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「……どうして、こうなったのかしら」
自室に戻ったシビラは、豪華な刺繍が施されたクッションに顔を埋めていた。
目の前には、アルフォンス殿下から託された「密偵再教育プログラム」の資料。そして、リュミエールから届いた「明日のお勉強が楽しみです!」という、可愛らしい装飾文字の付いた手紙が置かれている。
すべては、数ヶ月前のあの日に始まったのだ。
当時、シビラは王宮の地下にある臨時執務室で、三日三晩、一歩も外に出ずに「隣国との関税調整案」を書き上げていた。
(もう嫌……。こんな生活、おしまいにしてやるわ……!)
鏡に映った自分の顔は、死人のように青白かった。
公爵令嬢として完璧に育てられたツケが、この殺人的なスケジュールとなって跳ね返ってきたのだ。
シビラは決意した。自分と同じ、あるいは自分を超える「有能な後釜」を見つけて、すべての仕事を押し付けて隠居しようと。
変装して城下町へ繰り出したシビラは、獲物を探した。
そこで出会ったのが、露店で商人と激しい言い合いをしていた少女、リュミエールだった。
「おじさん、この計算は間違っています! 先週の仕入れ値と、今日の卸値を比較すれば、この税率は明らかにおかしいですわ! 法律の第15条第4項によれば……」
「うるせえ! 小娘がガタガタ抜かすな! 商売の邪魔だ!」
シビラは、少女の言葉を聞き逃さなかった。
(法律の条文を暗記しているだけでなく、市場の流動的な価格変動を瞬時に計算して、矛盾を突いた……?)
シビラは震えた。恐怖ではない。あまりにも理想的な「獲物」を見つけた喜びで。
「――そこまでになさい。その娘の言うことが正しいわ」
シビラは商人の前に立ちはだかった。
「な、なんだあんたは。貴族風の服を着て……」
「通りすがりの、法律マニアですわ。さあ、この計算式の不備を、衛兵所に報告されたくなければ、さっさと店を畳んで消えなさい」
冷徹な声で一喝すると、商人は顔を真っ赤にして逃げ去った。
一人残された少女、リュミエールは、目を丸くしてシビラを見上げていた。
「あ、ありがとうございます! あの、お姉様は一体……?」
「……リュミエール、と言いましたわね? あなた、いい計算能力を持っていますわ」
シビラは怪しく微笑んだ。
「どうかしら。私の下で働いてみない? 美味しいお菓子と、ふかふかのベッド。そして、この国を動かすという『知的興奮』を約束してあげるわ」
「えっ……。でも私、ただの没落しかけた男爵家の娘で……」
「関係ありませんわ。私が欲しいのは、あなたのその『脳』だけ。さあ、私の手を取りなさい。後悔はさせないわ(私が隠居できるという意味で)」
これが、すべての始まりだった。
シビラはリュミエールを王宮に招き入れると、即座に「悪役令嬢による過酷な指導」という名の英才教育を開始した。
「リュミエール! この経済白書の内容を、一時間以内に要約して提出しなさい! できなければ、夕食は抜きですわよ!(本当は豪華な夜食を準備済み)」
「はい、シビラ様! 頑張ります!」
「何をのろのろしていますの! この予算案のミスを見抜けないようでは、私の後釜なんて務まりませんわ!(あ、ここは難しいからヒントを置いておきましょう)」
「シビラ様……! なんて厳しく、情熱的なご指導……!」
シビラは、リュミエールが音を上げて「もう嫌です! シビラ様なんて大嫌い!」と逃げ出すのを待っていた。
そうすれば、アルフォンス殿下に「私は彼女をいじめた最低な女です」と報告し、婚約破棄を勝ち取れるはずだったのだ。
しかし、現実は非情だった。
「シビラ様! 新しい課題をください! 私、シビラ様のお役に立ちたいんです!」
リュミエールは、いじめられればいじれられるほど、シビラへの崇拝を深めていった。
彼女にとって、シビラは自分を引き上げてくれた女神であり、道を示す北極星になってしまったのだ。
(……私の教育方針、どこで間違ったのかしら)
回想を終え、シビラは再び現実の書類の山に目を落とした。
かつて自分がスカウトした「有能な後釜」は、今や「絶対に逃がさない最強の門番」へと進化を遂げてしまった。
「シビラ様ー! 朝のご挨拶に伺いました!」
ドアが勢いよく開き、キラキラした笑顔のリュミエールが飛び込んでくる。
「……リュミエール。あなた、今日は休みのはずでは?」
「シビラ様がお仕事をしているのに、私が休めるわけありませんわ! さあ、一緒に頑張りましょう!」
「ああ……。私の自由が、また遠ざかっていく……」
シビラの嘆きは、リュミエールの明るい笑い声にかき消されていった。
自室に戻ったシビラは、豪華な刺繍が施されたクッションに顔を埋めていた。
目の前には、アルフォンス殿下から託された「密偵再教育プログラム」の資料。そして、リュミエールから届いた「明日のお勉強が楽しみです!」という、可愛らしい装飾文字の付いた手紙が置かれている。
すべては、数ヶ月前のあの日に始まったのだ。
当時、シビラは王宮の地下にある臨時執務室で、三日三晩、一歩も外に出ずに「隣国との関税調整案」を書き上げていた。
(もう嫌……。こんな生活、おしまいにしてやるわ……!)
