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「……勝った。今度こそ、私は勝ちましたわよ!」
王宮のサロンへ向かう馬車の中、シビラは自信に満ちた表情で、膝の上の扇をトントンと叩いた。
今回の作戦は「情報の操作」である。
これまでは自分の行動を直接見られて「有能」と勘違いされてきたが、姿を見せない「噂」ならば、いくらでも悪評を流せるはずだ。
(すでに裏で手を回してありますわ。私は『殿下を執務室に閉じ込めて夜通しこき使い、自分は隣で豪華な夜食を貪り食う冷酷な女』という噂を流させましたの!)
さらには、リュミエールを「奴隷のように働かせる鬼上司」という尾ひれもつけておいた。
今日の茶会は、王都の有力な令嬢たちが集まる。
そこへ行けば、彼女たちの蔑みの視線と、陰口の嵐が私を待っているはず。
「ふふ、楽しみですわね。令嬢たちが『なんて恐ろしい女!』と震える姿を見るのが。その噂が陛下や教皇様の耳に入れば、いよいよ婚約解消の審議が始まりますわ!」
シビラは鼻歌まじりにサロンの扉を開いた。
しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、シビラを待っていたのは冷たい沈黙……ではなく、耳を劈くような歓声と拍手の嵐だった。
「――シビラ様! お待ちしておりましたわ、私たちの聖女様!」
「…………はい?」
真っ先に駆け寄ってきたのは、侯爵家の令嬢ベアトリスだった。彼女はシビラの手を握りしめ、瞳を潤ませている。
「聞きましたわ! シビラ様は、怠慢な男性官僚たちに代わって、お一人で南部の干ばつ対策予算を捻出されたとか! そのために、三日も不眠不休で働かれたのでしょう?」
「いいえ、それはただの残業……というか、仕事を早く終わらせて隠居したかっただけで……」
「なんて奥ゆかしい! ご自分の功績を、そんなふうに謙遜されるなんて!」
隣にいた伯爵令嬢も、感極まったようにハンカチで目元を拭った。
「殿下を執務室に留まらせているのも、次期国王としての帝王学を直々に叩き込むためだと伺いました。シビラ様の愛の深さには、社交界中が涙しておりますわ!」
(ちょっと待ちなさい。どうしてそうなるの!? 『こき使っている』って言ったはずでしょう!?)
シビラは顔を引き攣らせながら、必死に反論した。
「お、お待ちなさい! 私は、リュミエール様に対しても、非常に高圧的な態度で……彼女を人とも思わぬほど働かせているのですよ!?」
「ええ、そのお話も伺っていますわ! 『どんなに苦しくても、これを超えれば国民の笑顔が待っている。私と一緒に戦いなさい!』と、彼女を鼓舞し続けていらっしゃるとか!」
「そんなかっこいいセリフ、一度も吐いてませんわ!!」
「まあ! シビラ様、顔を真っ赤にされて! 照れていらっしゃるのね、可愛らしい!」
令嬢たちの「シビラ様大好き」というオーラが、物理的な圧力となって押し寄せてくる。
そこへ、追い打ちをかけるようにリュミエールが登場した。
「皆様、ご機嫌よう。シビラ様の第一弟子、リュミエール・バルトロメですわ!」
「リュミエール様! シビラ様のご指導は、やはり素晴らしいのでしょう?」
令嬢たちが食い気味に尋ねる。シビラは「今よ、リュミエール! いじめの内容をありのままに話すのよ!」と視線で合図を送った。
リュミエールは深く頷くと、凛とした声で宣言した。
「シビラ様は、真の教育者です。あの方は、あえて厳しい『悪女』を演じることで、私たちが安易に権力に甘えないよう、精神を鍛えてくださっているのです。先日も、深夜二時に私に差し入れをくださいました。『これを食べて、さっさと寝なさい。仕事は私がやるから』と……!」
「言ってない! 『さっさと寝なさい』までは言ったけれど、あとは『邪魔だから』って付け加えたはずよ!」
「シビラ様の『邪魔』は、『あなたの体が心配だから休みなさい』の隠語ですわよね! 皆さん!」
「「「「素敵ですわ、シビラ様!!」」」」
もはや、何を言っても無駄だった。
シビラが流した悪評は、リュミエールという最強の広報担当の手によって、すべて「尊いエピソード」へとロンダリング(洗浄)されていたのだ。
「シビラ、ここだったんだね」
さらに最悪なことに、アルフォンス殿下までがサロンに現れた。
「殿下……。あなたまで、何をしに来ましたの?」
「君の噂を聞いてね。社交界の女性たちが、君の指導法を取り入れようとして『シビラ様流・鬼のスケジュール帳』を作成していると聞いて、止めに来たんだ」
「…………はい?」
「君の有能さは僕だけが知っていればいい。これ以上、君の信者が増えては、僕の入る隙間がなくなるからね」
アルフォンスは、令嬢たちの前で堂々とシビラの腰を引き寄せた。
「皆さんも、僕の婚約者にあまり無理を言わないでほしいな。彼女はこう見えて、僕の前ではとても甘えん坊で、すぐに『もう働きたくない』と僕の胸で泣きつく、守ってあげたくなる女性なんだから」
「誰が泣きつきましたの! それは切実な抗議ですわ!」
「ほら、また照れている」
令嬢たちから「キャー!」という黄色い悲鳴が上がる。
(……おしまいですわ。私の悪役令嬢としての名声が、粉々に砕け散って、跡形もなくなりましたわ……)
シビラは、自分の評判が「冷酷な悪女」から「国と愛に生きるツンデレ聖女」に完全固定されたことを悟った。
隠居への道は、国民全員の祝福という名の、巨大な通行止めに遭っていたのである。
王宮のサロンへ向かう馬車の中、シビラは自信に満ちた表情で、膝の上の扇をトントンと叩いた。
今回の作戦は「情報の操作」である。
これまでは自分の行動を直接見られて「有能」と勘違いされてきたが、姿を見せない「噂」ならば、いくらでも悪評を流せるはずだ。
(すでに裏で手を回してありますわ。私は『殿下を執務室に閉じ込めて夜通しこき使い、自分は隣で豪華な夜食を貪り食う冷酷な女』という噂を流させましたの!)
