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# act16 二度目の撃沈
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病室に顔を覗かせると、ラゼルは意外と元気そうだった。
骨折したらしく、固定された足をポンポンと叩いて「落書きしていくか?」なんて聞いてくる。
「どうしたんですか?」
「ちょっとドジっちまってよ」
「気を付けてくださいよ」
言いながらラゼルの近くに行こうとすると、セシル先生の腕が僕の体を阻んだ。
「それ以上、近寄らないほうがいい」
「え? なんで?」
「……誘発フェロモンが強い」
「でも僕、耐性薬を飲んでますけど」
「……こいつは……君を、口説きにかかるだろう」
「ふられてるけどな」
ラゼルは心底楽しそうにくっ、くっ、くっと笑った。
「なんだ、一丁前に嫉妬するようになったじゃねえか」
その言葉は、僕には衝撃だった。
セシル先生が、ラゼルに嫉妬?
「お前、そんなんでまだ実験体ごっこやってんのか? それだったら俺が口説いても問題ないだろう?」
「ユウくんは……私の、契約した……等級Ⅴの、実験体、だ……」
その言葉を聞いて、僕の心臓はきゅうっと縮んだ。
本当のことなのに、どうして胸が痛くなるんだろう。
ラゼルは露骨に不機嫌そうに「チッ」と舌を鳴らした。
「まあいい、それで……」
そのとき病室に、小さなノックの音が響いた。間髪入れずにドアが空き、ベータらしい黒髪の青年が入ってきた。
「失礼します。ラゼルさん、検温の時間ですよ」
目の前でてきぱき処置されているラゼルを見て、やっぱり検温ってこうだよね、と改めて思った。
「……それで、ユウ、ここまではどうやって来たんだ?」
「特急で……」
「おお、俺も乗ったやつだ。最初は面白いけど、三時間は長いよな。退屈だっただろ」
「あ、いえ。ビュー・スイートってとこで映画見てたので」
「セシルと?」
「はい、見たかったオダモ監督の最新作がもう選べて」
「ほう、セシルが恋愛映画ねえ……」
含みを持たせた言い方に、セシルのこめかみがぴくりと動いた。
「わあ、ビュー・スイートなんてすごい! そんな部屋で恋愛映画なんて、いいなぁ。素敵な彼氏ですね!」
ベータの青年の言葉に、僕は一瞬、何のことを言われているのか分からなかった。
――彼氏?
ベータの青年は何気ない感じで呟いた。
「僕もそんなに大事にしてくれる彼氏が欲しいな」
「おっと、お前、彼氏募集中だったのか? 俺はどうだ?」
「残念でした、あなたのフェロモンは僕には効きませんから」
てきぱきと器具を片付けて、青年は「失礼しました」と出て行ってしまった。
僕がぼんやりしていると、セシル先生がパイプ椅子を背後に置いて「座って」と言ってきた。
「ラゼルが君に話があるそうだ」
「えっ、僕に?」
「……私は外に出ている」
セシル先生も外に出てしまい、この病室でラゼルと二人っきりになった。
なんか二人が示し合わせていたようで、何の話が始まるのかと不安になってきた。
「なんなんですか、話って」
「いや、前に俺がお前に言ったこと、覚えてるか?」
「……自由をくれるって話ですか?」
「そうだ。……あれは今も本気だ」
ラゼルの目は真剣だった。真正面からの視線に、目を逸らしたのは僕の方だった。
「僕、返事しましたよね」
「あれから気持ちは変わんねえのか」
「はい」
「セシルはお前のことを実験体だと言った」
ずくん、と胸が痛む。火傷のあとを擦られてるみたい。
「そういう契約ですから」
「いいのか、それで」
「…………」
僕は不覚にも黙り込んでしまった。
以前は契約のほうが安心だとはっきり言えた。
でもなぜ、今はそれが言えないのだろう。
なぜ、関係ないはずの、今日のビュー・スイートでのキスが浮かんでくるの?
