婚約破棄?悪役令嬢の定休日を作ろうと思ってたんですが。

小梅りこ

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ガタゴトと揺れる馬車の中、私は対面に座る侍女のニーナをジロリと睨みつけた。


「ニーナ。貴女、なぜここに座っていますの? 私は先ほど、公爵邸で皆様に暇(いとま)を出したはずですわよ。退職金という名のボーナスまで弾んで」


ニーナは私の視線を真っ向から受け止め、手慣れた手つきで紅茶を注ぎながら言った。


「お嬢様、失礼ですが。お嬢様一人で領地へ行かせるなど、猛獣を野に放つようなものです。誰がその暴走する効率性を手綱で引くと思っているのですか?」


「猛獣とは失礼ですわね。私はただ、時間を有効活用したいだけの、か弱き元悪役令嬢ですわ」


「か弱い令嬢は、婚約破棄された五分後に引越し業者へ速達を出しません。とにかく、私はお嬢様の『定休日』がどれほど凄まじいものになるか、最前線で見届ける義務があります」


私は鼻を鳴らし、窓の外を流れる夜の景色を眺めた。


「……勝手になさい。その代わり、私の休暇スケジュールを邪魔することは許しませんわよ。見てなさい、ニーナ。私はこれから、人類史上最も『効率的な休日』を過ごしてみせますわ」


私は手元の手帳を開き、新しいページに大きく『定休日・基本方針』と書き込んだ。


「まず、朝は太陽が昇るまで寝ません。あ、違いましたわ。太陽が昇っても寝続けます。二度寝は三度まで許可。これは精神のデトックスです」


「お嬢様、普段は朝五時に起きて王宮の予算案のチェックをしていましたからね。三時間以上の睡眠は罪だとか仰って」


「次に、食事ですわ。一口につき三十回噛むというマナーは今日で終了! 好きなものを、好きなだけ、好きな速度で食べる。栄養バランス? そんなものは無視ですわ。私の心が食べたいと言ったものが、その時の正解(ジャスティス)ですのよ」


私はそう言いながら、早速カテゴリーC(夜食用の干し肉)を掴み、あむっと口に放り込んだ。


「……お嬢様。その、はしたない食べ方、意外と様になっていますね」


「はしたない? いいえ、これは『咀嚼のショートカット』ですわ。オーホッホッホ! ああ、声が枯れるまで笑う必要がないのも素敵ですわね。あの高笑い、腹筋を使うから意外と疲れるんですのよ」


私は馬車の座席に背をもたれさせ、顔を覆っていた「悪役令嬢」としての重い化粧を、クレンジングを含ませた布で拭い去った。


厚塗りのファンデーションの下から現れたのは、驚くほど透明感のある肌と、どこか幼さの残る素顔だった。


「ああ、顔が軽いですわ……! リュカ殿下に『冷酷な氷の女』だと思わせるために、毎朝一時間かけて鋭いアイラインを引いていた努力は何だったのかしら」


「殿下は最後まで、お嬢様が化粧を落とすとタヌキみたいに丸っこい顔をしていることに気づきませんでしたね」


「誰がタヌキですって!? ……まあいいわ、今は否定するエネルギーすら節約したい気分ですの」


馬車は暗い森を抜け、私たちが目指すラ・ヴァリエール領へとひた走る。


かつての私は、この領地を「税収を最大化するためのチェス盤」としてしか見ていなかった。
だが、今の私にとっては、ここは誰にも邪魔されない巨大なプライベート・スイートだ。


「ニーナ、見て。月があんなに綺麗ですわ」


「お嬢様が情緒的なことを口にするなんて……明日は槍が降るかもしれません」


「失礼ね。私は効率主義者である前に、美しいものを愛する一人の乙女ですわよ? ただ、これまでの人生では『月を愛でる時間』を『公費の計算』に充てていただけですわ」


私は窓を開け、夜の冷気を肺いっぱいに吸い込んだ。
王都の喧騒も、王子の小言も、周囲の令嬢たちのひそひそ話も、もうここまでは届かない。


「明日から、私はミカルという名の、ただの怠け者になります。悪役を演じる必要も、完璧な淑女である必要もない。ただ、呼吸をして、食べて、寝る。……ああ、なんて贅沢な非効率なのかしら!」


私は幸せを噛みしめるように目を閉じた。


しかし、私の性格をよく知るニーナは、どこか遠い目をして呟いた。


「……そう仰っていますが、お嬢様のことですから。きっと三日後には『効率的な昼寝の角度』とか『秒速で庭を彩る植栽術』とかを研究し始めるんでしょうね」


「あら、心外ですわ。私は徹底的に休みます。徹底的に……本気で!」


「休むことに本気を出している時点で、もう既に休めていないような気がしますが」


馬車の揺れが心地よいリズムを刻む。
私はニーナの言葉を無視して、これからの「非効率ライフ」という名の新たなプロジェクトに胸を躍らせた。


婚約破棄は、人生の終わりではない。
それは、私にとっての「夏休み」の始まりだったのだ。


しかしその頃、背後の王都では、私の予想を遥かに超える事態が動き出していた。


「ミカル様! ミカルお姉さま待ってくださいーっ!」


夜の街道を、一頭の馬に跨り、ドレスの裾をボロボロにしながら爆走する影。
それは、本来なら王子と愛を語り合っているはずのセシルであった。


「お姉さまのいない王宮なんて、カカオのないチョコレートですわ! 私、絶対にお姉さまを捕まえて、その効率的な生活の秘訣を伝授していただきます!」


セシルの眼差しは、恋する乙女のそれよりもずっと熱く、そして危険な光を宿していた。


ミカルの「定休日」は、まだ始まったばかりである。
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