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王国最強の騎士団——。その本部は、王都の北側に位置する巨大な城塞だった。
威風堂々とした石造りの門をくぐり、私はシリル卿に案内されて中へと足を踏み入れる。
てっきり、厳しい規律に縛られた鉄の規律の世界だと思っていたのだが。
「……シリル卿。あそこで逆立ちをしながら、鼻で笛を吹いている集団は何ですか?」
「ああ、あれか。第三小隊の連中だな。肺活量を鍛えながら、同時に精神の集中を図っているらしい」
「鼻の穴の筋肉は鍛えられるでしょうけど、騎士としての品格がマッハで死んでいますよ。あと、曲が微妙に陽気なのが余計に腹立ちますね」
私が真顔で指摘すると、シリル卿は満足げに頷いた。
「やはり君を連れてきて正解だった。昨夜、君が去った後の公爵家から、私の元に一通の手紙が届いていてな」
「手紙? 父からですか?」
シリル卿が懐から取り出したのは、公爵家の家紋が刻印された高級な便箋だった。
けれど、そこには震えるような筆跡でこう書かれていた。
『親愛なる騎士団長へ。ヴェールをよろしくお願いします。彼女がいない今、我が家は「ボケの飽和状態」により、朝食のパンがすべてクロワッサンではなく「父の靴下」にすり替わっている状況です。ツッコミ不在の恐怖を、今こそ王国に知らしめてほしい』
「……捨ててください、その紙。公爵家の恥が、上質な紙に乗って拡散されています」
「いや、家宝にする。これほど切実な『救済要請』は初めて見た」
「救世主を何だと思ってるんですか。私はただの、実家で毎日『お父様、それはパンじゃなくてスリッパです』と言い続けてきた苦労人ですよ」
ため息をつきながら歩みを進めると、城塞の奥にある「騎士団食堂」に到着した。
ちょうど昼食時のようで、中からは凄まじい熱気と、肉の焼ける匂い、そして……。
「おい! 誰だ、俺のプロテインに間違えて『小麦粉』を混ぜたのは! 筋肉が膨らまずに、腹の中でパンが焼けそうなんだが!」
「悪い! 俺だ! より白さを追求した結果、つい間違えてしまった!」
「追求する方向性が間違ってるんだよ! おかげで俺の腹筋が、今、発酵を始めてるぞ!」
……騒音という名の「地獄」が広がっていた。
食堂の入り口で立ち尽くす私に、シリル卿が後ろからそっと肩を叩いた。
「……どうだ、ヴェール。君の、新しい職場だ」
「ブラック企業を通り越して、ここは精神科の待合室ですか?」
「騎士たちは皆、純粋なんだ。純粋すぎて、時折ブレーキの壊れた馬のようになる。それを止められる御者が、今の我が団にはいない」
シリル卿に促され、私は食堂の壇上へと上がった。
数百人の筋肉だるまたちが、一斉にこちらを向く。
「静粛に!」
シリル卿の凛とした声が響き、食堂が一瞬で静まり返った。
「本日より、我が騎士団の『特別相談役』として、ヴェール・ローゼライト令嬢を招いた。彼女は公爵家の出身だが、その『言葉の鋭さ』は私の保証付きだ。以後、失礼のないように」
その瞬間、騎士たちからざわめきが起こった。
「ええーっ、あんな細いお嬢様が?」
「相談役って何だよ。俺たちの筋肉の悩みが分かるのか?」
「おいおい、お嬢様。俺のこの大胸筋を見てくれよ。今、何て言ってると思う?」
一人の大男が前に出てきて、ピクピクと筋肉を動かしながら私に迫ってきた。
私は無表情のまま、その男の瞳をじっと見つめる。
「……『助けて、これ以上プロテインを流し込まないで』、と悲鳴を上げていますね。あと、その動き、見ていて純粋に気持ち悪いです。左右のバランスが悪すぎて、歩く時に右に寄っていきそうですね。磁石でも入ってるんですか?」
