越し前日

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 3月23日、月曜日、午前11時半。

 とうとう明日、生まれ育った土地を発つ。寂しいと思う間がなくて助かった。引越し準備で忙しく、黒崎の仕事関係から贈り物が届き、そのお返しを手配する手伝いもやった。

 今までは早瀬さんが秘書としてやってくれていたが、これからは秘書ではなくなるから頼るのは悪いと思い、俺も手伝おうと思った。早瀬さんからレクチャーを受けて、コツコツと進めて行った。社会人になった時に役立つはずだし、忙しい時は手伝いたい。褒められたから調子に乗り、黒崎がやる分まで仕上げてしまった。

 今日は心臓の検診だった。葛島国際病院の診察室から出てきたところだ。次回からは都内の聖加世病院で受けることになる。聖加世病院には大学試験後に受診した。お義父さんが付き添ってくれて、事細かくお医者さんから説明を受けてきた、申し訳ないような嬉しいような気分だった。そして、心強くもあった。両親からお義父さんにお礼の電話をして、伊吹がいるので、何かあれば使って下さいと頼んだそうだ。

「心電図が終わったよ」
「待合へ行こう」
「一人で歩けるよー」
「いいから……」

 さすがに病院内で手を繋いで歩くのは恥ずかしい。卒業式の後、転んで打った場所を診てもらったら、打撲だと言われた。わりと強く打っているが治る。それなのに、黒崎が心配して過保護になってしまった。

 さっきもそうだった。診察室へ一緒に入り、夜中に咳込んだ日、熱を出した日、苦しそうに寝返りを打った夜などを、お医者さんに報告していた。顔から火が出そうだ。

「12月に風邪を引いた時は、血糖値が基準値の半分以下だった。先月は元通りになっていた。食べるようになったからだ。先週は食が細かったぞ。もっと食べろ」
「一緒にお茶漬けを食べた日があったよ。夜中の3時に」
「少しだった。マフィンも食べなかったぞ」
「たまたまだよ」

 黒崎が俺の打撲した右膝のことを心配して、次の日の朝から、朝ごはんの支度を手伝ってくれている。俺の皿にはいつもより多めのサラダや卵焼きを乗せられている。彼が心配するから食べているけれど、いつもお腹いっぱいになりすぎている。でも、彼の気持ちが嬉しい。

 受付フロアへ到着した。近くのソファーへ座ると、飲み物を渡された。そばの自販機で買った豆乳だ。

「これを飲め」
「ストレートは苦手なんだよ。帰ってから飲むよ。コーヒーに入れて……」
「飲まないだろう。ここで飲んで栄養を取れ」
「分かったよ……」

 諦めてパックにストローを刺した。黒崎はよく食べるし、滅多に風邪を引かない。毎日の筋トレも欠かさない。飲み会ではお酒ばかり飲んでいるが、普段から気を付けているから元気だ。今までも、外食先では栄養を考えて食べていたそうだ。子供の頃はシェフが作ったご飯を食べていて、きめ細かく献立が考えられていた。喘息があったせいもある。そのせいか、一人暮らしを始めた後も食生活には気遣っていたそうだ。

「鉄板焼き店へ行こう。野菜もある。たまには肉を食べろ」
「黒崎さんみたいな、大食いは出来ないんだよー」
「スイーツで栄養を取るな」
「分かったよ……」
「中山夏樹さーーん」

 いいタイミングで名前を呼ばれた。受付へ行くと、今回の検査結果を受け取った。沢山の書類があるから驚いた。転院するからだろう。それらを受け取り、病院を後にした。

 すると、黒崎が急に早足で歩き出した。急いでいるようだ。まるで置いて行かれるような状態になったから、慌てて声を掛けた。しかし、こっちへ戻って来る気配がない。

「どうして置いていくんだよ~」
「……早く来い」
「さっきまで優しくしてくれたのにっ」
「……何もなかったからだ」
「何もなくても優しくしてよっ」
「……置いていくぞ」
「膝が痛むのに。今夜は送別会だよね?ラストの。夜中に帰って来るんだよね?」
「……俺が悪かった」
「うんっ」

 たまにつれなくなる態度を取られることがある。その理由を教えてもらったが、納得できなかった。俺が素直になると、機嫌を取らなくて済むからだった。優しくされたいなら機嫌を損ね続ける必要がある。そんなことはしたくない。立ち止まって動かないでいると戻って来て、ちゃんと手を引いてもらえた。
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