3 / 26
3
しおりを挟む
「……というわけで、お父様。シビラの婚約破棄の件ですが、全面的に白紙撤回。むしろ婚姻を早めることで合意しました」
王宮の奥深く、国王の執務室。
アルフォンス殿下は、こともなげにそう報告した。
デスクの向こう側で、威厳たっぷりに座る国王陛下が「ほう」と眉を上げる。
(違う、そうじゃないんです陛下! 今の報告には重大な虚偽が含まれていますわ!)
シビラは隣で膝を突きながら、心の中で激しく抗議した。
合意なんてしていない。あれは一方的な通告だ。ブラック企業の社長が、辞表を出した社員を「君、来月から部長ね」と強引に引き止めるような暴挙である。
「待ってください、陛下! 私は……私はリュミエール様に、精神的苦痛を与えたのです。先ほど殿下も、大衆の前で私の罪状を読み上げられたではありませんか!」
シビラは必死に食い下がる。
ここで陛下に「不届き者め!」と言ってもらえれば、まだ望みはある。
「うむ。アルフォンス、先ほどのパーティーでの騒ぎは耳に入っている。シビラ嬢が、リュミエール嬢を執務室に三日三晩監禁したというのは、事実か?」
「はい! 事実でございます! 私は彼女に、寝る間も惜しんで膨大な量の書類を処理させたのです! これこそ、貴族令嬢としてあるまじき虐待ではありませんか!」
シビラは胸を張って答えた。
さあ、言って。早く「そんな残酷な女は王宮から出ていけ」と言って。
しかし、陛下は深く溜息をつくと、なぜか慈愛に満ちた目でシビラを見つめた。
「……シビラ嬢。お前のその『厳しさ』こそが、今のこの国に必要なのだ。あの怠慢な財務官たちでさえ一週間かかる予算の組み直しを、わずか三日で終わらせるよう指導したというのだろう? それは虐待ではなく、奇跡の教育術だ」
「えっ」
「リュミエール嬢からも先ほど手紙が届いた。『シビラ様のおかげで、自分の限界を超えた景色を見ることができました。一生ついていきます』とな。お前は彼女に、労働の喜びを教えたのだな」
(違う。彼女がちょっと労働のしすぎで、脳内麻薬が出ちゃってるだけですわ陛下!)
シビラは頭を抱えた。
リュミエールは天才すぎて、過酷な環境を「自分の成長のための修行」と捉えてしまったらしい。
「陛下! それだけではありません。私は彼女の私物を隠し、高価な魔導具を無理やり押し付けたのです! これは贅沢の強要……」
「シビラ、もういいんだ」
アルフォンスが、シビラの肩を優しく抱き寄せる。
その手には、絶対に逃がさないという強い力がこもっていた。
「父上も見ての通り、彼女はあまりにも謙虚なんです。自分の功績を、わざわざ『悪事』と称して隠そうとする。これほど王妃にふさわしい奥ゆかしい女性が、他にいるでしょうか?」
「いかにも。シビラ嬢、お前がこれほどまでに国を思い、後進の育成に励んでいたとは知らなかった。これまでの苦労、報いねばなるまい」
陛下は満足げに頷くと、傍らに控えていた文官に告げた。
「シビラ嬢に、王宮内の第一執務室の使用権を与えよ。さらに、全省庁の書類の閲覧権限を付与する。彼女がより円滑に、次世代の官僚たちを教育できるようにな」
「……は?」
シビラは耳を疑った。
閲覧権限? 第一執務室?
それは、今まで以上に働けということではないか。
「おめでとう、シビラ。これで君の指導を仰ぎたいという若手官僚たちが、行列を作って待つことになるね」
「殿下……。私は、隠居したいと言ったはずですが……」
「おや、そんな話は聞いていないな。君の言っていた『自由になりたい』というのは、『もっと権限を増やして自由に国を動かしたい』という意味だろう? ちゃんと察しているよ」
(察し方が最悪ですわ! 誰か、この有能すぎる王子を止めて!)