食堂が、凍りついた。
男は「右に寄る……?」と呆然と立ち尽くし、自分の体を鏡のように見つめ始めた。
「……あ、当たりだ。俺、最近よく右の壁にぶつかるんだ……」
「それはただの筋トレのしすぎによる平衡感覚の異常です。今すぐ鏡の前で反省会をしてきてください。邪魔です」
「は、はいっ! 失礼しました!」
大男が脱兎のごとく逃げ出していく。
その光景を見ていた他の騎士たちが、今度は一斉に色めき立った。
「す、すげぇ! 一言でバルク(大男)を黙らせたぞ!」
「今のツッコミ……なんて無駄のない軌道だ……」
「俺も! 俺も斬ってくれ! この、つい掃除をサボってしまった罪悪感を!」
「掃除をサボったなら、今すぐ雑巾を持ってきてください。私に言う暇があるなら、床の油汚れの一点でも拭いたらどうですか? ここは食堂であって、あなたの怠惰を展示する場所じゃありません」
「うおおおおお! 心に刺さるぅぅぅ! 雑巾! 誰か雑巾を持ってこい!!」
騎士たちが、まるで聖歌でも聞いたかのような顔をして、一斉に掃除を始めた。
それも、凄まじいスピードと気合で。
私はこめかみを押さえ、隣で満足そうに微笑むシリル卿を睨んだ。
「……シリル卿。この人たち、もしかして全員バカなんですか?」
「いや、全員『超』がつくほどのバカだ。だが、君のおかげで、この数年で一番食堂が綺麗になったよ」
シリル卿は、そっと私の耳元に顔を寄せた。
「ようこそ、王国最強のボケ……失礼、騎士団へ。君の居場所は、ここにある」
「……居場所というより、更生施設の間違いでしょうけどね」
私は、実家の父と兄の顔を思い浮かべた。
彼らという「特大のボケ」に揉まれてきた18年間。
何の取り柄もないと思っていた私の人生が、まさかこんな形で役に立つなんて。
(……お父様、お兄様。私、この魔窟で生きていけそうです)
私は、差し出された騎士団のエンブレムを受け取り、深く、深くため息をついた。
威風堂々とした石造りの門をくぐり、私はシリル卿に案内されて中へと足を踏み入れる。
てっきり、厳しい規律に縛られた鉄の規律の世界だと思っていたのだが。
「……シリル卿。あそこで逆立ちをしながら、鼻で笛を吹いている集団は何ですか?」
「ああ、あれか。第三小隊の連中だな。肺活量を鍛えながら、同時に精神の集中を図っているらしい」
「鼻の穴の筋肉は鍛えられるでしょうけど、騎士としての品格がマッハで死んでいますよ。あと、曲が微妙に陽気なのが余計に腹立ちますね」
私が真顔で指摘すると、シリル卿は満足げに頷いた。
「やはり君を連れてきて正解だった。昨夜、君が去った後の公爵家から、私の元に一通の手紙が届いていてな」
「手紙? 父からですか?」
シリル卿が懐から取り出したのは、公爵家の家紋が刻印された高級な便箋だった。
けれど、そこには震えるような筆跡でこう書かれていた。
『親愛なる騎士団長へ。ヴェールをよろしくお願いします。彼女がいない今、我が家は「ボケの飽和状態」により、朝食のパンがすべてクロワッサンではなく「父の靴下」にすり替わっている状況です。ツッコミ不在の恐怖を、今こそ王国に知らしめてほしい』
「……捨ててください、その紙。公爵家の恥が、上質な紙に乗って拡散されています」
「いや、家宝にする。これほど切実な『救済要請』は初めて見た」
「救世主を何だと思ってるんですか。私はただの、実家で毎日『お父様、それはパンじゃなくてスリッパです』と言い続けてきた苦労人ですよ」
ため息をつきながら歩みを進めると、城塞の奥にある「騎士団食堂」に到着した。
ちょうど昼食時のようで、中からは凄まじい熱気と、肉の焼ける匂い、そして……。
