28 / 28
28
しおりを挟む
「……いいですか、アリエル。一〇ゴールドをただ貯金箱に入れるのは『停滞』です。それを種籾に変えて土に植えれば、秋には一〇〇ゴールドの『成長』になります。どちらがワクワクするか、数字で答えなさい」
「ええっと……お母様。九〇ゴールド分のワクワクです!」
「正解ですわ! さすがは我がグロスタ・ノックス家の跡取り、資産価値の把握が早くて助かりますわね」
私は、数年前に新築した(もちろん、地元産の建材を格安で調達した)領主邸のテラスで、愛息子のアリエルに英才教育を施していた。
窓の外に広がるのは、かつての荒野ではない。
黄金色に輝く麦畑、煙突から活気ある煙を上げる醸造所、そして楽しげに笑いながら行き交う領民たちの姿だ。
そこへ、公務を終えたカシアン様が、少しだけ落ち着いた大人の色香を漂わせて戻ってきた。
「ウリエル。また息子を『計算狂い』に仕込んでいるのか? 少しは子供らしく、庭で剣の稽古でもさせたらどうだ」
「あら、カシアン様。剣で領民の腹は膨れませんが、計算能力は国を救いますのよ。……。それに、アリエルの今日の家庭学習一時間に対する機会損失を考えれば、剣を振るよりこちらの方が利回りが良いのです」
「……。相変わらずだな、貴様は。……。だが、その徹底した管理のおかげで、この領地は今や王国一の納税額を誇る『金の成る地』になった。国王陛下も、貴様を追放したことを今でも悔やんでおられるらしいぞ」
カシアン様は私の隣に座り、セバスが淹れた(今では最高級の茶葉を自家栽培している)紅茶を一口啜った。
「悔やんでも後の祭りですわ。今の私を買い戻そうと思ったら、国家予算の半分を積んでいただかないと。……。ところで、例の『更生施設』の報告はどうなっていて?」
「ああ、クロードのことか。……。彼は今、炭鉱の現場監督として、若手作業員たちの兄貴分になっているよ。一ペニーの重さを知った彼は、以前のような虚飾を嫌い、『労働の汗こそが最高の宝石だ』などと抜かしているらしい」
「……。あら。あの薄っぺらな王子様が、随分と重厚な資産に成長したものですわね」
「ルルナも、今や王都で『節約生活のカリスマ』として主婦たちのリーダー的存在だそうだ。……。パンの耳を使ったフルコース料理で、貴族時代の贅沢を再現しているとか」
私は思わず吹き出した。
人生の貸借対照表は、どこでどう転ぶか分からないから面白い。
不採算部門だった彼らも、適切な「経営(教育)」さえあれば、立派な社会資産に変わるのだ。
「カシアン様。……。こうして振り返ってみると、あの断罪パーティでの婚約破棄こそ、私の人生最大の『コストカット』でしたわね」
「……。ああ。貴様を放り出してくれたおかげで、私は世界一の宝を手に入れることができた。……。感謝の印に、クロードには来月の石炭ボーナスを一割上乗せしてやろう」
「一割!? カシアン様、それは甘やかしすぎですわ! 五%で十分……」
私が反論しようとした口を、カシアン様の優しい指先が塞いだ。
彼は私の腰を抱き寄せ、耳元で囁く。
「……ウリエル。たまには数字以外の話をしよう。……。私の胸の内に積もり続けている、貴様への『愛』。これの決算をしたいのだが」
「……。カシアン様。愛は不確かな流動資産ですから、決算なんて不可能ですわ」
「いいや、確定させたい。……。貴様という存在がある限り、私の心は常に黒字だ。……。一生かけても、この幸せの利息を貴様に返しきれる自信がない」
カシアン様の瞳に宿る熱は、出会ったあの頃よりもずっと深く、濃くなっている。
私の脳内にある精密な計算機が、またしても「エラー」を吐き出していた。
愛。
これだけは、どれだけ消費しても目減りせず、むしろ使えば使うほど雪だるま式に膨らんでいく、経済学の法則を無視した最強の資産。
「……。分かりましたわ、カシアン様。……。では、今夜はその利息の支払いに、じっくりと付き合っていただきますわよ。……。一分一秒の遅刻も許しませんから」
「……。ああ、望むところだ」
アリエルが「またお父様とお母様が難しい話をしてる!」と笑いながら庭へ駆けていく。
私たちは、黒字に満ちた自分たちの帝国を見つめながら、静かに唇を重ねた。
愛は裏切るかもしれない。
けれど、二人で築き上げたこの「富(きずな)」は、どんな恐慌が来ようとも、一円の揺らぎも、一分の狂いもない。
私たちの人生という名の事業計画書。
その最終ページには、金色のインクでこう記されていた。
――利益確定:永遠の幸福(ハッピーエンド)。
私のそろばんの音が、幸せな家族の笑い声と共に、黄金色の領地にどこまでも響き渡っていった。
「ええっと……お母様。九〇ゴールド分のワクワクです!」
「正解ですわ! さすがは我がグロスタ・ノックス家の跡取り、資産価値の把握が早くて助かりますわね」
私は、数年前に新築した(もちろん、地元産の建材を格安で調達した)領主邸のテラスで、愛息子のアリエルに英才教育を施していた。
窓の外に広がるのは、かつての荒野ではない。
黄金色に輝く麦畑、煙突から活気ある煙を上げる醸造所、そして楽しげに笑いながら行き交う領民たちの姿だ。
そこへ、公務を終えたカシアン様が、少しだけ落ち着いた大人の色香を漂わせて戻ってきた。
「ウリエル。また息子を『計算狂い』に仕込んでいるのか? 少しは子供らしく、庭で剣の稽古でもさせたらどうだ」
「あら、カシアン様。剣で領民の腹は膨れませんが、計算能力は国を救いますのよ。……。それに、アリエルの今日の家庭学習一時間に対する機会損失を考えれば、剣を振るよりこちらの方が利回りが良いのです」
「……。相変わらずだな、貴様は。……。だが、その徹底した管理のおかげで、この領地は今や王国一の納税額を誇る『金の成る地』になった。国王陛下も、貴様を追放したことを今でも悔やんでおられるらしいぞ」
カシアン様は私の隣に座り、セバスが淹れた(今では最高級の茶葉を自家栽培している)紅茶を一口啜った。
「悔やんでも後の祭りですわ。今の私を買い戻そうと思ったら、国家予算の半分を積んでいただかないと。……。ところで、例の『更生施設』の報告はどうなっていて?」
「ああ、クロードのことか。……。彼は今、炭鉱の現場監督として、若手作業員たちの兄貴分になっているよ。一ペニーの重さを知った彼は、以前のような虚飾を嫌い、『労働の汗こそが最高の宝石だ』などと抜かしているらしい」
「……。あら。あの薄っぺらな王子様が、随分と重厚な資産に成長したものですわね」
「ルルナも、今や王都で『節約生活のカリスマ』として主婦たちのリーダー的存在だそうだ。……。パンの耳を使ったフルコース料理で、貴族時代の贅沢を再現しているとか」
私は思わず吹き出した。
人生の貸借対照表は、どこでどう転ぶか分からないから面白い。
不採算部門だった彼らも、適切な「経営(教育)」さえあれば、立派な社会資産に変わるのだ。
「カシアン様。……。こうして振り返ってみると、あの断罪パーティでの婚約破棄こそ、私の人生最大の『コストカット』でしたわね」
「……。ああ。貴様を放り出してくれたおかげで、私は世界一の宝を手に入れることができた。……。感謝の印に、クロードには来月の石炭ボーナスを一割上乗せしてやろう」
「一割!? カシアン様、それは甘やかしすぎですわ! 五%で十分……」
私が反論しようとした口を、カシアン様の優しい指先が塞いだ。
彼は私の腰を抱き寄せ、耳元で囁く。
「……ウリエル。たまには数字以外の話をしよう。……。私の胸の内に積もり続けている、貴様への『愛』。これの決算をしたいのだが」
「……。カシアン様。愛は不確かな流動資産ですから、決算なんて不可能ですわ」
「いいや、確定させたい。……。貴様という存在がある限り、私の心は常に黒字だ。……。一生かけても、この幸せの利息を貴様に返しきれる自信がない」
カシアン様の瞳に宿る熱は、出会ったあの頃よりもずっと深く、濃くなっている。
私の脳内にある精密な計算機が、またしても「エラー」を吐き出していた。
愛。
これだけは、どれだけ消費しても目減りせず、むしろ使えば使うほど雪だるま式に膨らんでいく、経済学の法則を無視した最強の資産。
「……。分かりましたわ、カシアン様。……。では、今夜はその利息の支払いに、じっくりと付き合っていただきますわよ。……。一分一秒の遅刻も許しませんから」
「……。ああ、望むところだ」
アリエルが「またお父様とお母様が難しい話をしてる!」と笑いながら庭へ駆けていく。
私たちは、黒字に満ちた自分たちの帝国を見つめながら、静かに唇を重ねた。
愛は裏切るかもしれない。
けれど、二人で築き上げたこの「富(きずな)」は、どんな恐慌が来ようとも、一円の揺らぎも、一分の狂いもない。
私たちの人生という名の事業計画書。
その最終ページには、金色のインクでこう記されていた。
――利益確定:永遠の幸福(ハッピーエンド)。
私のそろばんの音が、幸せな家族の笑い声と共に、黄金色の領地にどこまでも響き渡っていった。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
