え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

文字の大きさ
6 / 28

6

しおりを挟む
「……却下です」


私はその「物体」をデスクの上に放り投げた。

ペラリ、と情けない音を立てて着地したのは、一枚の羊皮紙だ。

そこには、ピンク色のクレヨンで、ミミズが這ったような文字が踊っていた。


『りれきしょ』

『なまえ:リリィ』

『とくいなこと:おはなと おしゃべり』

『しぼうどうき:おねえさまと おかしが たべたいから』


「…………」


私はこめかみを指で強く押した。

頭痛だ。

慢性的な肩こりや眼精疲労とは違う、もっと根源的な、脳細胞が死滅する音を伴う頭痛がする。


「ええーっ!? なんでですかお姉様! 私、一生懸命書いたのに!」


目の前で頬を膨らませているのは、昨日、馬車と並走するという驚異的な身体能力を見せつけたリリィ男爵令嬢である。

彼女はなぜか、メイド服(ただし丈が短くアレンジされた珍妙なもの)を着ていた。


「リリィ様。ここは王国の行政を司る宰相執務室です。託児所でも、動物園でもありません」


「わかってますよぅ! だから私、働く気マンマンです! 見てください、このやる気!」


彼女は力こぶを作るポーズをとった。

細腕に見えるが、昨日の馬車ダッシュを思い出すと、あの腕の中には圧縮された筋肉が詰まっているのかもしれない。


「あのな、ロゼリア」


デスクの奥から、アーク様がげんなりした顔で声をかけてきた。


「なぜ彼女がここにいる? 警備兵は何をしていたんだ」


「それが……正面突破されたそうです」


「は?」


「『お姉様にクッキーを届けに来ました!』という笑顔と、『通してくれないと泣いちゃいます!』という謎の脅迫、そして隙を見て衛兵の股下をくぐり抜ける俊敏さで、ここまで到達したとか」


「……城の警備体制を見直す必要があるな」


アーク様が頭を抱えた。

私も同感だ。

だが、問題は目の前のこの生き物だ。


「リリィ様。お帰りください。貴女にできる仕事はありません」


「そんなことないです! 私、何でもできます! お掃除とか、お洗濯とか!」


「この部屋の掃除は昨日私が終わらせました。洗濯は専門の係がいます」


「じゃあ、お茶汲み!」


「貴女が入れると、砂糖と塩を間違えたり、ポットをひっくり返して書類を水没させたりする未来が見えます。リスク管理の観点から却下です」


「むぅ……。じゃあ、肩揉み!」


「貴女の馬鹿力で肩を揉まれたら、肩甲骨が砕けます。労災案件です」


私は淡々と否定していく。

リリィ様は「う~」と唸り、涙目になってきた。


「だって……だってぇ……。ジュリアン様がつまんないんですもの……」


「は?」


「昨日、お姉様に言われて戻りましたけど……ジュリアン様ったら、ずーっと『ロゼリアのやつ、許さん』とか『でもあの計算高さは意外と……』とかブツブツ言ってて。私とお話してくれないんです!」


「……あの王子、まだ私に執着しているのですか。暇ですね」


「それに、お城のケーキも食べ尽くしちゃったし……。ここに来れば、お姉様がいるし、なんか楽しそうだし!」


動機が不純すぎる。

しかし、ここで彼女を追い返しても、また明日本能の赴くままに突撃してくるだろう。

それは私の業務効率を著しく低下させる。

ならば、いっそ……。


私は電卓を叩く手を止め、リリィ様をじっと観察した。

有り余る体力。

無駄に高い行動力。

そして、私の言うことには(なぜか)従う従順さ。

……使えるかもしれない。


「……リリィ様。貴女、本当にお仕事がしたいのですね?」


「はいっ! お姉様のお役に立ちたいです!」


「お給料は出ませんが?」


「おやつが出ればいいです!」


「……採用」


「えっ?」


アーク様が素っ頓狂な声を上げた。


「おいロゼリア、正気か? その時限爆弾を雇うつもりか?」


「ご安心ください、アーク様。適材適所という言葉がございます。彼女には、彼女にしかできない特務を与えます」


私はニヤリと笑い、一枚の封筒を手に取った。

それは「至急」の印が押された、財務局への伝達書類だ。


「リリィ様。初仕事です」


「はいっ! なんでしょう!」


「この書類を、北塔の3階にある財務局長へ届けてください。通常、ここから歩いて片道15分かかります」


「はい!」


「これを、往復5分でこなしてきなさい。できたら、私のおやつのクッキー(アーク様の経費で購入予定)を一枚あげます」


「5分!? クッキー!?」


リリィ様の目の色が、猛獣のそれに変わった。


「やります! 行ってきます!」


シュバッ!!


