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「……なんだ、この惨状は」
カイル・ド・ヴァルガ第一王子は、カーム公爵邸の庭園に足を踏み入れた瞬間、絶句した。
かつて、色とりどりの薔薇が咲き乱れ、優雅なティータイムを楽しんだはずの場所。
そこには今、薔薇の一輪もなく、代わりに荒々しく掘り返された土と、積み上げられた石材の山があった。
「殿下、お気をつけください。足元が泥だらけですわ」
寄り添う男爵令嬢リリアが、眉をひそめてドレスの裾を持ち上げる。
カイルは、婚約破棄から数日後、返却物の確認と「慈悲深い言葉」をかけるためにここを訪れたのだ。
傷心のナギが、寝込んで衰弱している姿を想像しながら。
「……ナギはどこだ。まさか、絶望のあまり庭を荒らしたのか?」
「きっと、殿下への未練で正気を失ってしまったのですよ。可哀想に……」
リリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべた、その時だった。
「せいやぁっ!!」
庭の奥、巨大な庭石が置かれていた場所から、空気を切り裂くような鋭い気合とともに、凄まじい衝撃音が響き渡った。
ズガァァァン!!
「ひっ!?」
リリアが短い悲鳴を上げてカイルにしがみつく。
何事かとカイルが目を凝らすと、そこにはもうもうと立ち込める砂煙の中に立つ一人の人影があった。
「ふぅ……。ちょっと角度が悪かったかしら。次はもう少し重心を低くして……」
砂煙が晴れる。
そこにいたのは、艶やかな髪を無造作にポニーテールにし、袖を捲り上げたシャツとズボン姿のナギ・カームだった。
彼女の手には、公爵家の宝物庫から持ち出されたと思われる重厚な戦鎚(ウォーハンマー)が握られている。
「……ナ、ナギ?」
カイルが震える声で呼ぶ。
ナギは面倒そうに顔を向けると、カイルの姿を認めて、心底「邪魔が入った」という顔をした。
「あら。かぼちゃ……いえ、カイル殿下。こんな泥臭い場所へ何のご用ですの?」
「何のご用だと!? その格好、その振る舞い……一体どうしたというのだ! お前、正気か!?」
カイルは、目の前にある「粉々に砕け散った大岩」を指差した。
かつて先代公爵が愛した、重さ数百キロはあろうかという名石が、今や砂利同然の姿になっている。
「正気も何も、見ての通りですわ。この石が邪魔だったので、少しばかり『整理』をしていただけです」
ナギはハンマーを肩に担ぎ、爽やかな汗を拭った。
その腕の筋肉は、以前の「人形のような細さ」からは想像もつかないほど、しなやかで力強い。
「整理!? 石を粉砕するのが整理だと!? お前は……お前はもっと、お淑やかで、儚い女だったはずだ!」
「お淑やか? ああ、あの『設定』はもう、婚約破棄と同時にゴミ箱へ捨てましたの。今の私は、見ての通りの野生児ですわ」
ナギはカイルへ歩み寄り、不敵に笑った。
「それより、リリア様。そんなところに立っていては危ないですよ。私のハンマーから火花が飛ぶかもしれませんし」
「ひっ、あ、あなたいったい……! 殿下、この方やっぱりおかしいですわ!」
リリアがカイルの背中に隠れる。
カイルは混乱していた。
自分が捨てた女は、もっとこう、泣き崩れて自分を追いかけてくるはずだった。
しかし、目の前のナギは、自分など視界の端にも入れていない。
「……ナギ。お前、私への嫌がらせでこんな真似をしているのか? 関心を引こうとしても無駄だぞ!」
「関心? ふふっ、殿下。おめでたい頭をしてらっしゃいますわね」
ナギはハンマーを地面に突き立て、カイルを真っ向から見据えた。
