婚約破棄?悪役令嬢の定休日を作ろうと思ってたんですが。

小梅りこ

文字の大きさ
17 / 28

17

しおりを挟む
「……北部の塩の専売権、および港湾使用料の不当な中抜き。総額で王都の年間予算の一割を、彼らは『裏庭の管理費』として処理していますわね。実に、実に不愉快極まる無駄遣いですわ」


深夜の領主邸執務室。
私は羽ペンを剣のように振るい、巨大な帳簿に赤字で「死罪」に等しい修正を書き込んでいた。


「全くです。これほどまでに出入りが不透明な資金運用を放置するなど、公務員としての美学に反する。……ですがミカル様、貴女のこの『隠し資産特定アルゴリズム』、驚異的ですね。わずか数時間の突き合わせで、三十年来の汚職の全容を暴くとは」


隣に座るギルバート様もまた、眼鏡を光らせながら恐るべき速度で書類を処理していた。
私たちの間には、もはや言葉を交わす必要すらない、完璧な「実務的シンクロニシティ」が形成されていた。


「当然ですわ。私の計算尺(スライド・ルール)に、見逃していい端数など存在しませんもの」


「素晴らしい。……ミカル様、貴女とこうして作業をしていると、私の脳内には心地よいドーパミンが溢れ出します。国家の癌を摘出し、数値を正常化する。これ以上の快楽がこの世に存在するでしょうか?」


ギルバート様が、ふとペンを置き、私を真っ直ぐに見つめた。
その瞳は、いつになく真剣で、どこか獲物を狙うハヤブサのような鋭さを秘めている。


「……なんですの、急に。次の『寄生虫貴族』のリストなら、あと三分で完成しますわよ」


「いえ。……仕事の話ではなく、契約の話をさせてください」


ギルバート様は、椅子を静かに引き、私の正面に座り直した。


「ミカル様。貴女は以前、この領地での生活を『定休日』と仰いましたね。ですが、現状はどうです? 貴女は休むどころか、領地のインフラを再構築し、隣領との通商条約を書き換え、今や国家規模の汚職を一人で掃討しようとしている」


「……趣味ですわ。私は、非効率なものが視界に入るのがストレスなんですの。それを排除することは、私にとってのリフレッシュです」


「その『リフレッシュ』を、一生続けてみませんか?」


私は、持っていたペンをポトリと落とした。


「……一生、ですって?」


「ええ。単刀直入に申し上げます。ミカル・ド・ラ・ヴァリエール様。私の妻になっていただきたい」


「…………は?」


「これは、現職の宰相から、元・王子の婚約者への、最も合理的かつ戦略的なプロポーズです。貴女が私の妻になれば、この国の全省庁の書類、および王室の秘密帳簿に至るまで、すべての閲覧権限と『整理権限』を貴女に付与しましょう」


ギルバート様は、懐から一枚の契約書(のようなもの)を取り出し、私の前にスッと差し出した。


「メリットは多大です。第一に、貴女は誰にも邪魔されず、国家という巨大なシステムの最適化に生涯を捧げられる。第二に、私の給与と資産をすべて合算すれば、貴女の個人的な研究や領地経営に、さらなる爆速の資本投下が可能です。そして第三に……」


彼はわずかに身を乗り出し、私の耳元で低く囁いた。


「……夜の空き時間も、二人で効率的な人生設計について語り合えます。どうです、悪くない条件でしょう?」


「……っ! 貴方という人は……! それを世間では、愛の告白とは呼ばず、『共同経営の提案』と呼ぶのですわよ!」


私は顔が沸騰しそうなほど熱くなるのを感じながら、思わず立ち上がった。


「言葉の定義など、重要ではありません。私が求めているのは、私の隣に座る権利を持つ、唯一無二のパートナーです。ミカル様、貴女以外の女性では、私の仕事のスピードについてこれない。……貴女だけが、私の世界を完成させてくれるパーツ(構成要素)なのです」


ギルバート様の大きな手が、私の手をそっと包み込んだ。
いつもの冷徹な彼からは想像もできないほど、その掌は熱く、力強かった。


「ビジネスライクな関係でいい。……いいえ、最初はそれでも構わない。ですが、私は貴女という才能を、そして貴女という一人の女性を、この世で最も効率的に……愛したいと考えているのです」


「…………」


私は言葉を失った。
心臓の鼓動が、今まで計算したことのない不規則なリズムで刻まれている。
論理的に考えれば、これほど魅力的な条件はない。
私の「効率厨」としての本能が、「今すぐサインしろ」と叫んでいる。


「……お、お断りいたしますわ!」


「……ほう? 理由は?」


ギルバート様が、意外そうに眉を上げた。


「理由は……貴方のその提案、ロマンチックさが『零(ゼロ)』ですわ! 私は現在、定休日なんですのよ! 結婚まで『仕事の一部』として組み込まれたら、私の人生から本当の『休日』が消えてしまうではありませんか!」


