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その夜、城の最上階にあるバルコニー(現在は展望台として有料公開を検討中)で、アリステア様はかつてないほど神妙な面持ちで立っていた。
雲一つない夜空には、満月が煌々と輝いている。
月明かりは無料の照明として最高だが、今の彼の表情は、一銅貨の誤差も見逃さない監査官のような厳しさだった。
「……リウ。少し、真面目な話をしたい」
「あら、閣下。改まってどうされましたの? 来期の『排泄物由来肥料の輸出計画書』に不備でも?」
私は、冷え込む夜風を遮断するためにリメイクした、二重構造の防寒ケープ(中身は古い羽根布団だ)の襟を正した。
「……いや、そうではない。……リウ、お前と出会ってから、俺の人生の帳簿は劇的に改善された。お前がもたらした『黒字』は、もはや数字だけで測れるものではない」
アリステア様が、ゆっくりと私の前に膝をついた。
その強面(こわもて)が月光に照らされ、本物の騎士……あるいは、極めて慎重な投資家のような気高さを放っている。
「お前という唯一無二の資産を、俺は生涯かけて守り抜きたい。……リウ・アルマンド。俺と正式に婚約し、この領地の、そして俺の人生の共同経営者になってくれないか」
彼はそう言うと、懐から小さな革製の箱を取り出した。
パカッ、と開かれたその中には、眩いばかりの輝きを放つ大きなダイヤモンドの指輪が収められていた。
「……っ!?」
私は絶句した。
あまりの輝きに、ではない。その「推定価格」に、だ。
「……閣下。これ、もしかして……新品で、しかも鑑定書付きの『一級品』ですの?」
「ああ。お前の指に相応しいものをと、王都の老舗宝石店に特注した。流通コストはかかったが、一生物の資産だと思えば……」
「……待ってください、閣下!!」
私はアリステア様の言葉を遮り、彼の腕をガシッと掴んだ。
私の目は、今や感動の涙ではなく、監査官の鋭い光を宿している。
「一級品の特注!? 老舗宝石店!? 閣下、ブランド料という名の『無駄な上乗せ』をいくら支払ったんですの!? 宝石は店を出た瞬間に評価額が二割は落ちるのが定説でしょう!?」
「なっ……。だが、これは俺の誠意だぞ、リウ」
「誠意は数字で示してくださいな! このクラスのダイヤなら、オークションの中古品を狙えば半値で手に入りましたわ。それに、台座のプラチナ……。これ、地金(じがね)の重量以上に工賃が乗っかっていますわね。……閣下、あなたとしたことが、なんという痛恨の買い物を!」
私はアリステア様の手から箱を奪い取ると、月明かりにかざしてルーペ(常に持ち歩いている)で精査し始めた。
「……リウ。プロポーズの瞬間に、指輪の減価償却(げんかしょうきゃく)の話をする女がどこにいる」
アリステア様が呆れたように、しかしどこか嬉しそうに溜息をついた。
「私はここにおりますわ! いいですか閣下、愛はプライスレスですが、指輪はバリバリの『動産』です。どうせなら、有事の際に即座に現金化できる、流動性の高いものを選ぶべきでしたわ!」
「……フッ。ならばお前に聞くが、お前はどんな指輪なら満足したのだ? 銅の針金に、その辺の魔石でも埋め込めば良かったのか?」
「まさか。それは実物資産としての価値がありませんわ。……私が欲しかったのは、これですわ!」
私はケープの隠しポケットから、一枚の古びた……しかし重厚な『土地の権利書』を取り出した。
「これ、先日のカイル様との一件で没収した、王都の隣にある『休耕地』の権利書ですわ。ここを私の名義で閣下が買い取り、そこに『高効率な養鶏場』を建設する。……その権利こそが、私にとって最高の婚約の証になりますの!」
「……養鶏場を、婚約指輪の代わりに?」
