【完結】29歳で「売れ残り」とお見合い勧告されましたが、裏では最強のアルファ部長が「運命だ」と逃がしてくれません

Marine

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不可逆の呪文

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 月曜日の朝、俺は呆然としていた。
 本来だったら、満員電車に揺られている時間帯だ。
 いろいろな人の体臭や、整髪料、香水の匂いが充満した車内で、吊革につかまって、携帯を見ているはず――だった。

 しかし、いま俺が座っているのはふかふかの革張りのシートだ。
 そして、広々とした車内には、俺と桐生部長しかいない。
 微かに革の匂いのする高級感溢れる車内。
 俺はスモークガラスの内側から、通勤するサラリーマンたちをぼんやりと見つめていた。
 本当ならあの中に俺もいるはずなのに。

「渉……」

 彼の手が伸びてきて、ぎゅっと握られてしまった。
 指をからめる恋人つなぎ。
 でも、金曜日のタクシーの中とは違う。
 運転席と後部座席は、ミラーガラスで区切られていて、まるで真空パックされたみたいに無音だった。

――こんなことになるなんて……。

 金曜日に高級ホテルに連れていかれたことも、そこで濃厚なセックスをしてしまったことも。
 そしてその後、土、日とホテルに連泊して、月曜日の朝、一緒にハイヤーで出勤することも……。
 全て、予想もしていなかったことだった。
 
 最初は混乱しているだけだと思っていたのに、ホテルまで予約してくれていた。
 そして、週末をまるで恋人のようにいちゃいちゃしながらベッドで過ごして……。
 
――確かめるのが、怖かったのかもしれない。

 そのとき、後部座席のスピーカーから運転手の声が聞こえてきた。
 彼がマイクを使って短く指示を出している。

「~そうだ、その本社前に停めてくれ。ああ、横づけでかまわない」

 手慣れた指示。そういえば、部長は時々、ハイヤーで出社することがあった。
 瞬間、俺の頭の中で動画が再生された。
 黒塗りの磨き上げられたこの車が本社ビルの前に横づけされる。
 そこから、颯爽と降りてくる桐生部長。受付のオメガたちが、素早く見つけて駆け寄ってくる。
 ……そしてなぜか、その後から出て来る俺……。固まるオメガたち……。
 駄目だ、その想像の通りになるなんて、耐えられない!

「ぶっ、部長!」

 慌てて呼んだら、なぜか鋭い目つきで睨まれてしまった。

「……二人のときは?」
「あ、あきら……さん」

 そうだ、土日でたたき込まれたのに、つい仕事モードになっていつもの癖が……じゃない。

「あの、この車を本社前に横づけするんですか?」
「そうだ」
「俺だけ……近くで下ろしてもらう訳には……」
「なぜだ」
「目立つので……」
「? 俺は別にかまわないし、腰が痛むだろうから移動距離は少ないほうがいいだろう」

 そう言われて、真っ赤になってしまった。
 あんなに激しくされて、確かに一時的に歩けないほど足腰に力が入らなくなってしまったが、さすがにもう回復している。
 大丈夫ですから、と言いかけて、このままでは押し問答になってしまうと気がついた。
 彼は理由を聞いてきた。なにか理由があればいいんだ。

「コーヒー飲みたくて……あの、会社の二本裏手にある……小さなカフェの」
「そうか、わかった」

 部長は思いのほか、すぐに了承してくれた。
 ほっとしたのも束の間、冷たい調子で運転手に指示していた彼の声が、マイクを切った途端に甘くなった。

「もっとこっちに来い。この車なら、通行人から見えないからいいだろう?」

 土日はずっと裸で抱き合って、体が溶けてしまうのではないかと思った。
 でも、こうしてスーツを着て外に出ると、くっつくのは恥ずかしい。
 
 戸惑っていると、強引に抱き寄せられてしまった。
 その腕の中で、ふと思った。

――この土日、繰り返し言われたことは『後戻りするな』ということだった。
 それを確かめるように、彼はこうやって車の中で手を繋いできた。

 じゃあ、もしかして……ホテルでされた、セックスや、後処理や、あーんも……?
 全部、この先、一度受け入れたことは拒否したらダメなのか?
 
 いまもこうやって、『車の中で抱き寄せられる』ということを許してしまった。
 俺はホテルで、いくつ既成事実を積み上げた――?

 彼の大きな手が、顎に触れてきた。
 それは愛おしむように優しく輪郭をたどり、親指が下唇に触れた。

 駄目だ、拒否しないと駄目なのに。
 なぜか俺のからだは動かなかった。

 彼の唇がゆっくりと重なってくる。
 この三日間、ベッドで彼を覚えされられた唇は、すぐに溶け合ってしまった。
 頭は焦っているのに、舌は嬉しそうに彼を求めてしまう。

 お互いにスーツで、ハイヤーの中でこんなキス……いけないのに。
 運転席に聞こえないと分かってるのに、大胆に聞こえてくるキスの音に、心臓が止まりそうだった。
 
「もうすぐ、会社に着くぞ」

 耳元で囁かれて、俺は思わず彼のネクタイを掴んでしまった。
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