「け、契約は変えようが……」
そこまで言って愕然とした。
「……分かったようだな。そうだ、等級Ⅴの契約は、セシル側からは破棄できない。お前が破棄するんだ」
心臓が外で鳴っているみたいに遠くて、苦しい。
冷たくなっていく指先を握りしめて、僕はなんとか言葉を紡いだ。
「な、なんで破棄しなきゃ……」
「それ以上の関係になりたいんだろう?」
「だって、契約をなくして……もし、他の関係になれても、いつ無くなるか分からないんだよ?」
セシル先生だって受け入れてくれるか分からないし、すぐに飽きるかもしれない。
自分がみっともないことを言っているのは分かっている。でも、踏み出す勇気も、自信もない。
ラゼルはふっと笑った。
「恋って、そんなもんだろ?」
悔しい、フェロモン頼みの恋愛しかしてこなかったアルファにそんなこと言われるなんて!
大体、なぜそんなことを……。
病室の扉に、先ほど出ていったセシル先生の後ろ姿が重なった。
「先生が……セシル先生がその話をするように言ったの?」
だが、ラゼルは小さく首を振った。
「セシルには、最後にお前を口説かせてくれと言った。お前にも選ぶ権利があるからと」
その言葉は、今までのどの言葉より重く、腹の奥を殴られたみたいだった。
「先生……いいって言ったの? 僕がラゼルさんを選んでも?」
ほとんど、泣き声だった。
ラゼルの口の端が、痛々しげに引き攣った。
「セシルだって分かっている。自分がお前を守れない存在だってことをな」
「……先生は、僕を手放しても……いいんだ」
熱に浮かされているように呟いた。何かを言わないとおかしくなりそうで、絞り出した声は、自分でもぎょっとするほど上ずっていた。
「聞け、俺じゃなくても、アルファは紹介できる。誠実なアルファは他にもいる。お前を守れるアルファだ」
「僕はっ! 変態でも、フェロモンが無くても、セシル先生がいいんだっ!!」
僕は怒りと、悲しみと、それ以上の興奮に突き動かされて、病室から外に飛び出した。
※ ※ ※
ぽつんと一人、取り残されたラゼルの病室に、先ほどのベータの青年がひょいと顔を覗かせた。
「すごい音がしましたが、大丈夫ですか?」
「体は何ともないが、心が重症だ。また振られちまったみたいだ」
「あらら」
青年は楽しそうに笑った。
「いいですね、じゃあ僕が慰めてあげましょうか?」
「ばーか、失恋したからってホイホイ次に行けるかよ」
ラゼルも唇に楽しそうな笑みを浮かべた。
骨折したらしく、固定された足をポンポンと叩いて「落書きしていくか?」なんて聞いてくる。
「どうしたんですか?」
「ちょっとドジっちまってよ」
「気を付けてくださいよ」
言いながらラゼルの近くに行こうとすると、セシル先生の腕が僕の体を阻んだ。
「それ以上、近寄らないほうがいい」
「え? なんで?」
「……誘発フェロモンが強い」
「でも僕、耐性薬を飲んでますけど」
「……こいつは……君を、口説きにかかるだろう」
「ふられてるけどな」
ラゼルは心底楽しそうにくっ、くっ、くっと笑った。
「なんだ、一丁前に嫉妬するようになったじゃねえか」
その言葉は、僕には衝撃だった。
セシル先生が、ラゼルに嫉妬?
「お前、そんなんでまだ実験体ごっこやってんのか? それだったら俺が口説いても問題ないだろう?」
「ユウくんは……私の、契約した……等級Ⅴの、実験体、だ……」
その言葉を聞いて、僕の心臓はきゅうっと縮んだ。
本当のことなのに、どうして胸が痛くなるんだろう。
ラゼルは露骨に不機嫌そうに「チッ」と舌を鳴らした。
「まあいい、それで……」
そのとき病室に、小さなノックの音が響いた。間髪入れずにドアが空き、ベータらしい黒髪の青年が入ってきた。
「失礼します。ラゼルさん、検温の時間ですよ」
目の前でてきぱき処置されているラゼルを見て、やっぱり検温ってこうだよね、と改めて思った。
「……それで、ユウ、ここまではどうやって来たんだ?」
「特急で……」
「おお、俺も乗ったやつだ。最初は面白いけど、三時間は長いよな。退屈だっただろ」
「あ、いえ。ビュー・スイートってとこで映画見てたので」
「セシルと?」
「はい、見たかったオダモ監督の最新作がもう選べて」
「ほう、セシルが恋愛映画ねえ……」
含みを持たせた言い方に、セシルのこめかみがぴくりと動いた。
「わあ、ビュー・スイートなんてすごい! そんな部屋で恋愛映画なんて、いいなぁ。素敵な彼氏ですね!」
ベータの青年の言葉に、僕は一瞬、何のことを言われているのか分からなかった。
――彼氏?