風が巻いた。

次の瞬間、リリィ様の姿は消えていた。

ただ、開け放たれた扉がバタンバタンと揺れているだけだ。


「……速い」


アーク様がポカンとしている。


「な、なんだ今の速度は……。疾風か?」


「いいえ、食い意地の張ったヒロインです。財務局への往復は、どんなに急いでも20分はかかる距離。それを短縮できれば、決裁のスピードが格段に上がります」


「なるほど……。『人力伝書鳩』というわけか」


「鳩より速く、鳩よりコストがかかりません(クッキー一枚)。優秀な労働力です」


私は満足げに頷き、自分の仕事に戻った。


3分後。


「と、届けてきましたぁーー!!」


ズサーッ!

とスライディングしながら、リリィ様が帰還した。

手には受領印が押された書類が握られている。

息一つ切らしていない。


「……3分ジャスト。新記録ね」


私は時計を見て、感嘆の声を漏らした。

財務局長は、突然現れて書類を叩きつけ、受領印をひったくって消えた謎のメイドに恐怖したことだろう。


「はい、報酬のクッキーです」


「わーい! もぐもぐ……おいしい!」


リリィ様は満面の笑みでクッキーを頬張る。

ちょろい。

ちょろすぎる。

だが、この単純さが今はありがたい。


「よし。次はこれだ、リリィ様。南棟の兵務局へ。これは重いから気をつけて」


「らじゃーです!」


リリィ様は分厚い資料の束を軽々と抱え、再び疾風のように飛び出していった。


「……ロゼリア」


アーク様が、しみじみと言った。


「君は、猛獣使いの才能もあるのか」


「お金の管理も、猛獣の管理も、基本は同じですわ。『アメとムチ』、そして『利益誘導』。これさえ抑えておけば、大抵のものは動かせます」


「……恐ろしい部下を持ったものだ」


アーク様は苦笑しつつ、手元の書類処理速度を上げた。

リリィ様という「超高速物流システム」が導入されたことで、宰相執務室の業務効率は飛躍的に向上した。

廊下ですれ違う官吏たちが、「ピンク色の残像を見た」「謎の突風が吹いている」と噂し始めたのは、その数時間後のことである。


そして夕方。


「ふぅ~、働いたぁ~!」


リリィ様がソファにだらしなく寝転がっている。

今日一日で、彼女は城内を50往復はしただろう。

普通の人間なら倒れている運動量だが、彼女は「お腹すいた」と呟くだけで元気そのものだ。


「よくやりました、リリィ様。おかげで今日のノルマは完遂です」


私は労いの言葉をかけた。

本心からの感謝だ。

彼女のおかげで、私の残業時間はゼロになった。


「えへへ、お姉様に褒められた! ……あ、そうだ」


リリィ様が起き上がり、ポケットから何かを取り出した。

くしゃくしゃになった手紙だ。


「これ、兵務局に行く途中で、ジュリアン様に会っちゃって。渡されたんです」


「殿下に?」


嫌な予感がする。

私は指先でその手紙をつまみ上げた。

封蝋はない。

中を開くと、相変わらずの独特なポエム調の文字が並んでいる。


『愛しのリリィへ(ついでにロゼリアも読め)。

 君たちが仲良く仕事をしていると聞いて、僕は感動した。

 やはり君たちは、僕を支える二枚の翼なのだ。

 そこで提案だ。

 明日の夜、僕の部屋で「仲直りパーティー」を開催する。

 僕の手作りケーキを振る舞おう。

 必ず来るように。 ジュリアン』


「…………」


私は無言で手紙を握りつぶした。


「な、仲直りパーティーだって! ケーキだって! 行きましょう、お姉様!」


リリィ様が目を輝かせている。

この娘は、「手作りケーキ」という単語の危険性を理解していない。

あの王子の手作りだ。

砂糖と塩を間違えるどころか、隠し味に「愛の媚薬」とか変なものを混入させる可能性が極めて高い。


「行きません」


「えーっ! なんでですかぁ!」


「残業だからです」


「えっ、さっき『残業ゼロ』って……」


「今発生しました。明日の夜は、緊急の……そう、公爵領の特産品開発会議があります」


私は即座に嘘をついた。

だが、アーク様が横から口を挟む。


「いや、ロゼリア。行ってきたらどうだ?」


「はい?」


アーク様は悪い顔で笑っていた。


「王子の『手作りケーキ』だ。材料費がどこから出ているか、気にならないか? 今、彼の予算は凍結中のはずだが」


「……あ」


そうだった。

金貨一枚たりとも使えないはずの王子が、パーティーを開く?