シビラの理想とする「自堕落な隠居生活」は、もはや蜃気楼のように遠のいている。
断罪されるはずのパーティーは、蓋を開けてみれば「シビラ有能説」を公式が追認するだけのイベントに成り下がっていた。
「陛下、もう一度だけ……! 私は本当に、性格が歪んでいるんです! 今日も、殿下を困らせるために、わざと宝石店で一番高いネックレスを注文したんですのよ!」
「ほう、それはいい。王妃となる者が、自国の経済を回すのは良いことだ。その店は私の馴染みだ、領収書は王宮に回しておけ」
「……っ!」
何を言っても、すべて「良い方向」に解釈されてしまう。
これが有能すぎる者の悲劇なのか。
シビラは、冷たい床に膝をつき、天を仰いだ。
「ああ……。私の朝寝坊プランが、バカンス計画が……」
「シビラ、早速だけど、来週の外交官との会食の資料、目を通しておいてくれるかな? 君の意見がないと、僕は不安で夜も眠れないんだ」
「殿下の不眠症なんて知ったことではありませんわ! 私は今すぐ、永遠に眠りたいんですの!」
「ははは、相変わらず冗談が上手いな。さあ、執務室へ行こうか。君の大好きな高級茶葉と、新作の焼き菓子を用意させてあるから」
(……食べ物の誘惑に、負けてたまるもんですか……!)
しかし、シビラの胃袋は、あまりにも正直に反応してしまう。
有能な王子に腕を引かれ、シビラは絶望の表情(と、わずかな食欲)を浮かべながら、再びブラックな職場へと連行されていくのだった。
王宮の奥深く、国王の執務室。
アルフォンス殿下は、こともなげにそう報告した。
デスクの向こう側で、威厳たっぷりに座る国王陛下が「ほう」と眉を上げる。
(違う、そうじゃないんです陛下! 今の報告には重大な虚偽が含まれていますわ!)
シビラは隣で膝を突きながら、心の中で激しく抗議した。
合意なんてしていない。あれは一方的な通告だ。ブラック企業の社長が、辞表を出した社員を「君、来月から部長ね」と強引に引き止めるような暴挙である。
「待ってください、陛下! 私は……私はリュミエール様に、精神的苦痛を与えたのです。先ほど殿下も、大衆の前で私の罪状を読み上げられたではありませんか!」
シビラは必死に食い下がる。
ここで陛下に「不届き者め!」と言ってもらえれば、まだ望みはある。
「うむ。アルフォンス、先ほどのパーティーでの騒ぎは耳に入っている。シビラ嬢が、リュミエール嬢を執務室に三日三晩監禁したというのは、事実か?」
「はい! 事実でございます! 私は彼女に、寝る間も惜しんで膨大な量の書類を処理させたのです! これこそ、貴族令嬢としてあるまじき虐待ではありませんか!」
シビラは胸を張って答えた。
さあ、言って。早く「そんな残酷な女は王宮から出ていけ」と言って。
しかし、陛下は深く溜息をつくと、なぜか慈愛に満ちた目でシビラを見つめた。
「……シビラ嬢。お前のその『厳しさ』こそが、今のこの国に必要なのだ。あの怠慢な財務官たちでさえ一週間かかる予算の組み直しを、わずか三日で終わらせるよう指導したというのだろう? それは虐待ではなく、奇跡の教育術だ」
「えっ」
「リュミエール嬢からも先ほど手紙が届いた。『シビラ様のおかげで、自分の限界を超えた景色を見ることができました。一生ついていきます』とな。お前は彼女に、労働の喜びを教えたのだな」
(違う。彼女がちょっと労働のしすぎで、脳内麻薬が出ちゃってるだけですわ陛下!)
シビラは頭を抱えた。
リュミエールは天才すぎて、過酷な環境を「自分の成長のための修行」と捉えてしまったらしい。
「陛下! それだけではありません。私は彼女の私物を隠し、高価な魔導具を無理やり押し付けたのです! これは贅沢の強要……」
「シビラ、もういいんだ」
アルフォンスが、シビラの肩を優しく抱き寄せる。
その手には、絶対に逃がさないという強い力がこもっていた。
「父上も見ての通り、彼女はあまりにも謙虚なんです。自分の功績を、わざわざ『悪事』と称して隠そうとする。これほど王妃にふさわしい奥ゆかしい女性が、他にいるでしょうか?」
「いかにも。シビラ嬢、お前がこれほどまでに国を思い、後進の育成に励んでいたとは知らなかった。これまでの苦労、報いねばなるまい」
陛下は満足げに頷くと、傍らに控えていた文官に告げた。
「シビラ嬢に、王宮内の第一執務室の使用権を与えよ。さらに、全省庁の書類の閲覧権限を付与する。彼女がより円滑に、次世代の官僚たちを教育できるようにな」
「……は?」
シビラは耳を疑った。
閲覧権限? 第一執務室?
