婚約破棄の瞬間に「ラッキー!」と叫んだら、王子の様子がおかしい。

小梅りこ

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「……はあ。このヌメリ、この吸着力、そしてこの、一切の光を拒絶するような退廃的な内装……。大叔父様、あなた最高のセンスをしていらっしゃいますわね」

潜水艇から神殿へと乗り移った私は、周囲の壁をベタベタと触りながら、感動のあまり身悶えしていた。
一万メートルの水圧を魔法障壁で完全に遮断したこの空間は、まさに深海オタクにとっての理想郷(エルドラド)だ。

「……ふむ。やはり君は、私の血を濃く継いでいるようだな、ラブカ。その獲物を屠るような三白眼……若き日の私にそっくりだ」

大叔父エドワードは、深海サメの皮で作られた椅子に深く腰掛け、満足そうに頷いた。
彼は、私が王都から追放されたことや、王子を振った(と彼は認識している)話を一通り聞くと、豪快に笑い飛ばした。

「王妃教育? 宝石? そんなもの、深海の高圧で潰れた空き缶ほどの価値もない。……見なさい、カイト君と言ったか。君もこちらへ来い。……この奥にあるのが、私が五十年かけて守り抜いてきた『世界の真実』だ」

カイト様は、大叔父様の異様な迫力に圧倒されつつも、学術的好奇心を抑えきれない様子で一歩踏み出した。

「エドワード様。……伝説では、あなたは海に溶けて死んだとされていました。……まさか、こんな場所で生態系を監視していたなんて」

「監視? いや、私はただ、この『神(ルビ:サカナ)』の世話をしているだけだよ」

大叔父様が壁のレバーを引くと、背後の巨大な石扉が静かに開いた。
そこにあったのは、神殿の半分を占めるほど巨大な、半球状の魔法水槽。
中には、金色のオーラを放ちながら、ゆらゆらと浮遊する「何か」がいた。

「…………えっ?」

私は絶句した。
それは、体長十メートルはあろうかという、巨大な、そして驚くほどに「ふてぶてしい顔」をした魚だった。
分厚い唇、垂れ下がった頬、そして全てを悟りきったような半開きの目。

「……大叔父様。これ、新種の『ニュウドウカジカ』の王様かしら?」

「左様。通称『ゴールデン・ブロブフィッシュ』。……彼は、この惑星(ほし)の魔力の循環を司る、深淵の王だ。……見てみなさい、あの揺れる脂肪のカーテンを。……神々しいとは思わんかね?」

大叔父様の言葉に、私は思わず膝をついた。
確かに、その圧倒的な「やる気のなさ」と「重量感」は、地上のどんな王族よりも威厳に満ちている。

「……美しいわ。……この、一分間に一度しか動かない鰓の動き。……カイト様、見て! あの子、今、私を見て鼻を鳴らしたわ!」

「ラブカ様、それは単なる水流の加減だと思われますが……。……いや、待て。あの皮膚から漏れ出す魔力濃度、測定不能だ。……これ一匹で、王国全体の魔導具を千年動かせるぞ」

カイト様が魔導計器を叩きながら叫ぶ。
大叔父様は、フフフ、と不気味に笑った。

「そう。地上で王子たちが権力争いをしている間、この子はただ、ここで浮いている。……それが世界の調和なのだ。……ラブカよ、君はこの『王』の次代の守護者となる覚悟はあるか?」

「守護者……? つまり、毎日この子の顔を見ながら、ヌメリを磨き上げる仕事ができるということかしら!?」

「その通りだ。……ついでに、時折迷い込んでくる、黄金の潜水服を着たような『下俗なゴミ』を掃除する役目もあるがな」

大叔父様が、魔法の鏡で水深五百メートル付近の様子を映し出した。
そこには、黄金のメッキが剥げ落ちて、ただの錆びた鉄塊と化した潜水服の中で、ガタガタと震えているアルベルト王子の姿があった。

「モゴ……モゴゴゴ……(訳:お家に帰りたい……)」

「……あら、まだあそこにいたのね、あの不燃ゴミ。……生命力が、深海のゴカイ並みに強いわね」

私は冷淡に鏡を指で弾いた。

「大叔父様。……喜んでお引き受けしますわ。……王妃なんて退屈な座よりも、深淵の王のメイドとして生きる方が、何億倍も刺激的ですもの!」

「よし! ならば今日からここが君たちの新居だ! ……カイト君、君は私の助手として、主(ぬし)の排泄物の分析を担当したまえ」

「光栄です、エドワード先生! ……あんな王子の相手をするより、神の排泄物を調べている方が、よほど未来のためになります!」

カイト様も、重度のオタク特有の清々しい笑顔で快諾した。

こうして、私とカイト様のセカンドライフは、まさかの「一万メートルの神殿での住み込みバイト(世界防衛)」へと急展開を遂げた。
地上の騎士団が、必死に海面を捜索しているとも知らず。

「……さあ、カイト様。まずは主の朝食のために、深海エビを一万匹ほど採集しに行きましょう!」

「了解しました、艦長! ……一万メートルの深淵生活、楽しみすぎて血圧が上がりそうです!」

私たちの笑い声が、神殿の石壁に反響する。
婚約破棄から始まった私の冒険は、ついに、人間を卒業する一歩手前まで到達してしまったのである。
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