隠居したいのでいい加減、婚約破棄してくれませんか?

小梅りこ

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「……ふふ、ふふふ。今度こそ完璧な計画を思いつきましたわ」


シビラは執務室の窓際で、優雅に紅茶を啜りながら不敵な笑みを浮かべていた。


書類仕事で精神を削るのがダメなら、肉体的に追い詰めればいい。


そう、年頃の令嬢にとって、最も過酷で、最も精神を摩耗させる儀式――。


「終わりのないドレスの試着。これこそが、彼女に王宮生活の絶望を教える最高の嫌がらせですわ!」


一般的に、社交界の令嬢にとってドレス選びは楽しみの一つだが、それが「数百着」に及び、一日のうち十時間以上も立ちっぱなしで着替えを強要されるとなれば、話は別だ。


コルセットを締め上げられ、重いスカートを捌き、慣れないヒールで立ち続ける。


シビラは即座に、王都一番の老舗仕立て屋を呼び出した。


「リュミエール様! 至急、私の部屋へ来なさい!」


数分後、扉を叩く音とともに、期待に胸を膨らませたリュミエールが駆け込んできた。


「シビラ様! お呼びでしょうか! また新しい予算案のチェックですか!?」


「いいえ、今日は仕事は一切させませんわ。見なさい、このドレスの山を」


シビラが指差した先には、色とりどりのシルクやレースが溢れんばかりに積まれていた。


「……わあ、綺麗! でも、これは一体……?」


「婚約破棄を免れた(最悪なことに)祝いですわ。これからあなたに、これら全てのドレスを試着してもらいます。いいえ、拒否は許しません。私が納得するまで、一歩もこの部屋から出しませんわよ!」


これぞ悪役令嬢。権力に物を言わせた、無意味な拘束。


シビラは、リュミエールが「もう足が痛いです!」「お家に帰りたい!」と泣き喚く姿を想像して、内心で喝采を送った。


「さあ、始めなさい! まずはその真っ赤なベルベットのドレスからよ!」


「……はい! シビラ様がそうおっしゃるなら!」


一時間経過。


リュミエールは十着目のドレスを着こなし、鏡の前でくるりと回った。


(ふふ、そろそろ膝に来る頃かしら……?)


「次よ! 次はそちらのフリルが三十層ある重いドレスですわ!」


二時間経過。


(……おかしいわ。彼女、まだ笑顔ですわね?)


三時間経過。


リュミエールは汗一つかかず、むしろ頬を上気させて楽しそうにポーズを決めている。


「シビラ様! このドレス、ウエストのカットが絶妙で、動きやすいです! これなら全力で階段を駆け上がって、急ぎの報告書を届けに行けますわ!」


「……何を言っているの? ドレスは走るためのものではありませんわよ」


「いいえ! シビラ様の選ぶドレスは、どれも機能性と美しさを兼ね備えています! 流石です!」


(……機能性? 私はただ、一番重くて着にくいものを選んだはずなのに!)


さらに数時間が経過し、日が傾き始めた頃。


シビラの方が先に、慣れない「監視業務」で肩が凝ってきた。


「……リュミエール。そろそろ、疲れ果てて動けないのではないかしら?」


「とんでもありません! シビラ様! 私、気づいてしまったんです!」


リュミエールは、ピンクのフリルドレスを着たまま、キラキラした目でシビラに詰め寄った。


「これ、立ち居振る舞いの特訓ですよね!? 重いドレスを着て長時間姿勢を保つことで、どんな状況でも崩れない体幹を鍛えるという……! なんて深い慈しみ!」


「……はい?」


「しかも、どれも私の瞳の色や肌の色に合わせて選んでくださって……。シビラ様、私のことをそんなに見ていてくださったなんて……私、感動で胸がいっぱいです!」


(違う。私はただ、あなたが一番似合わなそうな色を選んだつもりだったのに……!)


計算外だった。リュミエールは、シビラが予想していたよりも遥かに「素材」が良く、どんな色のドレスも着こなしてしまったのだ。


そこへ、仕事帰りのアルフォンス殿下がふらりと現れた。


「やあ、シビラ。何やら楽しそうなことをしているね」


「殿下……。見てください、私は今、彼女に過酷な試着の刑を……」


「ああ、素晴らしい。リュミエール嬢、その青いドレスは君によく似合っている。だが、こちらの真珠色のドレスは、シビラが君の肌質を考慮して特別に発注したものだろう?」


アルフォンスは、シビラが「嫌がらせ用」に用意した最高級ドレスを手に取った。


「流石は僕のシビラだ。次期王妃として、側近となる令嬢のプロデュースまで完璧にこなすとは。仕立て屋も感心していたよ。『シビラ様は一目で、どの生地が彼女の魅力を引き出すか見抜かれた』とね」


「……仕立て屋、余計なことを……!」


「シビラ様の審美眼は、神の領域ですわ!」


二人からの賞賛の嵐に、シビラは眩暈を覚えた。


「……もういいわ。今日はここまでにしましょう。リュミエール、そのドレスは全部あなたの屋敷に送りつけておきますわ(邪魔でしょうから!)」


「ええっ! こんなにたくさんの高級ドレスを!? シビラ様、一生恩に着ます!」


(……ああ、また好感度が上がってしまった。おまけに、国庫から多額の衣装代が支払われるから、経済も回ってしまったわ……)


シビラは、ぐったりとソファに沈み込んだ。


「いじめ」のつもりで用意したプレゼントが、相手を喜ばせ、自分の評価を高める結果になる。


有能すぎる悪役令嬢の嫌がらせは、今日も空振り――どころか、場外ホームランとなって自分に返ってくるのであった。


「さあ、シビラ。リュミエール嬢の着替えが終わったら、三人で夕食にしよう。君が彼女のために選んだ、栄養バランスの完璧なメニューがあるんだろう?」


「……ただの、嫌いな野菜たっぷりメニューですわよ……っ!」


「ああ、健康管理まで。本当に、君を逃がさなくて良かった」


アルフォンスの愛おしげな視線が、シビラの背中に突き刺さる。


隠居への道は、ドレスの裾に絡まって、一歩も前に進めそうになかった。
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