「私が石を砕いているのは、ここに特大の『石窯』を作るためです。最高の肉を焼くための、ね。あなたのことなんて、一ミリも考えておりませんわ。というか、名前すら忘れかけていましたもの」
「な……名前を忘れただと!? 十年間も私を愛していたお前が!」
「愛? ……ああ、あの『義務感』のことですね。あれは重労働でしたわ。毎日あなたのつまらない自慢話に相槌を打ち、お天気の感想を三パターン使い分ける生活……。あれに比べれば、この大岩を砕く方がよっぽど楽で、刺激的です!」
ナギは言い切り、再びハンマーを持ち上げた。
「さあ、殿下。お引き取りください。私は今、窯の土台を固めるのに忙しいのです。ああ、そうだ。せっかくですから、そのリリア様と一緒に、街の美味しいパン屋にでも行ってくればいかがかしら?」
「き、貴様……私に向かってパン屋へ行けだと!?」
「ええ。今のあなたには、小麦粉をこねるくらいの刺激がお似合いですわよ。……あ、それとも、この石と一緒に粉々になりたいですか?」
ナギが、これ以上ないほど輝く笑顔でハンマーを振りかぶった。
「わ、分かった! もういい! 行くぞ、リリア! ……狂った女に関わると、こちらの品位まで落ちる!」
カイルは捨て台詞を吐き、逃げるようにその場を去っていった。
リリアも、半泣きになりながら彼に続いていく。
二人の姿が見えなくなった瞬間、ナギは大きく息を吐き、ハンマーを下ろした。
「……ふぅ。おーほっほっほ! スカッとしたわ! あいつの顔、見た? 鳩が豆鉄砲どころか、大砲を食らったような顔をしてたわね!」
「ナギ様、笑い方が淑女の仮面を被っていた頃より過激になっていますよ」
背後から、冷めた目をしたエラが現れた。
「いいのよ、エラ。これでようやく、私の前から余計なゴミが消えたわ。さて、工事再開よ! 今日中に土台を完成させて、明日は市場で一番いい牛のモモ肉を買ってくるわよ!」
「はいはい。公爵様には、また『殿下を忘れるための写経をしている』と報告しておきますね」
「お願い。……あ、でも写経の代わりに、窯の図面を描いてるって言っておいて。嘘じゃないし」
ナギは再びハンマーを振り上げた。
空に向かって響くその音は、彼女の真の自由を告げる凱歌のようだった。
カイルは知らない。
彼が「人形」だと思っていた少女の正体が、実は火山のようなエネルギーを秘めた「破壊神(予備軍)」だったことを。
そして、この日を境に、ナギ・カームの「素」の快進撃が、本格的に幕を開けるということを。
「さあ、次はあの岩よ! 覚悟しなさい!」
ドゴォォォン!!
その日の公爵邸には、日没まで爽快な破壊音が響き続けていた。
カイル・ド・ヴァルガ第一王子は、カーム公爵邸の庭園に足を踏み入れた瞬間、絶句した。
かつて、色とりどりの薔薇が咲き乱れ、優雅なティータイムを楽しんだはずの場所。
そこには今、薔薇の一輪もなく、代わりに荒々しく掘り返された土と、積み上げられた石材の山があった。
「殿下、お気をつけください。足元が泥だらけですわ」
寄り添う男爵令嬢リリアが、眉をひそめてドレスの裾を持ち上げる。
カイルは、婚約破棄から数日後、返却物の確認と「慈悲深い言葉」をかけるためにここを訪れたのだ。
傷心のナギが、寝込んで衰弱している姿を想像しながら。
「……ナギはどこだ。まさか、絶望のあまり庭を荒らしたのか?」
「きっと、殿下への未練で正気を失ってしまったのですよ。可哀想に……」
リリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべた、その時だった。
「せいやぁっ!!」
庭の奥、巨大な庭石が置かれていた場所から、空気を切り裂くような鋭い気合とともに、凄まじい衝撃音が響き渡った。
ズガァァァン!!
