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「……閣下。あの金ピカの馬車が、また見えてきましたわ。今度は黒塗りの、いかにも『お堅い』馬車を連れていますけれど」
私は城壁の上で、双眼鏡(レンズの研磨代を値切って買った二級品だ)を覗きながら報告した。
隣に立つアリステア様が、忌々(いまいま)しげに鼻を鳴らす。
「……カイルか。懲りない男だな。今度は軍ではなく、法服を着た老人を連れてきているようだが」
「法服……。あれは王都の最高裁判官、ジャスティス卿(きょう)ですわね。一回の出張費だけで金貨三十枚は下らない、最高級の『歩く経費』ですわ」
私たちは、再び溜息をつきながら城門を開いた。
馬車から降りてきたカイル王子は、前回とは打って変わって、自信満々に胸を張っている。
「リウ! そして隣国の強面公爵! 今日こそは法の名の下に、君を連れ戻しに来たぞ!」
「カイル様。……その台詞を言うために、裁判官を連れ回す人件費を計算なさったことはありますの?」
「うるさい! ジャスティス卿、始めてくれ!」
促された最高裁判官が、重々しく一歩前に出た。
彼はリウとアリステア様を交互に見ると、丸眼鏡を直しながら宣言した。
「リウ・アルマンド嬢。カイル殿下より、『国家機密級の経済知識』および『高度な農業技術』を隣国に無断で流出した疑いで、訴えが提起されております。君の身柄と、その技術の権利は王家に帰属すべきものであると……」
「……ぷっ。あはははは!」
私は思わず、扇で顔を隠して爆笑した。
広場に響き渡る私の高笑いに、ジャスティス卿が当惑した顔をする。
「な、何がおかしい! これは真面目な法廷だぞ!」
「おかしいですよ、カイル様。国家機密? 流出? 笑わせないでくださいな。……閣下、あの日の『婚約解消合意書』、持ってきてくださる?」
アリステア様が、懐から一枚の皺(しわ)だらけの紙を取り出した。
それはカイル王子がかつて、勢い任せにサインしたあの書類だ。
「ジャスティス卿。この書類の第三項を読み上げてくださいな。……ええ、そこです。非常に小さな文字で書いた部分ですわ」
最高裁判官は、目を細めてそこを読んだ。
そして、その顔がみるみるうちに青ざめていった。
「……『本契約の締結をもって、甲(カイル)は乙(リウ)に対し、一切の権利義務を放棄し、乙の所有する知識、技術、および将来的に生み出されるすべての無形資産の所有権を永久に放棄するものとする』……」
「ええ、その通り。さらにその下も。……『また、今後これに関わる訴えを起こす場合、甲は裁判費用の一切に加え、乙に対する精神的迷惑料として、請求額の三倍を支払うものとする』」
私は、絶望に目を見開くカイル王子に、慈悲のない笑みを向けた。
「カイル様。サインした時、しっかり読まなかったのですか? 『契約書の細かい字を読まない者は、全財産を失う』……。これ、経済界の常識ですわよ?」
「そ、そんな……! そんな条項、認められるわけが……!」
「認められますわ。だって、ジャスティス卿。この契約書、あの日あなたが王都で管理している『公証人の魔石印』がしっかり押されていますもの。……あ、印紙代をケチって私が自腹で貼ったのは内緒ですけれど」
ジャスティス卿は、震える手で書類をカイル王子に返した。
「……殿下。これは……法的に完璧です。むしろ、訴えを起こした瞬間に、殿下側の負けが確定しております。……今すぐ撤回しなければ、殿下は私を呼んだ出張費に加え、リウ嬢に莫大な迷惑料を払うことになりますぞ」
「な、何だって……!?」
カイル王子が腰を抜かして地面に崩れ落ちる。
背後でミアさんが「カイル様ぁ、なんだかよく分かりませんけれど、お金がなくなるんですかぁ?」と暢気(のんき)な声を上げていた。
「……さて。カイル様、そしてジャスティス卿。無駄な訴訟に私の時間を奪った罰金として、今ここにある馬車と、その豪華な法服の刺繍に使われている純金を置いていってくださる?」
「は、法服まで剥(は)ぎ取るのか!? 私は裁判官だぞ!」
「無駄な訴訟に関わった報いですわ。……閣下、騎士団の皆様。法的な差し押さえ執行の準備を!」
「ああ。……ジャスティス卿、安心しろ。法服の代わりなら、倉庫に眠っているリウの『雑巾用ドレス』を貸してやる。通気性だけは抜群だぞ」
アリステア様が凶悪な笑みを浮かべ、騎士たちを動かした。
その日の夕暮れ。
馬車を奪われ、薄汚れた布を纏(まと)ってトボトボと王都へ歩いて帰る王子と裁判官の姿が、夕陽に照らされていた。
「……リウ。お前の『契約書の罠』、もはや戦場での伏兵より恐ろしいな」
アリステア様が、感銘を受けたように私の腰を抱き寄せた。
「罠だなんて失礼な。私はただ、最悪のコストを想定してリスク管理を徹底しただけですわ。……さて、閣下。奪い取った馬車の部品、オークションに出せば金貨五十枚は固いですわね。今夜は祝杯ですわよ!」
「ああ。……一杯の安酒ですら、お前と飲むと最高級のシャンパンより価値があるように感じるな」
私たちは、戦利品の山を前に、一銅貨の誤差もない完璧な勝利を祝った。
だが、追い詰められたカイル王子が、この後「一発逆転」を狙って、とんでもない『禁じ手』に打って出ることになるとは……。