「ええ! 宝石は何も生み出しませんが、鶏は卵と肉、そして堆肥を生み出します。これぞ、永久に価値を創出し続ける『生きる指輪』ですわ!」
私は鼻息荒く宣言した。
アリステア様はしばらくの間、呆然と私を見つめていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
その笑い声は夜空に響き、城の静寂を心地よく揺らした。
「……クハハハ! 全くだ、お前には勝てんな。指輪より養鶏場、ダイヤモンドより鶏の糞か。……リウ、お前こそが、俺が最も投資したかった『最高の知性』だ」
アリステア様は立ち上がり、私の腰を力強く引き寄せた。
「分かった。その指輪は返品……いや、質に入れて養鶏場の建設資金に充てよう。……その代わり、お前の指には、俺が昔使っていた『公爵家の古い印章リング』を嵌めさせてくれ。これなら工賃は零円だ」
「……アンティークとしての価値もありますし、何より閣下の歴史という『目に見えない資産』が詰まっていますわね。……ええ、それなら喜んでお受けいたしますわ!」
私はアリステア様の胸に顔を埋めた。
彼の心臓の鼓動が、一ミンの無駄もなく私の耳に届く。
「……リウ。俺と一緒に、世界一効率的で、世界一黒字な家庭を築こう」
「ええ、アリステア様。一銅貨の赤字も出さない、鉄壁の家計簿を生涯かけて綴りましょう」
私たちは、月明かりの下で熱い口づけを交わした。
普通の恋人たちが見れば「なんて風情のないプロポーズ」と笑うかもしれない。
しかし、私たちにとってこれ以上の「愛の誓い」は存在しなかった。
……一方その頃、階下でこっそり覗き見をしていたミアさんは、手にした雑巾を震わせながら呟いていた。
「……あんなにときめかないプロポーズ、初めて見ましたわぁ……。でも、なんだかあたくしも、養鶏場の求人が気になってきましたわぁ……」
彼女の心にも、着実に「実利」の種が芽生えていた。
物語は、いよいよ大団円へと向かって加速していく。
雲一つない夜空には、満月が煌々と輝いている。
月明かりは無料の照明として最高だが、今の彼の表情は、一銅貨の誤差も見逃さない監査官のような厳しさだった。
「……リウ。少し、真面目な話をしたい」
「あら、閣下。改まってどうされましたの? 来期の『排泄物由来肥料の輸出計画書』に不備でも?」
私は、冷え込む夜風を遮断するためにリメイクした、二重構造の防寒ケープ(中身は古い羽根布団だ)の襟を正した。
「……いや、そうではない。……リウ、お前と出会ってから、俺の人生の帳簿は劇的に改善された。お前がもたらした『黒字』は、もはや数字だけで測れるものではない」
アリステア様が、ゆっくりと私の前に膝をついた。
その強面(こわもて)が月光に照らされ、本物の騎士……あるいは、極めて慎重な投資家のような気高さを放っている。
「お前という唯一無二の資産を、俺は生涯かけて守り抜きたい。……リウ・アルマンド。俺と正式に婚約し、この領地の、そして俺の人生の共同経営者になってくれないか」
彼はそう言うと、懐から小さな革製の箱を取り出した。
パカッ、と開かれたその中には、眩いばかりの輝きを放つ大きなダイヤモンドの指輪が収められていた。
「……っ!?」
私は絶句した。
あまりの輝きに、ではない。その「推定価格」に、だ。
「……閣下。これ、もしかして……新品で、しかも鑑定書付きの『一級品』ですの?」
「ああ。お前の指に相応しいものをと、王都の老舗宝石店に特注した。流通コストはかかったが、一生物の資産だと思えば……」
「……待ってください、閣下!!」
私はアリステア様の言葉を遮り、彼の腕をガシッと掴んだ。
私の目は、今や感動の涙ではなく、監査官の鋭い光を宿している。
「一級品の特注!? 老舗宝石店!? 閣下、ブランド料という名の『無駄な上乗せ』をいくら支払ったんですの!? 宝石は店を出た瞬間に評価額が二割は落ちるのが定説でしょう!?」
「なっ……。だが、これは俺の誠意だぞ、リウ」
「誠意は数字で示してくださいな! このクラスのダイヤなら、オークションの中古品を狙えば半値で手に入りましたわ。それに、台座のプラチナ……。これ、地金(じがね)の重量以上に工賃が乗っかっていますわね。……閣下、あなたとしたことが、なんという痛恨の買い物を!」
私はアリステア様の手から箱を奪い取ると、月明かりにかざしてルーペ(常に持ち歩いている)で精査し始めた。
「……リウ。プロポーズの瞬間に、指輪の減価償却(げんかしょうきゃく)の話をする女がどこにいる」
アリステア様が呆れたように、しかしどこか嬉しそうに溜息をついた。
「私はここにおりますわ! いいですか閣下、愛はプライスレスですが、指輪はバリバリの『動産』です。どうせなら、有事の際に即座に現金化できる、流動性の高いものを選ぶべきでしたわ!」
「……フッ。ならばお前に聞くが、お前はどんな指輪なら満足したのだ? 銅の針金に、その辺の魔石でも埋め込めば良かったのか?」
「まさか。それは実物資産としての価値がありませんわ。……私が欲しかったのは、これですわ!」
私はケープの隠しポケットから、一枚の古びた……しかし重厚な『土地の権利書』を取り出した。
「これ、先日のカイル様との一件で没収した、王都の隣にある『休耕地』の権利書ですわ。ここを私の名義で閣下が買い取り、そこに『高効率な養鶏場』を建設する。……その権利こそが、私にとって最高の婚約の証になりますの!」
「……養鶏場を、婚約指輪の代わりに?」
「ええ! 宝石は何も生み出しませんが、鶏は卵と肉、そして堆肥を生み出します。これぞ、永久に価値を創出し続ける『生きる指輪』ですわ!」
私は鼻息荒く宣言した。
アリステア様はしばらくの間、呆然と私を見つめていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
その笑い声は夜空に響き、城の静寂を心地よく揺らした。
「……クハハハ! 全くだ、お前には勝てんな。指輪より養鶏場、ダイヤモンドより鶏の糞か。……リウ、お前こそが、俺が最も投資したかった『最高の知性』だ」
アリステア様は立ち上がり、私の腰を力強く引き寄せた。
「分かった。その指輪は返品……いや、質に入れて養鶏場の建設資金に充てよう。……その代わり、お前の指には、俺が昔使っていた『公爵家の古い印章リング』を嵌めさせてくれ。これなら工賃は零円だ」
「……アンティークとしての価値もありますし、何より閣下の歴史という『目に見えない資産』が詰まっていますわね。……ええ、それなら喜んでお受けいたしますわ!」
私はアリステア様の胸に顔を埋めた。
彼の心臓の鼓動が、一ミンの無駄もなく私の耳に届く。
「……リウ。俺と一緒に、世界一効率的で、世界一黒字な家庭を築こう」
「ええ、アリステア様。一銅貨の赤字も出さない、鉄壁の家計簿を生涯かけて綴りましょう」
私たちは、月明かりの下で熱い口づけを交わした。
普通の恋人たちが見れば「なんて風情のないプロポーズ」と笑うかもしれない。
しかし、私たちにとってこれ以上の「愛の誓い」は存在しなかった。
……一方その頃、階下でこっそり覗き見をしていたミアさんは、手にした雑巾を震わせながら呟いていた。
「……あんなにときめかないプロポーズ、初めて見ましたわぁ……。でも、なんだかあたくしも、養鶏場の求人が気になってきましたわぁ……」
彼女の心にも、着実に「実利」の種が芽生えていた。
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