隠居したいのでいい加減、婚約破棄してくれませんか?

小梅りこ

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「……チャンスですわ。これこそ天啓! 国外逃亡の切符が、向こうから歩いてやってきましたわ!」


シビラは王宮のバルコニーから、豪奢な馬車の列が城門を潜るのを眺めていた。


本日の来客は、軍事大国ガラルド王国の第一王子、レオン。


彼は「冷徹な合理主義者」として知られ、無能な者や無駄な装飾を何より嫌うという噂だ。


(ふふ、あの方なら私の『性格の悪さ』と『過剰な要求』に、一秒で愛想を尽かすはず。いえ、むしろ私を拉致して、外交問題にまで発展させてくれれば最高ですわ!)


外交問題になれば、アルフォンス殿下も泣く泣く私を国外追放(という名の自由)にするしかない。


シビラは、あえてこの日のために用意した、一番派手で歩きにくいドレスに身を包み、傲慢な笑みを張り付けて謁見の間へと向かった。


「お初にお目にかかりますわ、レオン殿下。ノイシュタイン公爵令嬢、シビラです。……あら、ガラルドの王子様ともあろうお方が、随分と地味な装いですのね?」


初対面の挨拶もそこそこに、シビラは扇で口元を隠し、鼻で笑ってみせた。


さあ、怒りなさい。不敬だと叫びなさい。


しかし、レオンは眉一つ動かさず、鋭い双眸でシビラをじっと見つめた。


「……なるほど。地味、か。しかし君のそのドレス、一見無駄が多いようでいて、その刺繍には防魔の術式が組み込まれているね。装飾と実益を兼ね備えた、極めて合理的な選択だ。素晴らしい」


「…………はい?」


「それに、先ほど僕の随行員の歩幅から、我が軍の進軍速度を逆算していただろう? その観察眼、恐れ入る。噂以上の『怪物』だ」


シビラは固まった。


(バレてますわ!? 無意識に敵国の軍事力を査定していたなんて、職業病が過ぎますわよ私!)


「殿下、お戯れを。私はただの、我が儘で浪費家な女ですわ。このお茶もぬるいですし、お花も枯れかかっていますし……そう、とにかく私は扱いづらい女なんですの!」


「……素晴らしい。現状の不備を即座に指摘し、改善を促す姿勢。我が国には、君のような歯に衣着せぬ直言ができる人材が不足しているんだ」


レオンは、アルフォンスが止める間もなくシビラの手を取り、情熱的に口づけた。


「シビラ嬢。アルフォンス殿下の婚約者であることは承知しているが、あえて言わせてもらう。君はこんな小さな国に収まる器ではない。我が国の『宰相』として、僕と共に大陸の覇権を握らないか?」


「宰相!? お妃様ではなくて、求人のスカウトですの!?」


「もちろん、僕の隣に立つ女性としても歓迎するが、それ以上に君の『脳』が欲しい。君がいれば、我が国の事務処理能力は三倍に跳ね上がるだろう」


(……この王子も、私を働かせることしか考えてませんわ!!)


シビラは絶叫しそうになった。


そこへ、氷のような微笑を浮かべたアルフォンスが割って入った。


「――レオン殿下。僕の婚約者に、随分と熱烈なスカウトをしてくれるじゃないか」


「アルフォンス殿下。有能な資源を独占するのは、王として感心しませんな。彼女は世界のために使われるべきだ」


「同感だよ。だから、彼女はこの国で、僕の隣で、僕のためにその力を振るうんだ。……一歩でも彼女に近づいたら、宣戦布告と受け取っても構わないよ?」


アルフォンスの背後に、黒いオーラが立ち昇る。


「あら、殿下。私を巡って戦争なんて、悪役令嬢冥利に尽きますわ! さあ、レオン殿下、私を今すぐガラルドへ連れ去って……」


「シビラ、黙っていようか。……レオン殿下、彼女は最近、少々疲れが溜まっていてね。突拍子もない冗談を言う癖があるんだ」


アルフォンスはシビラの腰を、折れんばかりの力で引き寄せた。


「残念だが、彼女は指先一本、他国へ貸し出すつもりはない。彼女の有能さは、僕が一生かけて独占し、甘やかし、そして……使い倒す予定だからね」


「……甘やかすのはいいですが、使い倒すのはやめてくださる?」


シビラは弱々しく抗議したが、二人の王子の火花散る視線の間に挟まれ、完全に無視された。


「ふむ。ならば交渉だ。彼女の執務時間の三割を、我が国のコンサルタントとして提供してくれないか? 代わりに、国境の関税を無条件で五%引き下げよう」


「関税五%……っ! それは魅力的ですが、ダメですわ! 私は……!」


「却下だ。彼女の時間は関税ごときで買えるほど安くない」


アルフォンスが即答する。


シビラは天を仰いだ。


他国の王子が現れて、ドロドロの奪い合いになるはずが、なぜか「国家間レベルの有能な人材の引き抜き合戦」に変貌していた。


(……どうして? どうして誰も、私を『ただの女』として見て、愛想を尽かしてくれないんですの……!?)


シビラの国外逃亡計画は、自分の価値が国際的に高まりすぎてしまったせいで、より強固な「国家機密」という名の檻に閉じ込められる結果に終わったのである。
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