黒字の要塞に、最大の危機が迫っていた。
私は城壁の上で、双眼鏡(レンズの研磨代を値切って買った二級品だ)を覗きながら報告した。
隣に立つアリステア様が、忌々(いまいま)しげに鼻を鳴らす。
「……カイルか。懲りない男だな。今度は軍ではなく、法服を着た老人を連れてきているようだが」
「法服……。あれは王都の最高裁判官、ジャスティス卿(きょう)ですわね。一回の出張費だけで金貨三十枚は下らない、最高級の『歩く経費』ですわ」
私たちは、再び溜息をつきながら城門を開いた。
馬車から降りてきたカイル王子は、前回とは打って変わって、自信満々に胸を張っている。
「リウ! そして隣国の強面公爵! 今日こそは法の名の下に、君を連れ戻しに来たぞ!」
「カイル様。……その台詞を言うために、裁判官を連れ回す人件費を計算なさったことはありますの?」
「うるさい! ジャスティス卿、始めてくれ!」
促された最高裁判官が、重々しく一歩前に出た。
彼はリウとアリステア様を交互に見ると、丸眼鏡を直しながら宣言した。
「リウ・アルマンド嬢。カイル殿下より、『国家機密級の経済知識』および『高度な農業技術』を隣国に無断で流出した疑いで、訴えが提起されております。君の身柄と、その技術の権利は王家に帰属すべきものであると……」
「……ぷっ。あはははは!」
私は思わず、扇で顔を隠して爆笑した。
広場に響き渡る私の高笑いに、ジャスティス卿が当惑した顔をする。
「な、何がおかしい! これは真面目な法廷だぞ!」
「おかしいですよ、カイル様。国家機密? 流出? 笑わせないでくださいな。……閣下、あの日の『婚約解消合意書』、持ってきてくださる?」
アリステア様が、懐から一枚の皺(しわ)だらけの紙を取り出した。
それはカイル王子がかつて、勢い任せにサインしたあの書類だ。
「ジャスティス卿。この書類の第三項を読み上げてくださいな。……ええ、そこです。非常に小さな文字で書いた部分ですわ」
最高裁判官は、目を細めてそこを読んだ。
そして、その顔がみるみるうちに青ざめていった。
「……『本契約の締結をもって、甲(カイル)は乙(リウ)に対し、一切の権利義務を放棄し、乙の所有する知識、技術、および将来的に生み出されるすべての無形資産の所有権を永久に放棄するものとする』……」
「ええ、その通り。さらにその下も。……『また、今後これに関わる訴えを起こす場合、甲は裁判費用の一切に加え、乙に対する精神的迷惑料として、請求額の三倍を支払うものとする』」
私は、絶望に目を見開くカイル王子に、慈悲のない笑みを向けた。
「カイル様。サインした時、しっかり読まなかったのですか? 『契約書の細かい字を読まない者は、全財産を失う』……。これ、経済界の常識ですわよ?」
「そ、そんな……! そんな条項、認められるわけが……!」
「認められますわ。だって、ジャスティス卿。この契約書、あの日あなたが王都で管理している『公証人の魔石印』がしっかり押されていますもの。……あ、印紙代をケチって私が自腹で貼ったのは内緒ですけれど」
ジャスティス卿は、震える手で書類をカイル王子に返した。
「……殿下。これは……法的に完璧です。むしろ、訴えを起こした瞬間に、殿下側の負けが確定しております。……今すぐ撤回しなければ、殿下は私を呼んだ出張費に加え、リウ嬢に莫大な迷惑料を払うことになりますぞ」
「な、何だって……!?」
カイル王子が腰を抜かして地面に崩れ落ちる。
背後でミアさんが「カイル様ぁ、なんだかよく分かりませんけれど、お金がなくなるんですかぁ?」と暢気(のんき)な声を上げていた。
「……さて。カイル様、そしてジャスティス卿。無駄な訴訟に私の時間を奪った罰金として、今ここにある馬車と、その豪華な法服の刺繍に使われている純金を置いていってくださる?」
「は、法服まで剥(は)ぎ取るのか!? 私は裁判官だぞ!」
「無駄な訴訟に関わった報いですわ。……閣下、騎士団の皆様。法的な差し押さえ執行の準備を!」
「ああ。……ジャスティス卿、安心しろ。法服の代わりなら、倉庫に眠っているリウの『雑巾用ドレス』を貸してやる。通気性だけは抜群だぞ」
アリステア様が凶悪な笑みを浮かべ、騎士たちを動かした。
その日の夕暮れ。
馬車を奪われ、薄汚れた布を纏(まと)ってトボトボと王都へ歩いて帰る王子と裁判官の姿が、夕陽に照らされていた。
「……リウ。お前の『契約書の罠』、もはや戦場での伏兵より恐ろしいな」
アリステア様が、感銘を受けたように私の腰を抱き寄せた。
「罠だなんて失礼な。私はただ、最悪のコストを想定してリスク管理を徹底しただけですわ。……さて、閣下。奪い取った馬車の部品、オークションに出せば金貨五十枚は固いですわね。今夜は祝杯ですわよ!」
「ああ。……一杯の安酒ですら、お前と飲むと最高級のシャンパンより価値があるように感じるな」
私たちは、戦利品の山を前に、一銅貨の誤差もない完璧な勝利を祝った。
だが、追い詰められたカイル王子が、この後「一発逆転」を狙って、とんでもない『禁じ手』に打って出ることになるとは……。
黒字の要塞に、最大の危機が迫っていた。
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