さらには、リュミエールを「奴隷のように働かせる鬼上司」という尾ひれもつけておいた。
今日の茶会は、王都の有力な令嬢たちが集まる。
そこへ行けば、彼女たちの蔑みの視線と、陰口の嵐が私を待っているはず。
「ふふ、楽しみですわね。令嬢たちが『なんて恐ろしい女!』と震える姿を見るのが。その噂が陛下や教皇様の耳に入れば、いよいよ婚約解消の審議が始まりますわ!」
シビラは鼻歌まじりにサロンの扉を開いた。
しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、シビラを待っていたのは冷たい沈黙……ではなく、耳を劈くような歓声と拍手の嵐だった。
「――シビラ様! お待ちしておりましたわ、私たちの聖女様!」
「…………はい?」
真っ先に駆け寄ってきたのは、侯爵家の令嬢ベアトリスだった。彼女はシビラの手を握りしめ、瞳を潤ませている。
「聞きましたわ! シビラ様は、怠慢な男性官僚たちに代わって、お一人で南部の干ばつ対策予算を捻出されたとか! そのために、三日も不眠不休で働かれたのでしょう?」
「いいえ、それはただの残業……というか、仕事を早く終わらせて隠居したかっただけで……」
「なんて奥ゆかしい! ご自分の功績を、そんなふうに謙遜されるなんて!」
隣にいた伯爵令嬢も、感極まったようにハンカチで目元を拭った。
「殿下を執務室に留まらせているのも、次期国王としての帝王学を直々に叩き込むためだと伺いました。シビラ様の愛の深さには、社交界中が涙しておりますわ!」
(ちょっと待ちなさい。どうしてそうなるの!? 『こき使っている』って言ったはずでしょう!?)
シビラは顔を引き攣らせながら、必死に反論した。
「お、お待ちなさい! 私は、リュミエール様に対しても、非常に高圧的な態度で……彼女を人とも思わぬほど働かせているのですよ!?」
「ええ、そのお話も伺っていますわ! 『どんなに苦しくても、これを超えれば国民の笑顔が待っている。私と一緒に戦いなさい!』と、彼女を鼓舞し続けていらっしゃるとか!」
「そんなかっこいいセリフ、一度も吐いてませんわ!!」
「まあ! シビラ様、顔を真っ赤にされて! 照れていらっしゃるのね、可愛らしい!」
令嬢たちの「シビラ様大好き」というオーラが、物理的な圧力となって押し寄せてくる。
そこへ、追い打ちをかけるようにリュミエールが登場した。
「皆様、ご機嫌よう。シビラ様の第一弟子、リュミエール・バルトロメですわ!」
「リュミエール様! シビラ様のご指導は、やはり素晴らしいのでしょう?」
令嬢たちが食い気味に尋ねる。シビラは「今よ、リュミエール! いじめの内容をありのままに話すのよ!」と視線で合図を送った。
リュミエールは深く頷くと、凛とした声で宣言した。
「シビラ様は、真の教育者です。あの方は、あえて厳しい『悪女』を演じることで、私たちが安易に権力に甘えないよう、精神を鍛えてくださっているのです。先日も、深夜二時に私に差し入れをくださいました。『これを食べて、さっさと寝なさい。仕事は私がやるから』と……!」
「言ってない! 『さっさと寝なさい』までは言ったけれど、あとは『邪魔だから』って付け加えたはずよ!」
「シビラ様の『邪魔』は、『あなたの体が心配だから休みなさい』の隠語ですわよね! 皆さん!」
「「「「素敵ですわ、シビラ様!!」」」」
もはや、何を言っても無駄だった。
シビラが流した悪評は、リュミエールという最強の広報担当の手によって、すべて「尊いエピソード」へとロンダリング(洗浄)されていたのだ。
「シビラ、ここだったんだね」
さらに最悪なことに、アルフォンス殿下までがサロンに現れた。
「殿下……。あなたまで、何をしに来ましたの?」
「君の噂を聞いてね。社交界の女性たちが、君の指導法を取り入れようとして『シビラ様流・鬼のスケジュール帳』を作成していると聞いて、止めに来たんだ」
「…………はい?」
「君の有能さは僕だけが知っていればいい。これ以上、君の信者が増えては、僕の入る隙間がなくなるからね」
アルフォンスは、令嬢たちの前で堂々とシビラの腰を引き寄せた。
「皆さんも、僕の婚約者にあまり無理を言わないでほしいな。彼女はこう見えて、僕の前ではとても甘えん坊で、すぐに『もう働きたくない』と僕の胸で泣きつく、守ってあげたくなる女性なんだから」
「誰が泣きつきましたの! それは切実な抗議ですわ!」
「ほら、また照れている」
令嬢たちから「キャー!」という黄色い悲鳴が上がる。
(……おしまいですわ。私の悪役令嬢としての名声が、粉々に砕け散って、跡形もなくなりましたわ……)
シビラは、自分の評判が「冷酷な悪女」から「国と愛に生きるツンデレ聖女」に完全固定されたことを悟った。
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