隠居したいのでいい加減、婚約破棄してくれませんか?

小梅りこ

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「……作戦変更ですわ。今度は『嫉妬』です。女の情念こそ、最も美しく、そして最も醜い破滅の引き金になりますわ!」


修道院から引きずり戻された翌日。シビラは執務室の豪華な椅子に深く腰掛け、鋭い視線で虚空を睨んでいた。


これまでは「自分が嫌われること」ばかりを考えていたが、それでは甘い。


(ターゲットはリュミエール様ですわ! あの方が殿下を愛しているのなら、私が殿下とイチャイチャして見せつければ、彼女は絶望し、私を『泥棒猫』と罵って刺しに来るはず!)


泥棒猫。悪役令嬢にふさわしい、最高の称号ではないか。


ドロドロの三角関係。王子の心を手に入れたいヒロインと、それを阻む卑劣な婚約者。


「完璧ですわ……。これなら確実に、殿下も『嫉妬に狂った醜いシビラ』に愛想を尽かすに決まっていますわ!」


シビラは即座に、アルフォンス殿下とリュミエールを午後の茶会に招待した。


「あら、リュミエール様。今日も相変わらず、地味な装いですわね? 殿下の隣に立つには、少々華が足りないのではないかしら?」


庭園のテーブル。シビラは扇で口元を隠し、これ見よがしにアルフォンスの腕に自分の腕を絡めた。


(うう、鳥肌が止まりませんわ……。でも、自由のためですわ、耐えなさいシビラ!)


「シビラ、急にどうしたんだい? 自分から腕を組んでくれるなんて、明日は槍でも降るのかな」


「あら、嫌だわ殿下。私はあなたの婚約者ですもの。こうして触れ合うのは当然のことでしょう? ねえ、リュミエール様、そう思わなくて?」


シビラは勝ち誇ったような笑みを、リュミエールに向けた。


さあ、泣きなさい。怒りなさい。殿下を奪われた悲しみに震えるがいいわ!


しかし、リュミエールは震えていた。怒りではなく、猛烈な勢いでメモ帳に何かを書き殴りながら。


「……っ! 素晴らしいです、シビラ様! その角度! その指先の絡め方! そして何より、相手を精神的に優位に立たせつつ、肉体的な距離を詰めることで逃げ道を塞ぐ高等テクニック……!」


「……は?」


「私、感動いたしました! シビラ様は私に『王妃としての正妻の余裕』と『愛を勝ち取るための牽制術』を実演してくださっているのですね! ああっ、その冷たい視線……痺れますわ!」


リュミエールはキラキラと目を輝かせ、シビラの足元に跪かんばかりの勢いで詰め寄ってきた。


「シビラ様! 今の腕の角度、もう一度お願いできますか!? 図解したいので、もう少し殿下の胸板に密着していただけると助かります!」


「リュミエール様……あなた、正気ですの? 私は今、あなたの想い人である殿下を見せつけているのですわよ?」


「想い人? 殿下が? ……ああ、もちろん殿下は尊敬しておりますし、素敵な上司だと思っておりますわ! でも、シビラ様の美技を前にしたら、殿下なんてただの背景、あるいは比較対象の標本に過ぎません!」


「……標本?」


アルフォンスが、ティーカップを口に運ぼうとした手でピクリと止まった。


「シビラ様! 私、分かりました! 私が殿下の隣に立つために足りないのは、華ではなく、シビラ様のような『圧倒的な強者のオーラ』なのですね! 修行します! 明日からさらに一時間、睡眠時間を削って自分を追い込みますわ!」


(この子、嫉妬という感情をどこかに置き忘れてきたのかしら……!?)


シビラは戦慄した。


このヒロイン、アルフォンスへの愛よりも、シビラへの崇拝の方が遥かに重い。


「シビラ、残念だったね。リュミエール嬢は、僕よりも君のファンなんだよ。実は昨日も彼女から相談を受けてね。『どうすればシビラ様のような完璧な冷徹さを手に入れられるでしょうか』と、一時間も熱弁されたんだ」


アルフォンスは、呆れ顔でシビラの肩を抱き寄せた。


「僕としては、君がこうして甘えてくれるのは大歓迎だけど。せっかくなら、彼女の前じゃなくて、二人きりの時にしてほしいな」


「……甘えてなどおりませんわ! これは、その、攻撃ですわ! 精神攻撃なんですのよ!」


「ああ、そうだね。僕の心臓が止まりそうなくらいドキドキしているから、確かに攻撃としては大成功だよ」


アルフォンスの指が、シビラの頬に優しく触れる。


「……殿下、いい加減になさいまし!」


シビラは真っ赤になって腕を振り払った。


「きゃー! ツンデレ! シビラ様のツンデレが拝めましたわ! 殿下、グッジョブです! 今の反応、書き留めておきますね!」


ガリガリと音を立ててペンを走らせるリュミエール。


(ダメだわ……この子を味方につけてドロドロにするのは不可能だわ……!)


シビラは確信した。


自分がどんなに「悪」を演じても、この有能すぎる信者(ヒロイン)の手にかかれば、すべてが「尊い教育」に浄化されてしまうのだ。


「シビラ様! 次は何を教えてくださるのですか!? 毒を盛る方法ですか? それとも、他国の外交官を言葉攻めで屈服させる方法ですか!?」


「教えませんわよ! っていうか、そんな物騒なこと考えてませんわ!」


「流石シビラ様、謙遜まで完璧ですわ……!」


シビラの隠居計画は、ヒロインの「重すぎる愛」という名の底なし沼に、さらに深く沈んでいくのであった。
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