それは、今まで以上に働けということではないか。
「おめでとう、シビラ。これで君の指導を仰ぎたいという若手官僚たちが、行列を作って待つことになるね」
「殿下……。私は、隠居したいと言ったはずですが……」
「おや、そんな話は聞いていないな。君の言っていた『自由になりたい』というのは、『もっと権限を増やして自由に国を動かしたい』という意味だろう? ちゃんと察しているよ」
(察し方が最悪ですわ! 誰か、この有能すぎる王子を止めて!)
シビラの理想とする「自堕落な隠居生活」は、もはや蜃気楼のように遠のいている。
断罪されるはずのパーティーは、蓋を開けてみれば「シビラ有能説」を公式が追認するだけのイベントに成り下がっていた。
「陛下、もう一度だけ……! 私は本当に、性格が歪んでいるんです! 今日も、殿下を困らせるために、わざと宝石店で一番高いネックレスを注文したんですのよ!」
「ほう、それはいい。王妃となる者が、自国の経済を回すのは良いことだ。その店は私の馴染みだ、領収書は王宮に回しておけ」
「……っ!」
何を言っても、すべて「良い方向」に解釈されてしまう。
これが有能すぎる者の悲劇なのか。
シビラは、冷たい床に膝をつき、天を仰いだ。
「ああ……。私の朝寝坊プランが、バカンス計画が……」
「シビラ、早速だけど、来週の外交官との会食の資料、目を通しておいてくれるかな? 君の意見がないと、僕は不安で夜も眠れないんだ」
「殿下の不眠症なんて知ったことではありませんわ! 私は今すぐ、永遠に眠りたいんですの!」
「ははは、相変わらず冗談が上手いな。さあ、執務室へ行こうか。君の大好きな高級茶葉と、新作の焼き菓子を用意させてあるから」
(……食べ物の誘惑に、負けてたまるもんですか……!)
しかし、シビラの胃袋は、あまりにも正直に反応してしまう。
有能な王子に腕を引かれ、シビラは絶望の表情(と、わずかな食欲)を浮かべながら、再びブラックな職場へと連行されていくのだった。
0
あなたにおすすめの小説
遊び人の侯爵嫡男がお茶会で婚約者に言われた意外なひと言
夢見楽土
恋愛
侯爵嫡男のエドワードは、何かと悪ぶる遊び人。勢いで、今後も女遊びをする旨を婚約者に言ってしまいます。それに対する婚約者の反応は意外なもので……
短く拙いお話ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
このお話は小説家になろう様にも掲載しています。
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
四季
恋愛
明日結婚式でした。しかし私は見てしまったのです――非常に残念な光景を。……ではさようなら、婚約は破棄です。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
捨てられた者同士でくっ付いたら最高のパートナーになりました。捨てた奴らは今更よりを戻そうなんて言ってきますが絶対にごめんです。
亜綺羅もも
恋愛
アニエル・コールドマン様にはニコライド・ドルトムルという婚約者がいた。
だがある日のこと、ニコライドはレイチェル・ヴァーマイズという女性を連れて、アニエルに婚約破棄を言いわたす。
婚約破棄をされたアニエル。
だが婚約破棄をされたのはアニエルだけではなかった。
ニコライドが連れて来たレイチェルもまた、婚約破棄をしていたのだ。
その相手とはレオニードヴァイオルード。
好青年で素敵な男性だ。
婚約破棄された同士のアニエルとレオニードは仲を深めていき、そしてお互いが最高のパートナーだということに気づいていく。
一方、ニコライドとレイチェルはお互いに気が強く、衝突ばかりする毎日。
元の婚約者の方が自分たちに合っていると思い、よりを戻そうと考えるが……
新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました
ささい
恋愛
「愛人がいるから、白い結婚にしてほしい」
政略結婚の初夜にそう告げた夫ルーファス。
妻カレンの反応は——
「それ、契約不履行ですよね?」
「あなたの感情論、論理的に破綻してますよ?」
泣き落としは通じない。
そして初夜の翌朝、夫は泣いていた。
逃げ道は全部塞がれ、気づけば毎日論破されていた。
これは、論破され続けた夫がなぜか幸せになる話。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる