婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

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「……モゴ……モゴゴ……。寒い……。暗い……。そして何より、僕の美貌を照らす光が足りない……」

水深五百メートル。
かつて黄金に輝いていた『ゴールデン・アルベルト号』は、今や見る影もない錆びた鉄屑と化していた。
王家特注の魔法障壁も、水圧の暴力に屈してミシミシと悲鳴を上げている。

アルベルト王子は、浸水してきた冷たい海水に足を浸しながら、虚ろな目で計器を見つめていた。
彼の脳内では、未だに「僕を救うために犠牲になったラブカ」という壮大な悲劇が上映されている。

「ラブカ……。君は今頃、あの巨大な魚の胃袋の中で、僕の名を呼んでいるのだろう……? 待っていてくれ、今すぐに僕が……寝る……。いや、眠ってはいけない……」

王子の意識が遠のきかけた、その時。
海面へと繋がる通信用の魔導具から、ヒステリックな絶叫が響き渡った。

『アルベルト様! アルベルト様ぁ! 聞こえていらっしゃいますの!?』

「……ミィ、ニャ……? ああ、可憐な僕の愛人……じゃなかった、聖女候補……」

『もう、いつまでそんなゴミ箱の中に引きこもっていらっしゃいますの! 騎士団の予算も底を突きましたわよ! いい加減に戻ってきて、私を王妃にすると宣言してくださいまし!』

通信の向こう側では、ミィニャ様が血走った目でマイクを握りしめていた。
彼女は今、王都からの「予算停止通告」を受けて、極限の崖っぷちに立たされていた。
このまま王子が戻らなければ、彼女はただの「王子を遭難させた不吉な女」として、修道院送りが確定してしまう。

「ミィニャ……。ラブカが……。ラブカが深淵で、僕を待っているんだ……」

『まだそんな寝言を! あんな魚女、放っておけばいいんですのよ! ……いいわ、こうなったら私の秘蔵の魔道具、「聖女の引力(ルビ:マグネット・フォース)」を使って、無理やり引き揚げてあげますわ!』

「……え? 引力……?」

ミィニャ様が船上で古い巻物を広げる。
それは、かつて禁忌とされた「対象を強引に空間転移させる」高火力の魔法スクロールだった。
ただし、安全装置が壊れているという曰く付きの代物だ。

『さあ、アルベルト様! 私の愛(という名の野心)で、地上へ戻りなさいな! ……えいっ!!』

カッ!!

凄まじい閃光が海面を走り、水中を漂っていた鉄屑(王子入り)に魔法の縄が絡みつく。
しかし、その縄が引き寄せたのは、王子の潜水服だけではなかった。

「……あら? カイト様、見て。何だか上の方が騒がしいわね」

水深一万メートルの神殿。
魔法の鏡で地上のドタバタを観賞していた私は、ポテトチップスのような「乾燥深海エビ」をかじりながら首を傾げた。

「……強力な強制転移魔法の予兆ですな。……おや、ターゲットが王子の潜水服になっていますが、計算式がメチャクチャです。……これでは周囲の海水ごと、王都までブチ撒けることになりますよ」

カイト様が、呆れ顔で計器を操作する。

「まあ、大変。王都が魚臭くなってしまうわ。……大叔父様、どうにかできないかしら?」

「ふむ……。私の眠りを妨げるゴミ掃除か。……よし、主(ぬし)のゲップを少々お見舞いしてやろう」

大叔父エドワードが、ブロブフィッシュの王の脇腹をポヨンと突っついた。
すると、主が「ふぁぁ」と巨大なあくびをし、その口から超高濃度の魔力の塊が、泡となって放出された。

その泡は、海流に乗って一気に急上昇し、ミィニャ様が放った魔法の縄と激突。
その結果……。

ドォォォォォォン!!

海面で、巨大な「水の噴水」が爆発した。

「ぎゃあああああ!? な、何なんですの、この水流はぁぁぁ!!」

ミィニャ様の乗っていた豪華客船は、主のゲップによって発生した大波に飲み込まれ、王子の鉄屑と共に、遥か彼方の「無人島」へと吹き飛ばされていった。

「……あ。消えたわね」

「ええ。……軌道計算の結果、彼らが辿り着くのは、王都から数百キロ離れた『ナマコだらけの無人島』です。……食料には困らないでしょう」

「ナマコ三昧の生活……。ある意味、私より贅沢なセカンドライフね」

私は満足げに最後のエビを飲み込んだ。
これで、私の研究を邪魔する「光の当たる世界の住人」は、物理的に消滅した。

「さあ、カイト様。邪魔者はいなくなったわ。……次は、主の背中にある『謎のイボ』の採取に取り掛かりましょう!」

「了解しました、艦長! ……あ、大叔父様。顕微鏡のピントがズレてますよ!」

「おっと、すまん。老化で目が霞んでな。……深海サメの目薬でも差すとするか」

一万メートルの底にある神殿には、再び、平和で不気味なオタクの笑い声が満ちた。
地上の王位継承権も、聖女の称号も、この暗い水の底では何の意味も持たない。

ただ、目の前の大きな魚が、今日も幸せそうに浮いている。
それだけで、私の悪役令嬢としての物語は、最高のハッピーエンドに向かっているのだ。
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