婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

文字の大きさ
17 / 28

17

しおりを挟む
「……ああ、この成分。やはり深海棲の『テトロド・オクトパス』の唾液に含まれる毒素に酷似しているわ。
カイト様、見て。この試験管の中で、青く変色していく様子……まるで、裏切りに染まった誰かさんの心のようじゃない?」

私は、最新の顕微鏡を覗き込みながら、悦に入っていた。
隣ではカイト様が、私のメモを熱心に書き写している。

「素晴らしい観察眼です、ラブカ様。
しかし、これほど高濃度の毒素、一体どこで手に入れたのですか?
この辺りの海域では、まだ観測されていないはずですが」

「それがね、カイト様。ついさっき、自称・聖女見習い様が『仲直りのしるしに』って、とびきり甘い香りのハーブティーを持ってきてくれたのよ」

私が顎で指した先には、銀のトレイに乗った、湯気を立てる可愛らしいティーカップ。
その時、研究室の扉が、しずしずと開いた。

「……あら。ラブカ様、まだお茶を召し上がっていないの?」

そこに立っていたのは、ピンクのフリルを戦闘服のように纏ったミィニャ様だった。
彼女は、アルベルト王子を「救出(笑)」した後に着替えたらしく、王都で流行りの最新ドレスで着飾っている。
だが、その瞳には、隠しきれない焦燥と殺意が渦巻いていた。

「ええ、ミィニャ様。あまりに芳醇な香りで、飲むのがもったいなくて。
まずは、このお茶に含まれる『未知の成分』を分析していたところですの」

私は、ニコリともせずに三白眼を細めた。

「分析……? な、何を仰っているのかしら。
それは私が心を込めて淹れた、王都で大人気の『癒やしのティー』ですわ。
さあ、冷めないうちに召し上がれ? 喉が渇いているのでしょう?」

ミィニャ様が、一歩、また一歩と詰め寄ってくる。
彼女の背後には、いつの間にかアルベルト王子も立っていた。
王子は、まだ水圧の後遺症があるのか、少しふらつきながらも私を情熱的に見つめている。

「ラブカ、ミィニャの好意を受け取るんだ。
君がその毒素……じゃなくて、お茶を飲んで、心も体も浄化されれば、僕たちはまた一歩、真実の愛へと近づける」

「元殿下。……あなたが近づいているのは愛ではなく、私の『法的措置』へのカウントダウンですわよ」

私はため息をつき、試験管をミィニャ様の方へ突き出した。

「ミィニャ様。このお茶、テトロド・オクトパス……通称『シビレダコ』の毒が入っていますわね。
それも、牛三頭を一瞬で麻痺させるほどの猛毒が」

「な、ななな……何を馬鹿なことを! 証拠でもあるんですの!?」

「証拠? 今、目の前で試薬が真っ青に染まっているのが見えなくて?
それとも、あなたの目は節穴どころか、深海魚の退化した眼球並みの機能しか残っていないのかしら」

私は、一歩踏み出し、ミィニャ様の喉元に試験管を寄せた。

「普通の令嬢なら、これで震え上がって泣き崩れるんでしょうけど……あいにく、私は深海魚オタクなの。
この程度の毒、私の日常茶飯事だわ。
なにしろ、昨日のアナゴの薄造りにも、これに近い成分が含まれていたもの」

「ひっ……! な、なによそれ、野蛮だわ! 化け物よ!」

ミィニャ様が悲鳴を上げて後ずさる。
私は追い打ちをかけるように、冷酷な正論を叩きつけた。

「野蛮なのは、どちらかしら?
毒を盛ってまで、他人の地位や男を奪おうとするその浅ましさ。
それは、深海の泥底で獲物を待ち伏せする『アンコウ』の擬態よりも、ずっと醜悪だわ」

「な……っ!」

「アンコウは生きるために擬態するけれど、あなたは自分の欲を満たすために、聖女の皮を被っている。
でもね、ミィニャ様。本物の輝きは、内側から発光する深海魚のように、偽物には真似できないのよ。
王子の愛を失うのがそんなに怖い? 
そんな、水圧で頭がひしゃげた男なんて、私からすれば『不燃ゴミ』でしかないわ」

「不燃ゴミ……! ラブカ、今、僕のことを不燃ゴミと言ったのか!?」

王子がショックでよろめくが、私は無視だ。

「さあ、このお茶。もし潔白だと言うなら、あなたが今ここで飲み干してくださる?
それとも、私があなたの顔にぶっかけて、その化粧を毒で溶かしてあげましょうか?」

「いやあああああ! 来ないで、この魔女! 魚女!」

ミィニャ様は、トレイをひっくり返し、ドレスの裾を振り乱して逃げ出した。
廊下にガシャーンという派手な音が響き、お茶が床を汚していく。

「……あら。逃げ足だけは、深海を泳ぐ『ミズウオ』並みに速いわね」

私は、床に広がったお茶を、残念そうに眺めた。

「カイト様。この毒素、もったいないわね。
まだ解析の余地があったのに」

「ええ、ラブカ様。ですが、彼女の悪事がこれほど鮮やかに露呈したのです。
もう、彼女が聖女として王都に戻ることは叶わないでしょう」

カイト様が、優しく私の肩に手を置いた。

「……それにしても、ラブカ様。
『不燃ゴミ』という表現、あまりに痛快でした。
私も、彼を処理場へ運ぶ手伝いが必要なら、いつでも仰ってください」

「ふふ、ありがとう。でも、ゴミを運ぶのはジンさんたちの仕事よ。
私たちは、もっと高貴な『主(ぬし)』のデータ整理に戻りましょう」

私は、ヘッドセットのライトをパチリと点灯させた。
ミィニャ様の最後の一撃は、私の「魚への情熱」という名の鋼鉄の壁に、傷一つ付けることはできなかったのだ。

王都のドロドロとした陰謀も、猛毒も。
すべては、広大で清らかな深海の中では、一瞬で希釈されて消えてしまう程度のもの。

「さあ、カイト様。次は、深海クラゲの神経伝達物質についての考察よ!」

「はい、艦長! 徹夜で付き合いましょう!」

私たちの笑い声が、再び静かな研究室に響き渡る。
悪役令嬢と呼ばれた私の幸せは、誰にも、毒を盛ることさえできないほど、深く、強く、根を張っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

嫌われ令嬢ですが、最終的に溺愛される予定です

由香
恋愛
貴族令嬢エマは、自分が周囲から嫌われていると信じて疑わなかった。 婚約者である侯爵令息レオンからも距離を取られ、冷たい視線を向けられている――そう思っていたのに。 ある日、思いがけず聞いてしまった彼の本音。 「君を嫌ったことなど、一度もない」 それは誤解とすれ違いが重なっただけの、両片思いだった。 勘違いから始まる、甘くて優しい溺愛恋物語。

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

冷酷騎士様の「愛さない」は一分も持たなかった件

水月
恋愛
「君を愛するつもりはない」 結婚初夜、帝国最強の冷酷騎士ヴォルフラム・ツヴァルト公爵はそう言い放った。 出来損ないと蔑まれ、姉の代わりの生贄として政略結婚に差し出されたリーリア・ミラベルにとって、それはむしろ救いだった。 愛を期待されないのなら、失望させることもない。 契約妻として静かに役目を果たそうとしたリーリアは、緩んだ軍服のボタンを自らの銀髪と微弱な強化魔法で直す。 ただ「役に立ちたい」という一心だった。 ――その瞬間。 冷酷騎士の情緒が崩壊した。 「君は、自分の価値を分かっていない」 開始一分で愛さない宣言は撤回。 無自覚に自己評価が低い妻に、激重独占欲を発症した最強騎士が爆誕する。 以後、 寝室は強制統合 常時抱っこ移動 一秒ごとに更新される溺愛 妻を傷つける者には容赦なし宣言 甘さ過多、独占欲過剰、愛情暴走中。 さらにはリーリアを取り戻そうとする実家の横槍まで入り――? 自己評価ゼロの健気令嬢と愛が一分も我慢できなかった最強騎士。 溺愛が止まらない、契約結婚から始まる甘すぎる逆転ラブコメ

処理中です...