材料費は?

会場の設営費は?


「……裏帳簿ですね」


私の目に、キラーンと冷たい光が宿った。


「なるほど。隠し資産か、あるいは新たな借金か。……どちらにせよ、見過ごせませんね」


「だろ? リリィ嬢の護衛も兼ねて、潜入捜査といこうじゃないか」


「護衛……?」


「ああ。私も行く」


アーク様が立ち上がった。


「王子が妙な動きを見せているという報告もある。私の『婚約者(仮)』に、変な虫がつかないように監視もしないとな」


「……ビジネスパートナー、です」


訂正したが、アーク様は聞こえないふりをした。

リリィ様だけが「やったー! パーティーだー!」とはしゃいでいる。


明日の夜。

「仲直りパーティー」という名の、地獄の監査タイムが幕を開ける。

私は計算機を磨き上げながら、静かに闘志を燃やした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。

銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。 しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。 しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

偽りの婚約者だった私を捨てた公爵様が、今さら泣きついてきてももう遅いです

exdonuts
恋愛
かつて政略で婚約した公爵令息・レオンハルトに、一方的に婚約破棄を言い渡された令嬢クラリス。彼は別の令嬢に夢中になり、クラリスを冷たく切り捨てた。 だが、国外赴任で彼の目が届かなくなった数年後、クラリスは実家を離れて自らの力で商会を立ち上げ、華やかに再び社交界へと舞い戻る。 彼女の隣には、かつて一途に彼女を支え続けた騎士がいた――。 自分の過ちを悟った元婚約者が戻ってきても、もう遅い。 これは、冷遇された令嬢が愛と誇りを取り戻す“ざまぁ”と“溺愛”の物語。

婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました

Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。 「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」 元婚約者である王子はそう言い放った。 十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。 その沈黙には、理由があった。 その夜、王都を照らす奇跡の光。 枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。 「真の聖女が目覚めた」と——

【完結】私なりのヒロイン頑張ってみます。ヒロインが儚げって大きな勘違いですわね

との
恋愛
レトビア公爵家に養子に出されることになった貧乏伯爵家のセアラ。 「セアラを人身御供にするって事? おじ様、とうとう頭がおかしくなったの?」 「超現実主義者のお父様には関係ないのよ」 悲壮感いっぱいで辿り着いた公爵家の酷さに手も足も出なくて悩んでいたセアラに声をかけてきた人はもっと壮大な悩みを抱えていました。 (それって、一個人の問題どころか⋯⋯) 「これからは淑女らしく」ってお兄様と約束してたセアラは無事役割を全うできるの!? 「お兄様、わたくし計画変更しますわ。兎に角長生きできるよう経験を活かして闘いあるのみです!」 呪いなんて言いつつ全然怖くない貧乏セアラの健闘?成り上がり? 頑張ります。 「問題は⋯⋯お兄様は意外なところでポンコツになるからそこが一番の心配ですの」 ーーーーーー タイトルちょっぴり変更しました(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ さらに⋯⋯長編に変更しました。ストックが溜まりすぎたので、少しスピードアップして公開する予定です。 ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。 体調不良で公開ストップしておりましたが、完結まで予約致しました。ᕦ(ò_óˇ)ᕤ ご一読いただければ嬉しいです。 R15は念の為・・

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

処理中です...