婚約お断り令嬢ですわ ~奇行で縁談を潰していたら本命騎士に再会しました~
鍛高譚
恋愛
婚約話? 結構ですわ。
私には――子供の頃に命を救ってくれた“黒髪の騎士”がいるのですから。
公爵令嬢アンネローゼ・フォン・グレイシアは、才色兼備の完璧令嬢……だった。
だが、ある日から突如“奇行”に走り始める。正座で舞踏会に参加? スープにストロー? 謎のポエム朗読?
そう、それはすべて――望まぬ婚約をぶち壊すため!
王族、貴族、策略家、演技派……次々と舞い込む政略結婚の話。
アンネローゼはあの手この手で縁談をぶった斬り、恋も名誉も自由も手に入れる!
すべての婚約破棄は、たった一人の人に出会うため――
「破談のアンネローゼ様」が貫く、“本当の婚約”とは?
痛快!恋愛ざまぁ×ラブコメディ×ハッピーエンド!
破談上等のお嬢様が、本物の愛を掴むまでの逆転劇が今、始まりますわ!
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
前世の私は重い女だったので、今世は恋なんてしません。
ありま氷炎
恋愛
前世は余りにも夫が大好きで、愛が重すぎた。
だから捨てられた。
なので生まれ変わった今は、恋なんてするつもりはなかったのだけど……。
遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)
スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」
唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。
四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。
絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。
「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」
明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは?
虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!
学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。
さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。
聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。
だが、辺境の村で暮らす中で気づく。
私の力は奇跡を起こすものではなく、
壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。
一方、聖女として祭り上げられた彼女は、
人々の期待に応え続けるうち、
世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』
ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」
そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。
さらに王太子は宣言する。
「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。
履行履歴も整えず、契約も軽視し、
新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。
――ですが。
契約は宣言では動きません。
信用は履歴の上にしか立ちません。
王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、
やがて止まったのは王太子の未来でした。
自ら押した承認印が、
自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。
公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。
救済なし。
やり直しなし。
契約通りに処理しただけですのに――
なぜか王太子が廃嫡されました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる