婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

文字の大きさ
4 / 28

4

しおりを挟む
翌朝、私は鳥のさえずりではなく、潮騒と磯の香りで目を覚ました。
朝日が昇るのと同時にベッドを蹴り出し、寝間着のまま窓を開ける。
目の前に広がるのは、王都の煤けた空とは比較にならない、透明度の高いコバルトブルーの海だ。

「さあ、アンナに捕まる前に出発よ!」

私は爆速で着替えを済ませると、寝癖も気にせず、昨日ジンさんが言っていた港の生簀へと駆け出した。
領民たちは、朝っぱらから凄まじい形相(本人は笑顔のつもり)で走ってくる公爵令嬢を見て、悲鳴を上げながら道を開ける。

「おはようございます! 今日も良い深海日和ね!」

「ひっ、お、お嬢様!? 朝からそんなに目を血走らせて、誰を処刑しに行くんですか!」

「失礼ね、愛しい人に会いに行くだけよ!」

「愛しい人……? まさか、王子様を追いかけて王都へ戻る気か!?」

漁師たちの勘違いを背中で聞き流しながら、私は桟橋の先端にある特設生簀に到着した。
そこには、ジンさんが心配そうに水面を覗き込んでいる姿があった。

「ジンさん! 例の『妙なもの』はどこ!?」

「お、お嬢様、早いですな……。ほら、あそこの網の中に。引き上げる時に暴れたんで、今は少し大人しくなってますがね」

私はジンさんの手から網をひったくるように受け取り、ゆっくりと引き上げた。
海水が滴り、網の中から現れたのは……。
異常に発達した大きな瞳と、全身を覆うヌメヌメとした暗紫色の皮膚、そして不釣り合いなほど鋭い棘を持つ、世にも奇妙な魚だった。

「…………っ!!」

私は言葉を失った。
それは、これまで図鑑でしか見たことのない、超希少種『ミッドナイト・デビルフィッシュ』の幼魚だった。
太陽の光に当たると溶けてしまいそうなほど繊細で、しかし狂暴な美しさを放つその姿。

「なんて……なんて可愛いのかしら……!」

「……え? お嬢様、今『可愛い』って言いました?」

ジンさんが心底信じられないという顔で私を見た。

「見てちょうだい、この完璧な流線型! そしてこの、獲物を絶対に逃さないと言わんばかりの凶悪な歯並び! ああ、神様、婚約破棄してくださって本当にありがとう!」

私は生簀の縁に跪き、魚に向かって愛を囁き始めた。
魚は威嚇するように口を開けたが、私にはそれが「愛の告白」にしか見えない。

「アンナ! すぐに私の部屋から、一番精度の高い魔法冷却水槽を持ってきてちょうだい! この子のために、水圧と温度を完璧に管理した『極楽浄土』を作るわよ!」

「お嬢様! またそんな得体の知れないものを……! というか、お嬢様の顔が一番怖いです!」

いつの間にか追いかけてきていたアンナが叫ぶが、私は止まらない。
しかし、同時に冷静な思考が頭をもたげた。
この子を育てるには、今の別邸の設備ではあまりにも貧弱すぎる。
もっと大きな水槽、高度な魔導冷却装置、そして新鮮な深海プランクトンを採集するための専用船……。

「お金が必要だわ。それも、国家予算を揺るがすレベルの巨額が」

私は立ち上がり、すぐに屋敷へ戻ると、父であるディープシー公爵へ宛てた『直談判の魔導文』を書き綴った。

『お父様、至急、私の研究予算を百倍にしてください。あと、領地の南側に「国立深海生物研究所」に匹敵する、いえ、それを凌駕する私設プラントを建設する許可を。交換条件として、私が将来発見する新種の資源や魔導触媒の優先権を差し上げます。追伸:ミッドナイト・デビルフィッシュが捕まりました。超可愛いです』

送信ボタンを叩きつけるように押した数分後。
返信は、これまで見たこともないような「黄金の封蝋」が施された魔導返信だった。

『許可する。予算は公爵家の予備費から全額出そう。足りなければ私の個人資産も使え。プラント建設のために、王都から最高の魔導建築士と錬金術師を二十人派遣した。到着まで三日待て。追伸:デビルフィッシュの写真も送れ。私も見たい』

「……お父様、最高」

私は震える手で返信を抱きしめた。
やはり、この親にしてこの子あり。
父もまた、日常の激務から逃れるために、未知の生物というロマンに飢えていたのだ。

「お嬢様……旦那様からなんて返事が?」

恐る恐る尋ねるアンナに、私は満面の笑みで答えた。

「『好きなだけやれ』って。三日後には、ここに王都随一の技術者集団がやってくるわ。この別邸を、世界最高の深海研究拠点に改造するのよ!」

「ああ……終わった。私の『普通の侍女ライフ』が、音を立てて崩れていく……」

アンナが天を仰いで項垂れたが、私は構わず次の指示を出す。

「ジンさん! 港の男たちを全員集めて! これから『深海魚のための王国』を築くわよ! 日当は相場の三倍出すわ!」

「三倍!? お嬢様、そりゃあ景気がいい! 野郎ども、仕事だ! お嬢様……いや、『海のお姫様』の仰せのままだ!」

港が一気に活気づく。
金に目の眩んだ、いえ、私の情熱に打たれた漁師たちが次々と集まってきた。

こうして、婚約破棄からわずか二日。
私は失意に暮れる令嬢ではなく、一大建設プロジェクトの総責任者へと変貌を遂げた。

王都では今頃、アルベルト王子がミィニャ様と優雅なティータイムでも楽しんでいることだろう。
どうぞ、どうぞお幸せに。
私は今、それよりも一万倍、一億倍も忙しく、そして刺激的な日々を送っているのだから。

「さあ、まずは水槽のデザインからよ。デビルフィッシュちゃん、待っててね。あなたに最高の新居を用意してあげるから!」

私の高笑いが、潮風に乗って海へと響き渡った。
この時の私はまだ知らなかった。
このド派手な動きが、巡り巡って王子の元へ届き、あろうことか「ラブカは僕への当てつけで奇行に走っている」という、凄まじい勘違いを生んでしまうことを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です

由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。 婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。 ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。 「君を嫌ったことなど、一度もない」 それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。 勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

処理中です...