ベータの青年は何気ない感じで呟いた。
「僕もそんなに大事にしてくれる彼氏が欲しいな」
「おっと、お前、彼氏募集中だったのか? 俺はどうだ?」
「残念でした、あなたのフェロモンは僕には効きませんから」
てきぱきと器具を片付けて、青年は「失礼しました」と出て行ってしまった。
僕がぼんやりしていると、セシル先生がパイプ椅子を背後に置いて「座って」と言ってきた。
「ラゼルが君に話があるそうだ」
「えっ、僕に?」
「……私は外に出ている」
セシル先生も外に出てしまい、この病室でラゼルと二人っきりになった。
なんか二人が示し合わせていたようで、何の話が始まるのかと不安になってきた。
「なんなんですか、話って」
「いや、前に俺がお前に言ったこと、覚えてるか?」
「……自由をくれるって話ですか?」
「そうだ。……あれは今も本気だ」
ラゼルの目は真剣だった。真正面からの視線に、目を逸らしたのは僕の方だった。
「僕、返事しましたよね」
「あれから気持ちは変わんねえのか」
「はい」
「セシルはお前のことを実験体だと言った」
ずくん、と胸が痛む。火傷のあとを擦られてるみたい。
「そういう契約ですから」
「いいのか、それで」
「…………」
僕は不覚にも黙り込んでしまった。
以前は契約のほうが安心だとはっきり言えた。
でもなぜ、今はそれが言えないのだろう。
なぜ、関係ないはずの、今日のビュー・スイートでのキスが浮かんでくるの?
「け、契約は変えようが……」
そこまで言って愕然とした。
「……分かったようだな。そうだ、等級Ⅴの契約は、セシル側からは破棄できない。お前が破棄するんだ」
心臓が外で鳴っているみたいに遠くて、苦しい。
冷たくなっていく指先を握りしめて、僕はなんとか言葉を紡いだ。
「な、なんで破棄しなきゃ……」
「それ以上の関係になりたいんだろう?」
「だって、契約をなくして……もし、他の関係になれても、いつ無くなるか分からないんだよ?」
セシル先生だって受け入れてくれるか分からないし、すぐに飽きるかもしれない。
自分がみっともないことを言っているのは分かっている。でも、踏み出す勇気も、自信もない。
ラゼルはふっと笑った。
「恋って、そんなもんだろ?」
悔しい、フェロモン頼みの恋愛しかしてこなかったアルファにそんなこと言われるなんて!
大体、なぜそんなことを……。
病室の扉に、先ほど出ていったセシル先生の後ろ姿が重なった。
「先生が……セシル先生がその話をするように言ったの?」
だが、ラゼルは小さく首を振った。
「セシルには、最後にお前を口説かせてくれと言った。お前にも選ぶ権利があるからと」
その言葉は、今までのどの言葉より重く、腹の奥を殴られたみたいだった。
「先生……いいって言ったの? 僕がラゼルさんを選んでも?」
ほとんど、泣き声だった。
ラゼルの口の端が、痛々しげに引き攣った。
「セシルだって分かっている。自分がお前を守れない存在だってことをな」
「……先生は、僕を手放しても……いいんだ」
熱に浮かされているように呟いた。何かを言わないとおかしくなりそうで、絞り出した声は、自分でもぎょっとするほど上ずっていた。
「聞け、俺じゃなくても、アルファは紹介できる。誠実なアルファは他にもいる。お前を守れるアルファだ」
「僕はっ! 変態でも、フェロモンが無くても、セシル先生がいいんだっ!!」
僕は怒りと、悲しみと、それ以上の興奮に突き動かされて、病室から外に飛び出した。
※ ※ ※
ぽつんと一人、取り残されたラゼルの病室に、先ほどのベータの青年がひょいと顔を覗かせた。
「すごい音がしましたが、大丈夫ですか?」
「体は何ともないが、心が重症だ。また振られちまったみたいだ」
「あらら」
青年は楽しそうに笑った。
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「ばーか、失恋したからってホイホイ次に行けるかよ」
ラゼルも唇に楽しそうな笑みを浮かべた。
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