「ひっ!?」
リリアが短い悲鳴を上げてカイルにしがみつく。
何事かとカイルが目を凝らすと、そこにはもうもうと立ち込める砂煙の中に立つ一人の人影があった。
「ふぅ……。ちょっと角度が悪かったかしら。次はもう少し重心を低くして……」
砂煙が晴れる。
そこにいたのは、艶やかな髪を無造作にポニーテールにし、袖を捲り上げたシャツとズボン姿のナギ・カームだった。
彼女の手には、公爵家の宝物庫から持ち出されたと思われる重厚な戦鎚(ウォーハンマー)が握られている。
「……ナ、ナギ?」
カイルが震える声で呼ぶ。
ナギは面倒そうに顔を向けると、カイルの姿を認めて、心底「邪魔が入った」という顔をした。
「あら。かぼちゃ……いえ、カイル殿下。こんな泥臭い場所へ何のご用ですの?」
「何のご用だと!? その格好、その振る舞い……一体どうしたというのだ! お前、正気か!?」
カイルは、目の前にある「粉々に砕け散った大岩」を指差した。
かつて先代公爵が愛した、重さ数百キロはあろうかという名石が、今や砂利同然の姿になっている。
「正気も何も、見ての通りですわ。この石が邪魔だったので、少しばかり『整理』をしていただけです」
ナギはハンマーを肩に担ぎ、爽やかな汗を拭った。
その腕の筋肉は、以前の「人形のような細さ」からは想像もつかないほど、しなやかで力強い。
「整理!? 石を粉砕するのが整理だと!? お前は……お前はもっと、お淑やかで、儚い女だったはずだ!」
「お淑やか? ああ、あの『設定』はもう、婚約破棄と同時にゴミ箱へ捨てましたの。今の私は、見ての通りの野生児ですわ」
ナギはカイルへ歩み寄り、不敵に笑った。
「それより、リリア様。そんなところに立っていては危ないですよ。私のハンマーから火花が飛ぶかもしれませんし」
「ひっ、あ、あなたいったい……! 殿下、この方やっぱりおかしいですわ!」
リリアがカイルの背中に隠れる。
カイルは混乱していた。
自分が捨てた女は、もっとこう、泣き崩れて自分を追いかけてくるはずだった。
しかし、目の前のナギは、自分など視界の端にも入れていない。
「……ナギ。お前、私への嫌がらせでこんな真似をしているのか? 関心を引こうとしても無駄だぞ!」
「関心? ふふっ、殿下。おめでたい頭をしてらっしゃいますわね」
ナギはハンマーを地面に突き立て、カイルを真っ向から見据えた。
「私が石を砕いているのは、ここに特大の『石窯』を作るためです。最高の肉を焼くための、ね。あなたのことなんて、一ミリも考えておりませんわ。というか、名前すら忘れかけていましたもの」
「な……名前を忘れただと!? 十年間も私を愛していたお前が!」
「愛? ……ああ、あの『義務感』のことですね。あれは重労働でしたわ。毎日あなたのつまらない自慢話に相槌を打ち、お天気の感想を三パターン使い分ける生活……。あれに比べれば、この大岩を砕く方がよっぽど楽で、刺激的です!」
ナギは言い切り、再びハンマーを持ち上げた。
「さあ、殿下。お引き取りください。私は今、窯の土台を固めるのに忙しいのです。ああ、そうだ。せっかくですから、そのリリア様と一緒に、街の美味しいパン屋にでも行ってくればいかがかしら?」
「き、貴様……私に向かってパン屋へ行けだと!?」
「ええ。今のあなたには、小麦粉をこねるくらいの刺激がお似合いですわよ。……あ、それとも、この石と一緒に粉々になりたいですか?」
ナギが、これ以上ないほど輝く笑顔でハンマーを振りかぶった。
「わ、分かった! もういい! 行くぞ、リリア! ……狂った女に関わると、こちらの品位まで落ちる!」
カイルは捨て台詞を吐き、逃げるようにその場を去っていった。
リリアも、半泣きになりながら彼に続いていく。
二人の姿が見えなくなった瞬間、ナギは大きく息を吐き、ハンマーを下ろした。
「……ふぅ。おーほっほっほ! スカッとしたわ! あいつの顔、見た? 鳩が豆鉄砲どころか、大砲を食らったような顔をしてたわね!」
「ナギ様、笑い方が淑女の仮面を被っていた頃より過激になっていますよ」
背後から、冷めた目をしたエラが現れた。
「いいのよ、エラ。これでようやく、私の前から余計なゴミが消えたわ。さて、工事再開よ! 今日中に土台を完成させて、明日は市場で一番いい牛のモモ肉を買ってくるわよ!」
「はいはい。公爵様には、また『殿下を忘れるための写経をしている』と報告しておきますね」
「お願い。……あ、でも写経の代わりに、窯の図面を描いてるって言っておいて。嘘じゃないし」
ナギは再びハンマーを振り上げた。
空に向かって響くその音は、彼女の真の自由を告げる凱歌のようだった。
カイルは知らない。
彼が「人形」だと思っていた少女の正体が、実は火山のようなエネルギーを秘めた「破壊神(予備軍)」だったことを。
そして、この日を境に、ナギ・カームの「素」の快進撃が、本格的に幕を開けるということを。
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