「おい! 誰だ、俺のプロテインに間違えて『小麦粉』を混ぜたのは! 筋肉が膨らまずに、腹の中でパンが焼けそうなんだが!」
「悪い! 俺だ! より白さを追求した結果、つい間違えてしまった!」
「追求する方向性が間違ってるんだよ! おかげで俺の腹筋が、今、発酵を始めてるぞ!」
……騒音という名の「地獄」が広がっていた。
食堂の入り口で立ち尽くす私に、シリル卿が後ろからそっと肩を叩いた。
「……どうだ、ヴェール。君の、新しい職場だ」
「ブラック企業を通り越して、ここは精神科の待合室ですか?」
「騎士たちは皆、純粋なんだ。純粋すぎて、時折ブレーキの壊れた馬のようになる。それを止められる御者が、今の我が団にはいない」
シリル卿に促され、私は食堂の壇上へと上がった。
数百人の筋肉だるまたちが、一斉にこちらを向く。
「静粛に!」
シリル卿の凛とした声が響き、食堂が一瞬で静まり返った。
「本日より、我が騎士団の『特別相談役』として、ヴェール・ローゼライト令嬢を招いた。彼女は公爵家の出身だが、その『言葉の鋭さ』は私の保証付きだ。以後、失礼のないように」
その瞬間、騎士たちからざわめきが起こった。
「ええーっ、あんな細いお嬢様が?」
「相談役って何だよ。俺たちの筋肉の悩みが分かるのか?」
「おいおい、お嬢様。俺のこの大胸筋を見てくれよ。今、何て言ってると思う?」
一人の大男が前に出てきて、ピクピクと筋肉を動かしながら私に迫ってきた。
私は無表情のまま、その男の瞳をじっと見つめる。
「……『助けて、これ以上プロテインを流し込まないで』、と悲鳴を上げていますね。あと、その動き、見ていて純粋に気持ち悪いです。左右のバランスが悪すぎて、歩く時に右に寄っていきそうですね。磁石でも入ってるんですか?」
食堂が、凍りついた。
男は「右に寄る……?」と呆然と立ち尽くし、自分の体を鏡のように見つめ始めた。
「……あ、当たりだ。俺、最近よく右の壁にぶつかるんだ……」
「それはただの筋トレのしすぎによる平衡感覚の異常です。今すぐ鏡の前で反省会をしてきてください。邪魔です」
「は、はいっ! 失礼しました!」
大男が脱兎のごとく逃げ出していく。
その光景を見ていた他の騎士たちが、今度は一斉に色めき立った。
「す、すげぇ! 一言でバルク(大男)を黙らせたぞ!」
「今のツッコミ……なんて無駄のない軌道だ……」
「俺も! 俺も斬ってくれ! この、つい掃除をサボってしまった罪悪感を!」
「掃除をサボったなら、今すぐ雑巾を持ってきてください。私に言う暇があるなら、床の油汚れの一点でも拭いたらどうですか? ここは食堂であって、あなたの怠惰を展示する場所じゃありません」
「うおおおおお! 心に刺さるぅぅぅ! 雑巾! 誰か雑巾を持ってこい!!」
騎士たちが、まるで聖歌でも聞いたかのような顔をして、一斉に掃除を始めた。
それも、凄まじいスピードと気合で。
私はこめかみを押さえ、隣で満足そうに微笑むシリル卿を睨んだ。
「……シリル卿。この人たち、もしかして全員バカなんですか?」
「いや、全員『超』がつくほどのバカだ。だが、君のおかげで、この数年で一番食堂が綺麗になったよ」
シリル卿は、そっと私の耳元に顔を寄せた。
「ようこそ、王国最強のボケ……失礼、騎士団へ。君の居場所は、ここにある」
「……居場所というより、更生施設の間違いでしょうけどね」
私は、実家の父と兄の顔を思い浮かべた。
彼らという「特大のボケ」に揉まれてきた18年間。
何の取り柄もないと思っていた私の人生が、まさかこんな形で役に立つなんて。
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