婚約破棄?はい、喜んで!――つきましては、こちらの請求書をご確認ください。

小梅りこ

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辺境の澄んだ空気の中に、場違いなほど喧しい車輪の音と、香水の香りが漂ってきた。

「お嬢様、第一陣が到着いたしました。……予定より三台多い、計八台の馬車です。その分、追加料金を徴収してよろしいでしょうか?」

アンナが事務的に報告する。

「当然よ。定員オーバー分は『緊急受け入れ手数料』として三割増しで請求して。寝床は最悪、騎士団の兵舎を改装した場所でもいいわ。彼女たちには『特別合宿体験』と言えば喜んで金を払うわよ」

エーミは宿の玄関先で、指示棒を片手に不敵な笑みを浮かべた。

馬車から降りてきたのは、王都の流行をこれでもかと盛り込んだドレスを纏った令嬢たちだ。
彼女たちは、降り立つなり一様に顔を顰めた。

「ちょっと、何なのこの場所! 泥臭いわ、馬車は揺れるわ……本当にここで殿下の好みに近づけるのかしら?」

「見て、あの建物。木造じゃない! 公爵令嬢が経営しているって聞いたから、もっと煌びやかなパレスかと思ったわ」

文句を言い合う彼女たちの前に、エーミがゆったりと歩み出た。

「皆様、ようこそ。王太子妃選定直前・美肌&マナー強化キャンプへ。……まず最初にお伝えしておきます。ここでの不平不満は、一言につき銅貨十枚の『ストレス管理費』として徴収させていただきますわよ」

「なっ……何ですって!? あなた、エーミ・フォン・グラナードね? 殿下に捨てられた女が、随分な物言いじゃない!」

一人の気の強そうな令嬢が食ってかかるが、エーミは眉一つ動かさない。

「ええ、捨てられましたわ。おかげでこの広大な土地と、自由な資産運用権を手に入れましたの。……それより皆様。殿下が今、何を求めているかご存じかしら?」

令嬢たちが一斉に沈黙した。
エーミは彼女たちの間を縫うように歩き、冷徹なまでの観察眼でチェックしていく。

「殿下は今、フローラ様との浪費生活で、お財布も心もボロボロですわ。そんな彼の前に、また似たような『お金のかかるお人形』が現れて、彼は喜ぶかしら? いいえ、今の彼が求めているのは、自分の失態を包み込み、かつ経済的に自立……あるいは彼をリードしてくれる『強くて美しい女性』よ」

「……リードしてくれる女性?」

「そうよ。ここでは、王都の柔弱なマナーではなく、辺境の過酷な環境で磨かれる『本物の気品』と『泥にまみれても損なわれない美貌』を身につけていただきます。……さあ、最初のカリキュラムよ。アンナ、例のものを」

アンナが差し出したのは、フリルなど一切ない、機能性のみを追求した「作業着」だった。

「まず、その五分おきにクリーニングが必要なドレスを脱ぎ捨てなさい。この特製ウェアのレンタル料は銀貨三枚。これを着て、裏山の温泉源泉まで歩いて往復していただきます」

「い、嫌よ! そんな格好、殿下に見られたらどうするの!」

「あら。殿下が見るのは、その結果として手に入る『潤いに満ちた肌』と『引き締まったふくらはぎ』よ。それとも、ライバルにその座を譲るのかしら?」

「……着るわ。着ればいいんでしょう!」

令嬢たちが、プライドと美への執念の間で揺れながら、次々と作業着を手に取る。
エーミは心の中で、「ウェアの原価は銅貨数枚……利益率九割超えね」と、高らかに勝利宣言をした。

そこへ、重厚な足音が響いた。

「……エーミ、準備ができたぞ。……なんだ、この女たちの群れは」

現れたのは、漆黒の礼装に身を包んだラインハルトだった。
不機嫌を絵に描いたような顔だが、その圧倒的な男らしさと、整いすぎた容姿に、令嬢たちが一斉に色めき立った。

「きゃああ! あ、あれが噂の『氷の騎士』、アシュレイ辺境伯様!?」

「殿下も素敵だけど、この野性味あふれる冷たさ……たまらないわ!」

ラインハルトが眉間に皺を寄せると、令嬢たちは「睨まれた! 素敵!」と、あらぬ方向に解釈して熱狂する。

「辺境伯、最高のタイミングだわ。あなたの役割は、彼女たちが山道を歩く際の『監視……いえ、護衛官』よ。あなたが後ろから見守っていると思えば、彼女たちは平地の三倍の速度で山を登るはずだわ」

「……俺を客寄せのパンダにするのはやめろと言っただろう」

「あら、これは『辺境の騎士団による精神鍛錬』という立派なプログラムよ。さあ、令嬢の皆様! 辺境伯様に情けない姿を見せたくないのであれば、背筋を伸ばして歩きなさい!」

「「「はいっ!!」」」

先ほどまでの文句はどこへやら、令嬢たちは作業着姿で、軍隊のような迅速さで整列した。
ラインハルトは溜息をつきながらも、エーミの「一分あたり金貨三枚の契約」を思い出し、不機嫌なまま列の最後尾についた。

「お嬢様、素晴らしい統率力です。……ところで、セシル王女殿下はどちらに?」

「彼女なら、二階の特別席から高みの見物をしているわ。……あ、ほら。拡声の魔道具で何か言おうとしているわよ」

二階のベランダから、セシルが優雅に扇を広げて声を張り上げた。

「皆様! 頑張ってちょうだい! 一番に山頂へ着いた方には、私が殿下の『子供時代の恥ずかしい失敗リスト』を一つ教えてあげるわよ!」

「「「おおおおお!!」」」

令嬢たちの士気が爆発し、彼女たちは凄まじい勢いで山道へと駆け出していった。
もはや、マナーもクソもない。そこにあるのは「勝者」という資産を手に入れようとする投資家たちの熱量だった。

「……アンナ、今のうちに温泉泥の増産をしておいて。山から戻った彼女たちは、きっと泥を全身に塗りたくりたがるはずだから。価格は……そうね、倍にしておきましょうか」

「承知いたしました。……お嬢様、あなたは本当に、人の欲望を金に変える天才ですわね」

「欲望は消費のガソリンよ。私はただ、それを効率よく燃やしてあげているだけだわ」

エーミは遠ざかる馬車と令嬢たちの背中を見送りながら、手帳に新たな利益予測を書き込んだ。

一方、その頃の王都。
ユリウス王子は、なぜか王都から令嬢たちが一斉にいなくなったことに首を傾げていた。

「……静かだな。みんな、私の婚約者の座に興味がなくなったのか?」

彼が、自分の未来の妻たちが今、辺境の山中で泥まみれになりながら「軍事訓練」に励んでいることを知るのは、まだ数日先の話であった。
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