16 / 26
16
しおりを挟む
「……あ、あら? 視界が、二重……いえ、三重に見えますわ。世界が、回っておりますの?」
ある朝。シビラは執務室のデスクに突っ伏したまま、ぼんやりと呟いた。
連日の「愛の共同残業」に、他国王子の引き抜き工作への対応、さらには隠居資金を稼ぐための裏商会の運営。
流石の「鉄の女」シビラも、ついにその限界を超えてしまったらしい。
(これは……もしや、チャンス……!? か弱き令嬢として倒れ込み、そのまま数ヶ月、いや数年間の静養という名の隠居へ……!)
シビラは薄れゆく意識の中で、勝利の確信とともに、ゆっくりと目を閉じた。
ガタン、と椅子が倒れる大きな音が部屋に響く。
「シビラ!? どうした、シビラ!」
アルフォンスの声が遠くで聞こえた。シビラは、彼が自分を抱き上げる感触を心地よく感じながら、深い眠りへと落ちていった。
……数時間後。
「……ふふ、ふふふ。ここ、は……天国、かしら?」
シビラが目を覚ますと、そこは自身の寝室だった。
遮光カーテンが引かれ、心地よいアロマの香りが漂っている。
「目が覚めたかい、シビラ。……いや、今は喋らなくていい」
枕元に座っていたのは、アルフォンスだった。彼は濡れたタオルをシビラの額に乗せると、いつになく真剣な、そして今にも泣き出しそうな表情で彼女を見つめていた。
「殿下……。私は、もうダメですわ。体が鉛のように重く、書類の文字を見ると吐き気が……。これは、不治の病に違いありませんわ。今すぐ、北の果ての静かな離宮へ送ってくださらない……?」
シビラは弱々しく、消え入りそうな声で訴えた。
さあ、これで私の「有能な前線離脱」は確定。あとは数年寝て過ごすだけ。
しかし、アルフォンスは彼女の細い手を強く握り締めた。
「不治の病なものか! ただの過労だ。……すまない、シビラ。僕が君に甘えすぎたせいだ。君がいなければ、国が回らないなんて……僕は王子として失格だ!」
「ええ、そうですわ殿下。あなたが無能な分、私が……」
「だが、安心してくれ。君が倒れたことで、王宮は今、かつてないパニックに陥っているよ」
「……パニック?」
「ああ。君の承認印がないせいで、建国祭の予算は凍結。帝国の外交官への返信は保留。さらには、リュミエール嬢が『シビラ様がいない世界に価値はありません!』と叫んで、執務室に立てこもってしまった」
(ちょっと待ちなさい。私の不在、影響力が強すぎませんこと!?)
シビラは寝込んでいる場合ではないと、必死に身を起こそうとした。
「いけませんわ、リュミエール様を止めないと……!」
「ダメだ。君は寝ていなきゃいけない。……ほら、僕が君のために薬膳粥を作ってきたんだ。食べてくれるね?」
アルフォンスが差し出したのは、銀の器に入った、見るからに「滋養強壮に効きそう(だが色が不気味)」な粥だった。
「……殿下。あなたが、お料理を?」
「カイルに教わりながら、三回ほど火事になりかけたが……これが四回目の成功作だ。君の健康を取り戻すためなら、僕は王位を捨ててでも料理修行に出る覚悟だよ」
「捨てないでくださいまし! そんな重たい粥、喉を通りませんわ!」
アルフォンスはシビラの拒絶を「恥じらい」と変換したのか、スプーンで粥をフーフーと冷まし始めた。
「ほら、あーん。シビラ。これを食べれば、明日には元気になる。そして元気になったら、二人で溜まった書類を片付けよう。……おっと、新婚旅行の下見も兼ねてね」
(看病という名の拘束……! 結局、逃げ場がないではありませんか!)
そこへ、ドアを乱暴に叩く音が響いた。
「シビラ様ぁぁぁ!! 私、分かりました! シビラ様が倒れたのは、私が未熟だからです! 私がもっと有能になれば、シビラ様は安心して眠れるのですね!? 今すぐ、隣の部屋で徹夜して、全ての未決済案件を片付けて参ります!」
リュミエールの絶叫が響き渡る。
(……やめて。お願いだから、私のいない間に国を完璧に整えないで。私の居場所がなくなってもいいから、静かに隠居させて!)
シビラの「病弱な令嬢作戦」は、王子の度を超えた献身と、ヒロインの暴走気味な責任感によって、かえって「彼女がいなければならない理由」を再確認させる結果となってしまった。
「……殿下。粥、いただきますわ。だから、その……泣きそうな顔をするのは、おやめなさいまし」
「シビラ……! ああ、君は本当に、病床にあっても僕の心を救ってくれるんだね!」
「……ただの、同情ですわよ……っ!」
シビラは、王子の手による「熱すぎる」看病を受けながら、早く風邪を治して、再び戦場(職場)に戻らなければならないという絶望に打ち震えるのであった。
ある朝。シビラは執務室のデスクに突っ伏したまま、ぼんやりと呟いた。
連日の「愛の共同残業」に、他国王子の引き抜き工作への対応、さらには隠居資金を稼ぐための裏商会の運営。
流石の「鉄の女」シビラも、ついにその限界を超えてしまったらしい。
(これは……もしや、チャンス……!? か弱き令嬢として倒れ込み、そのまま数ヶ月、いや数年間の静養という名の隠居へ……!)
シビラは薄れゆく意識の中で、勝利の確信とともに、ゆっくりと目を閉じた。
ガタン、と椅子が倒れる大きな音が部屋に響く。
「シビラ!? どうした、シビラ!」
アルフォンスの声が遠くで聞こえた。シビラは、彼が自分を抱き上げる感触を心地よく感じながら、深い眠りへと落ちていった。
……数時間後。
「……ふふ、ふふふ。ここ、は……天国、かしら?」
シビラが目を覚ますと、そこは自身の寝室だった。
遮光カーテンが引かれ、心地よいアロマの香りが漂っている。
「目が覚めたかい、シビラ。……いや、今は喋らなくていい」
枕元に座っていたのは、アルフォンスだった。彼は濡れたタオルをシビラの額に乗せると、いつになく真剣な、そして今にも泣き出しそうな表情で彼女を見つめていた。
「殿下……。私は、もうダメですわ。体が鉛のように重く、書類の文字を見ると吐き気が……。これは、不治の病に違いありませんわ。今すぐ、北の果ての静かな離宮へ送ってくださらない……?」
シビラは弱々しく、消え入りそうな声で訴えた。
さあ、これで私の「有能な前線離脱」は確定。あとは数年寝て過ごすだけ。
しかし、アルフォンスは彼女の細い手を強く握り締めた。
「不治の病なものか! ただの過労だ。……すまない、シビラ。僕が君に甘えすぎたせいだ。君がいなければ、国が回らないなんて……僕は王子として失格だ!」
「ええ、そうですわ殿下。あなたが無能な分、私が……」
「だが、安心してくれ。君が倒れたことで、王宮は今、かつてないパニックに陥っているよ」
「……パニック?」
「ああ。君の承認印がないせいで、建国祭の予算は凍結。帝国の外交官への返信は保留。さらには、リュミエール嬢が『シビラ様がいない世界に価値はありません!』と叫んで、執務室に立てこもってしまった」
(ちょっと待ちなさい。私の不在、影響力が強すぎませんこと!?)
シビラは寝込んでいる場合ではないと、必死に身を起こそうとした。
「いけませんわ、リュミエール様を止めないと……!」
「ダメだ。君は寝ていなきゃいけない。……ほら、僕が君のために薬膳粥を作ってきたんだ。食べてくれるね?」
アルフォンスが差し出したのは、銀の器に入った、見るからに「滋養強壮に効きそう(だが色が不気味)」な粥だった。
「……殿下。あなたが、お料理を?」
「カイルに教わりながら、三回ほど火事になりかけたが……これが四回目の成功作だ。君の健康を取り戻すためなら、僕は王位を捨ててでも料理修行に出る覚悟だよ」
「捨てないでくださいまし! そんな重たい粥、喉を通りませんわ!」
アルフォンスはシビラの拒絶を「恥じらい」と変換したのか、スプーンで粥をフーフーと冷まし始めた。
「ほら、あーん。シビラ。これを食べれば、明日には元気になる。そして元気になったら、二人で溜まった書類を片付けよう。……おっと、新婚旅行の下見も兼ねてね」
(看病という名の拘束……! 結局、逃げ場がないではありませんか!)
そこへ、ドアを乱暴に叩く音が響いた。
「シビラ様ぁぁぁ!! 私、分かりました! シビラ様が倒れたのは、私が未熟だからです! 私がもっと有能になれば、シビラ様は安心して眠れるのですね!? 今すぐ、隣の部屋で徹夜して、全ての未決済案件を片付けて参ります!」
リュミエールの絶叫が響き渡る。
(……やめて。お願いだから、私のいない間に国を完璧に整えないで。私の居場所がなくなってもいいから、静かに隠居させて!)
シビラの「病弱な令嬢作戦」は、王子の度を超えた献身と、ヒロインの暴走気味な責任感によって、かえって「彼女がいなければならない理由」を再確認させる結果となってしまった。
「……殿下。粥、いただきますわ。だから、その……泣きそうな顔をするのは、おやめなさいまし」
「シビラ……! ああ、君は本当に、病床にあっても僕の心を救ってくれるんだね!」
「……ただの、同情ですわよ……っ!」
シビラは、王子の手による「熱すぎる」看病を受けながら、早く風邪を治して、再び戦場(職場)に戻らなければならないという絶望に打ち震えるのであった。
0
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。
無言で睨む夫だが、心の中は──。
【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】
4万文字ぐらいの中編になります。
※小説なろう、エブリスタに記載してます
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
婚約者が妹と結婚したいと言ってきたので、私は身を引こうと決めました
日下奈緒
恋愛
アーリンは皇太子・クリフと婚約をし幸せな生活をしていた。
だがある日、クリフが妹のセシリーと結婚したいと言ってきた。
もしかして、婚約破棄⁉
幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係
紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。
顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。
※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる