婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

文字の大きさ
14 / 28

14

しおりを挟む
「……ふふ、カイト様。この深度でいただくお茶は、格別の味わいですわね」

潜水艇『リュウグウ・マークII』の艦内。
水深五千メートルの超高圧世界に包まれながら、私は手にした特殊気密カップを揺らした。

「ええ、ラブカ様。この『深海魚の肝油入り濃縮ハーブティー』……。
通常の気圧では分離してしまう成分が、この高圧下で完璧に乳化している。
舌の上で踊るような、このヌメりとコク……。たまりませんな」

カイト様が、うっとりと目を細めてカップを傾ける。
窓の外は、完全なる暗黒。
サーチライトの光の中に、時折、体長数ミリの美しい翼足類が、キラキラと雪の結晶のように横切っていく。

「見てください、あそこ。……メンダコの仲間かしら?
平べったい耳のようなヒレをパタパタさせて……。
ああ、なんて愛らしいの。あの子を茶菓子にしてしまいたいくらいだわ」

「ラブカ様、それはあまりに過激な愛情表現です。
ですが、確かにあのモチモチとした質感は、高級な大福を連想させますね」

私たちは、地上の喧騒を完全に忘れ去っていた。
アルベルト王子? ミィニャ様? 
そんな名前の魚、深海には生息していないもの。
私にとって、この潜水艇の中こそが真の王宮であり、目の前のカイト様こそが、知性を共有できる唯一の騎士なのだ。

「カイト様、次の潜航目標は……深度七千メートル、日本海溝ならぬ『ディープシー海溝』の最深部を目指しましょう。
そこに、私の運命の魚(ルビ:ターゲット)が待っている気がするの」

「仰せのままに、艦長。……ですが、その前に少しばかり『雑音』を処理した方が良さそうですよ。
……ソナーに、妙な反応が出ています」

カイト様が計器を指差す。
そこには、上空(水面)から、信じられないほどのスピードで落下してくる『巨大な金属塊』の反応があった。

一方、その頃。海上では。

「ついに完成したぞ! これぞ、愛の救出機『ゴールデン・アルベルト号』だ!」

波間に浮かぶ巨大な船の上で、アルベルト王子が、目も眩むような黄金の物体を指差していた。
それは、潜水服というよりは、王子の形をした『金ピカの巨大な像』だった。

「お、王子……。それ、本気で着るんですの?
潜水服っていうか、ただの金の塊じゃありませんこと?」

ミィニャ様が、日傘を回しながら呆れ果てた声を出す。
彼女の隣では、王家お抱えの錬金術師が、死にそうな顔で震えていた。

「殿下……。重ねて申し上げますが、純金は柔らかく、水圧に耐えるには不向きです。
しかも、その意匠を重視したマントや装飾のせいで、空気抵抗……いえ、水抵抗が凄まじいことに……」

「黙れ! 愛の力は水圧など凌駕する!
ラブカは今、海の底で僕の光を待っているんだ。
安っぽい鉄の塊ではなく、この輝かしい黄金の王子こそが、彼女の絶望を照らすのだ!」

王子はそう叫ぶと、特注の(そして無駄に重い)ヘルメットを被った。
中には最新の『空気供給魔導具』が積まれているが、設計ミスで、王子の声がヘルメット内で反響して、外には「モゴモゴ」としか聞こえない。

「モゴ! モゴモゴ、モゴー!!(訳:行くぞ! 救出開始だ!)」

ドッパァァァァァァン!!

重さ数トンの黄金像(王子入り)が、クレーンから解き放たれ、海へと投下された。
あまりの重さに、周囲にいた漁師たちの小舟が転覆しかけるほどの水飛沫が上がる。

「……沈んでいきましたわね。……一瞬で」

ミィニャ様が、泡の消えた水面を見つめて呟く。
「ゴールデン・アルベルト号」は、潜航というよりは、文字通り『墜落』に近いスピードで海の底へと突き進んでいった。

そして、水深五千メートル。

「……カイト様、今の衝撃音、聞こえた?」

「ええ。……何かが、凄まじい速度で自由落下しています。
……この形状、そしてこの悪趣味な反射率……。
まさか、地上からゴミが降ってきたのでしょうか?」

潜水艇のサーチライトが、上空から降ってくる『それ』を捉えた。

のぞき窓の外を、手足をバタバタさせながら、猛スピードで沈んでいく金ピカの人形。
ヘルメットの中で、何やら叫んでいる王子の顔が一瞬だけ見えた。

「…………あれ、元殿下じゃないかしら?」

「左様ですな。……何をされているのでしょうか。
あんな空気抵抗を無視した格好で……。
あ、マントが岩に引っかかって、逆さまになりましたよ」

「ふふ、面白いわね。新種の巨大なキンギョかしら?
それとも、深海に棲む新種の『成金魚(ルビ:ナルシスト)』かしら」

私は冷淡に、カップに残ったハーブティーを飲み干した。
窓の外では、王子が必死にこちらを指差して、何事かを叫んでいる(泡しか出ていないが)。

「ラブカ様、救助しますか?」

「いいえ。あんな不燃ゴミ、艇内に入れたら空気が汚れるわ。
……それよりカイト様、見て。
王子の落下に驚いて、さっきのメンダコちゃんが逃げてしまったわ。
……万死に値するわね」

私の三白眼が、暗闇の中でさらに鋭く光る。
王子の必死の形相も、今の私にとっては『観察記録』の一行にすら値しない。

「ソナーに警告。……黄金の物体、さらに加速して深度六千メートルへ。
……ああ、底を突き破る勢いですね」

「放っておきましょう。金は腐らないから、千年後くらいに考古学者が喜ぶわ。
……私たちは、さらに深くへ。
さあ、カイト様。本当の『愛』を探しに行きましょう」

「了解しました、艦長」

潜水艇は、逆さまになって沈んでいく黄金の王子を完全に無視し、静かに、そして優雅に、さらなる深淵へと舵を切った。
深海のティータイムは、まだ始まったばかりなのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です

由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。 婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。 ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。 「君を嫌ったことなど、一度もない」 それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。 勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

処理中です...