「……なるほど。では、日曜日の十四時から十七時の間は、一切の業務連絡を禁止し、全力で『恋人ごっこ』をするという特約を追加しましょう」


「そういう話ではありませんわ! オーホッホッホ! ……だいたい、そんな重要な契約、この汚職リストを片付けてからでないと、集中して検討もできませんわよ!」


私は顔を背けながら、必死に高笑いをして誤魔化した。


「……わかりました。では、保留ということで。ですが、今の貴女の心拍数は一分間に九十五回を超えている。私の言葉が、貴女の自律神経に多大な影響を与えたことは統計的に明らかです。……勝ち目は、私にありますね」


ギルバート様は不敵に微笑み、再びペンを取った。


「……っ、性格が最悪ですわ! さあ、作業を再開しますわよ! あと十分で、この公爵家の不当利益をすべて特定しますわ!」


「ええ。……愛していますよ、ミカル様(予定)」


「(予定)をつけるんじゃありませんわ!!」


執務室の窓の外では、夜明けの光が差し始めていた。
その様子を、ドアの隙間からこっそり覗いていたセシル様が、悶絶しながら身をよじっていた。


「……きゃあああ! お姉さまとギルバート様、空気感がもう『熟年夫婦の徹夜作業』ですわ! ビジネスライクな求婚……なんて斬新! 私もいつか、あんな爆速な愛の言葉を囁かれたいですわ……!」


一方、庭では。
朝露に濡れながら、リュカ殿下が相変わらず泥だらけでスコップを振るっていた。


「……なんだか、執務室から恐ろしいほど高い密度で『愛と効率のオーラ』が漏れ出している気がするんだが……気のせいかな?」


殿下の呟きは、誰にも届くことなく風に消えた。
ミカルの「定休日」は、いつの間にか「人生最大の大型契約」の交渉期間へと突入したのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

学生時代、私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私が実は本物の聖女で、いじめていた女は災厄を呼ぶ魔女でした。

さら
恋愛
いじめていた女と一緒に異世界召喚された私。 聖女として選ばれたのは彼女で、私は無能扱いされ追放された。 だが、辺境の村で暮らす中で気づく。 私の力は奇跡を起こすものではなく、 壊れた世界を“元に戻す”本物の聖女の力だった。 一方、聖女として祭り上げられた彼女は、 人々の期待に応え続けるうち、 世界を歪め、災厄を呼ぶ魔女へと変わっていく――。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

伯爵家の箱入り娘は婚儀のまえに逃亡したい

瑞原唯子
恋愛
だから、きっと、恋を知らないままでよかった。 伯爵令嬢のシャーロットはもうすぐ顔も知らないおじさまと結婚する。だから最後にひとつだけわがままを叶えようと屋敷をこっそり抜け出した。そこで知り合ったのは王都の騎士団に所属するという青年で——。 --- 本編完結しました。番外編も書きたかったエピソードはひとまず書き終わりましたが、気が向いたらまた何か書くかもしれません。リクエストなどありましたらお聞かせください。参考にさせていただきます。

たいした苦悩じゃないのよね?

ぽんぽこ狸
恋愛
 シェリルは、朝の日課である魔力の奉納をおこなった。    潤沢に満ちていた魔力はあっという間に吸い出され、すっからかんになって体が酷く重たくなり、足元はふらつき気分も悪い。  それでもこれはとても重要な役目であり、体にどれだけ負担がかかろうとも唯一無二の人々を守ることができる仕事だった。  けれども婚約者であるアルバートは、体が自由に動かない苦痛もシェリルの気持ちも理解せずに、幼いころからやっているという事実を盾にして「たいしたことない癖に、大袈裟だ」と罵る。  彼の友人は、シェリルの仕事に理解を示してアルバートを窘めようとするが怒鳴り散らして聞く耳を持たない。その様子を見てやっとシェリルは彼の真意に気がついたのだった。

悪役令嬢が処刑されたあとの世界で

重田いの
ファンタジー
悪役令嬢が処刑されたあとの世界で、人々の間に静かな困惑が広がる。 魔術師は事態を把握するため使用人に聞き取りを始める。 案外、普段踏まれている側の人々の方が真実を理解しているものである。

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

「冷酷で理屈っぽい」と捨てられましたが、この国を影から支えていたの、実は私なんです

水上
恋愛
【全7話完結】 「冷酷で理屈っぽい」 そう断じられ婚約破棄されたヴィオラ。 しかし、追放先の辺境で、その知識を用いて泥沼の街道を舗装し、極上のチーズや保湿クリームを開発して大活躍!   一方、彼女を捨てたことで、王都では様々な問題が発生する。 馬車が揺れを制御できなくなり、隣国の大使が王都で嘔吐。 それが外交問題に発展して……。

処理中です...