婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

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ザパーン!!

波飛沫を上げ、領地のドックに潜水艇『リュウグウ・マークII』が浮上した。
船体に取り付けられた回収用の網の中には、鈍い輝きを放つ「黄金の塊」が、まるで巨大な深海ゴミのように無造作に放り込まれている。

「お、お嬢様! おかえりなさいませ! ……って、何ですかその網の中のキラキラしたものは!」

桟橋で待ち構えていたアンナが、腰を抜かさんばかりに驚いている。
私は潜水艇のハッチを勢いよく開け、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。

「ただいま、アンナ! 最高だったわ、水深七千メートルの世界は! あ、そのゴミ? ……いえ、網の中のは、途中で拾った『自称・救出王子』よ」

「ゴミ扱い!? ひ、ひどいわラブカ様! アルベルト様、生きているんですの!?」

背後から、血相を変えたミィニャ様が駆け寄ってきた。
彼女は網の中の金ピカ像を見て、「ああ……私の王妃の座が……!」ではなく「アルベルト様ぁ!」と、これ見よがしに絶叫した。

「カイト様、アームで網を開けて差し上げて。……ただし、あまり手荒くすると中の人がバラバラになっちゃうから気をつけてね」

「了解しました、艦長。……まあ、バラバラになっても金塊としての価値は変わりませんがね」

カイト様が冷淡に操作レバーを動かすと、網から黄金の像がゴロリと桟橋に転がり落ちた。
ドォォォン、という鈍い音が響き、石畳に亀裂が入る。

「……あ、あつい……暗い……魚が、怖い……」

黄金のヘルメットの中から、消え入りそうな声が漏れた。
アンナが手際よく(金槌で叩きながら)ヘルメットをこじ開けると、中から現れたのは、顔面蒼白で髪がグシャグシャ、虚ろな目をしたアルベルト王子だった。

「アルベルト様! ああ、神様! なんてお痛わしいお姿に!」

ミィニャ様が王子に抱きつく。
王子は朦朧とした意識の中で、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
彼の視界の先には、逆光を浴びて、潜水艇の上に仁王立ちする私の姿があった。

「……ラ、ブカ……。……君、か……?」

「ええ、そうよ。わざわざ海の底まで沈んできて、私の潜水艇のアンテナを壊そうとした迷惑な元婚約者様。……息をしてるなら、さっさと立ち上がって王都へ帰りなさいな」

私は三白眼を最大限に鋭くして、王子を見下ろした。
今の私の格好は、水圧で少しひしゃげたヘッドセットに、魚の粘液が付着した白衣。
普通の男なら「魔女だ!」と叫んで逃げ出すレベルの迫力だ。

しかし。
死の淵から生還した王子の脳内では、驚異的な『記憶の再構築』が行われていた。

「……ああ……見える。見えるぞ、ラブカ。……君は、僕を救うために、あの恐ろしい深海の怪物と戦ってくれたんだね……」

「はぁ? 怪物? 主(ぬし)のこと? 戦うわけないでしょう、あんなに美しい子と!」

「……強がらなくていい。……その、泥と魚の臭いにまみれた姿……。僕を黄金の檻から引きずり出すために、君がどれほど必死だったか、今ならわかる。……ラブカ、君は、僕のために……あんなに深いところまで……」

王子の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
彼は震える手で私の方へ手を伸ばした。

「ミィニャ、離せ。……僕は今、真実の愛に目覚めた。……ラブカ! 君こそが、僕の命を繋ぎ止めてくれた、深海の女神だ!」

「…………。……カイト様。これ、脳が水圧で圧縮されて、おかしくなっちゃったのかしら」

「おそらくそうでしょうな。……あるいは、もともと中身が詰まっていなかった分、変形が激しかったのかもしれません」

カイト様が私の隣に並び、憐れみの視線を王子に向けた。
王子はそのカイト様を見て、今度は嫉妬ではなく、奇妙な『友情』の眼差しを向けた。

「カイト……。貴様も、ラブカを支えてくれて感謝する。……三人で、手を取り合って生還したあの暗黒の日々……僕は一生忘れないぞ!」

「三人? ……カイト様、私たち、この人を一緒に乗せた記憶、ありましたっけ?」

「いいえ。彼は外側の網に引っかかっていただけです。……寄生虫のようなものですな」

しかし、王子には何も聞こえていない。
彼は「救出された悲劇のヒロイン」から「ラブカの愛に救われたヒーロー」へと、勝手にジョブチェンジを完了させていた。

「さあ、ラブカ! 王都へ戻ろう! 僕たちの結婚式は、この深海の冒険をテーマにした素晴らしいものに……」

「お断りします。……百回言ってもわからないのかしら。私は今、主の映像データを整理しなきゃいけないの。結婚式なんて、ダイオウイカの求愛行動より興味がないわ」

私は冷たく言い放つと、潜水艇から飛び降り、カイト様を連れて研究所の中へと突き進んだ。

「ラブカ! 待ってくれ! 恥ずかしがらなくていいんだ! ……ミィニャ、君も証人だ! ラブカは、僕を抱きしめて泣いていたんだぞ!」

「泣いてませんわよ! あいつ……あの方は、アルベルト様のヘルメットをアームで小突いていただけですわ!」

ミィニャ様の悲鳴のようなツッコミも、王子の耳には「祝福のファンファーレ」として変換されていた。

研究所の扉を閉める直前、私は最後にもう一度だけ王子を振り返った。

「アルベルト王子。一つだけ言っておくわ。……黄金は重いだけで、深海では何の役にも立たない。……あなたと同じね。さようなら」

バタン!!

「……ああ、なんて痺れる言葉だ。……『黄金より重い愛』を、僕に伝えてくれたんだね……!」

扉の向こうで、王子の感極まった叫びが響く。
アンナが「もう手遅れですね、あの王子様……」と、深いため息をついた。

「さて、カイト様。邪魔者は(脳内でおめでたくなって)去ったわ。……私たちの『主』の解析を始めましょう」

「了解しました。……王子の妄想よりも、主の鰓の数の方が、一兆倍は重要ですからね」

私たちの平和なオタク生活は、王子の斜め上の進化によって、より一層カオスな方向へと向かい始めていた。
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