鏡に映った自分の顔は、死人のように青白かった。
公爵令嬢として完璧に育てられたツケが、この殺人的なスケジュールとなって跳ね返ってきたのだ。
シビラは決意した。自分と同じ、あるいは自分を超える「有能な後釜」を見つけて、すべての仕事を押し付けて隠居しようと。
変装して城下町へ繰り出したシビラは、獲物を探した。
そこで出会ったのが、露店で商人と激しい言い合いをしていた少女、リュミエールだった。
「おじさん、この計算は間違っています! 先週の仕入れ値と、今日の卸値を比較すれば、この税率は明らかにおかしいですわ! 法律の第15条第4項によれば……」
「うるせえ! 小娘がガタガタ抜かすな! 商売の邪魔だ!」
シビラは、少女の言葉を聞き逃さなかった。
(法律の条文を暗記しているだけでなく、市場の流動的な価格変動を瞬時に計算して、矛盾を突いた……?)
シビラは震えた。恐怖ではない。あまりにも理想的な「獲物」を見つけた喜びで。
「――そこまでになさい。その娘の言うことが正しいわ」
シビラは商人の前に立ちはだかった。
「な、なんだあんたは。貴族風の服を着て……」
「通りすがりの、法律マニアですわ。さあ、この計算式の不備を、衛兵所に報告されたくなければ、さっさと店を畳んで消えなさい」
冷徹な声で一喝すると、商人は顔を真っ赤にして逃げ去った。
一人残された少女、リュミエールは、目を丸くしてシビラを見上げていた。
「あ、ありがとうございます! あの、お姉様は一体……?」
「……リュミエール、と言いましたわね? あなた、いい計算能力を持っていますわ」
シビラは怪しく微笑んだ。
「どうかしら。私の下で働いてみない? 美味しいお菓子と、ふかふかのベッド。そして、この国を動かすという『知的興奮』を約束してあげるわ」
「えっ……。でも私、ただの没落しかけた男爵家の娘で……」
「関係ありませんわ。私が欲しいのは、あなたのその『脳』だけ。さあ、私の手を取りなさい。後悔はさせないわ(私が隠居できるという意味で)」
これが、すべての始まりだった。
シビラはリュミエールを王宮に招き入れると、即座に「悪役令嬢による過酷な指導」という名の英才教育を開始した。
「リュミエール! この経済白書の内容を、一時間以内に要約して提出しなさい! できなければ、夕食は抜きですわよ!(本当は豪華な夜食を準備済み)」
「はい、シビラ様! 頑張ります!」
「何をのろのろしていますの! この予算案のミスを見抜けないようでは、私の後釜なんて務まりませんわ!(あ、ここは難しいからヒントを置いておきましょう)」
「シビラ様……! なんて厳しく、情熱的なご指導……!」
シビラは、リュミエールが音を上げて「もう嫌です! シビラ様なんて大嫌い!」と逃げ出すのを待っていた。
そうすれば、アルフォンス殿下に「私は彼女をいじめた最低な女です」と報告し、婚約破棄を勝ち取れるはずだったのだ。
しかし、現実は非情だった。
「シビラ様! 新しい課題をください! 私、シビラ様のお役に立ちたいんです!」
リュミエールは、いじめられればいじれられるほど、シビラへの崇拝を深めていった。
彼女にとって、シビラは自分を引き上げてくれた女神であり、道を示す北極星になってしまったのだ。
(……私の教育方針、どこで間違ったのかしら)
回想を終え、シビラは再び現実の書類の山に目を落とした。
かつて自分がスカウトした「有能な後釜」は、今や「絶対に逃がさない最強の門番」へと進化を遂げてしまった。
「シビラ様ー! 朝のご挨拶に伺いました!」
ドアが勢いよく開き、キラキラした笑顔のリュミエールが飛び込んでくる。
「……リュミエール。あなた、今日は休みのはずでは?」
「シビラ様がお仕事をしているのに、私が休めるわけありませんわ! さあ、一緒に頑張りましょう!」
「ああ……。私の自由が、また遠ざかっていく……」
シビラの嘆きは、リュミエールの明るい笑い声にかき消されていった。
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