隠居したいのでいい加減、婚約破棄してくれませんか?

小梅りこ

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「……やはり、最後に信じられるのは愛ではなく『金』。これに尽きますわ!」


アルフォンス殿下の「本気の甘やかし」に胃もたれを起こしたシビラは、自室の地下にある隠し部屋で、帳簿を広げて目を血走らせていた。


今回の作戦は、単なる嫌がらせではない。隠居後の「絶対的な安全」を確保するための軍資金稼ぎである。


(王家に没収された隠し財産なんて、私の資産の氷山の一角に過ぎませんわ。こうなったら、偽名を使って市場を支配し、国中の富を吸い上げてやりますわよ!)


シビラはすでに、信頼できる(金で縛り上げた)商人たちを通じて、正体不明の商会『レッド・フォックス』を立ち上げていた。


「……お呼びでしょうか、会長」


暗闇から姿を現したのは、シビラがかつて救い(こき使い)、今では忠実な番頭となった男、ロベルトだ。


「ええ。ロベルト、準備はいいかしら? 今すぐ国内の『羊毛』と『保存食』を買い占めなさい。市場価格の二割増しでも構わないわ」


「……買い占め、ですか? それでは民衆の生活が苦しくなりますが……」


「それが狙いですわ! 私が市場を独占し、価格を吊り上げれば、私は『強欲な死の商人』として歴史に名を刻むことになりますわよ。教皇様が黙っていないはずですわ。そうすれば、婚約破棄なんて朝飯前ですわ!」


シビラは扇で口元を隠し、暗い部屋で「おーほっほっほ!」と高笑いした。


これぞ悪役。これぞ、国の経済を揺るがす稀代の悪女。


(買い占めた物資は、価格が高騰したところで他国に高値で売り払い、その利益で南の島を買い取ってやるんですの!)


一週間後。


シビラは、王宮の執務室で「そろそろ暴動の報告が来るかしら?」とワクワクしながら待っていた。


しかし、飛び込んできたのは、顔を青ざめさせたカイルだった。


「シビラ様! 大変です! 隣国のバルバロス帝国が、我が国に対して突然の『食料および衣類』の輸出禁止を宣言しました!」


「……えっ?」


「本来なら、我が国の北部領民は今冬、凍死と飢餓の危機に瀕するところでした。……ところが!」


カイルは、シビラの手を握りしめんばかりの勢いで詰め寄った。


「正体不明の『レッド・フォックス商会』が、事前に大量の物資を備蓄していたおかげで、国中の供給が安定しているのです! それどころか、商会は備蓄分を『定価』で放出し始めました! 国民は今、謎の商会長を『救国の慈父』と呼んで讃えています!」


「……定価? ちょっと待ちなさい、ロベルトに『二倍の値段で売れ』と指示したはずよ!?」


「いえ、商会長からのメッセージが届いています。『今は利益よりも、顧客(国民)の生存を優先する。これこそが真の投資である』と……。なんて先見の明だ! 殿下も陛下も、この商会のバックにいるのは誰かと、血眼になって探しておられます!」


シビラは、椅子から転げ落ちそうになった。


(ロベルト……! あなた、私の指示を勝手に『高度な経営戦略』に翻訳したわね!?)


そこへ、アルフォンス殿下が満面の笑みで入ってきた。


「シビラ! 聞いたよ。君が裏で動かしていた商会が、国を救ったんだってね」


「……なぜ、私が『レッド・フォックス』の会長だと分かったのですわ?」


「君以外に、帝国の輸出禁止を三手先まで読んで、完璧なタイミングで物資を買い占められる人間がこの国にいると思うかい? 流石だよ、シビラ。君は自分の私産を投げ打ってまで、この国を守ろうとしたんだね」


「違いますわ! 私は、私腹を肥やそうとしただけで……!」


「ははは、相変わらず照れ屋だな。君が『二倍の値段で売れ』とロベルトに言ったのも、万が一の際の『調整金』として確保するためだったんだろう? 結局すべて還元したと聞いて、僕は君の清廉潔白さに改めて惚れ直したよ」


アルフォンスはシビラの額に、優しく口づけをした。


「陛下も感激しておられたよ。『シビラ嬢には、国家経済顧問の称号と、商売による利益の非課税権を与えよう』とな」


「非課税……。つまり、稼げば稼ぐほど、国が私を逃さなくなるということではありませんか……!」


「その通りだ。君はもう、この国の心臓そのものなんだよ。シビラ」


シビラは、自分の有能さが生み出した「救国の英雄」という名の巨大な鎖に、全身を縛り付けられたような心地がした。


「……ロベルト。今すぐ、あの番頭をクビにして差し上げますわ……っ!」


「無理だよ、シビラ。彼は今、君のことを『生ける経済の神』と呼んで、執務室に君の肖像画を飾っているらしいからね」


(私の周囲には、まともな部下はいないんですの!?)


シビラの隠居資金は、非課税権という最強のブーストを得て爆発的に膨れ上がった。しかし、それを「自由に使う権利」だけが、どこにも見当たらなかった。
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