え、いいんですか?婚約破棄、最高じゃないですか!

小梅りこ

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「……さて。契約は成立しました。では、早速業務に取り掛かりましょうか」


私は腕まくりをする勢いで、バッスルドレスの袖を少しだけたくし上げた。

目の前に広がるのは、アーク宰相の執務室という名の「紙屑の山」だ。

床が見えない。

窓も書類で塞がれて日光が入らない。

部屋の隅には、いつの食事かわからない乾いたパンの残骸が転がっている。

ここは魔窟か。


「アーク様。まずはこの部屋の『環境改善』から始めさせていただきます」


「……掃除か? そんなことをしている暇はない。未決裁の書類が山積みだ」


アーク様は机にかじりついたまま、顔も上げずに答えた。

相変わらずのワーカーホリックぶりだ。

私はコツコツとヒールを鳴らして(床の書類を踏まないように慎重に)彼の机まで歩み寄り、その手からペンを奪い取った。


「あ?」


「暇がないからこそ、やるのです。この劣悪な環境では、作業効率が30%は低下しています。探し物に費やす時間、埃による健康被害、そして何より……」


私は部屋の隅で死んだような目をしている数名の部下たちを指差した。


「彼らのモチベーションが限界です。このままでは彼らが過労で倒れ、その治療費や休業補償で国庫に更なるダメージがいきます。それは私の『成果報酬』を減らす要因となりますので、看過できません」


「…………」


アーク様は私の顔と、部下たちの顔を交互に見た。

部下たちが、救世主を見るような涙目で私を見つめている。


「……わかった。好きにしろ。ただし、重要な書類を捨てたら減給だ」


「ご安心を。私にとって『金になる書類』と『ゴミ』の区別は、呼吸をするより簡単です」


許可は降りた。

私はパンと手を叩き、部屋に響き渡る声で号令をかけた。


「さあ、皆様! これより『宰相執務室・大改革作戦』を決行いたします! 目標時間は1時間! 私の指示に従って、手と足を動かしてください!」


「「「は、はいっ!!」」」


死んでいた部下たちが、水を得た魚のように跳ね起きた。


「まず、そこにある書類の山! 日付が3年以上前のものは全て倉庫へ! ただし『保留』の印があるものは私のデスクへ!」


「了解です!」


「窓際の書類タワー! それは中身を確認せずとも、紙の色が変色しています。つまり長期間触られていない証拠。重要度は低いです。ジャンルごとに箱詰めして一旦隔離!」


「イエスマム!」


「そこのパンの耳! それは直ちに廃棄! あと、なぜか落ちている片方だけの靴下も廃棄!」


私は司令塔となり、次々と指示を飛ばした。

私自身も高速で書類を仕分けしていく。

チラリと中身を見て、「却下」「承認」「再考」のスタンプを0.5秒間隔で押していく作業だ。

アーク様が「えっ、それもう読んだのか?」という顔でこちらを見ているが、構わず進める。

内容はパターン化されている。

予算申請の大半は「前例踏襲」の無駄なコピペ文章だ。

金額と費目だけ見れば、その必要性は瞬時に判断できる。


開始から40分。

床が見え始めた。

窓から光が差し込み、淀んでいた空気が循環し始める。

部下たちの顔にも生気が戻ってきた。


「……信じられん」


アーク様が、綺麗になった自分の机を見て呟いた。


「いつもの3倍の速度で決裁が終わっていく……。君は魔法使いか何かか?」


「いいえ、ただの守銭奴です。効率化こそが最大の節約ですので」


私は埃を払った手で、優雅にお茶(部下が入れてくれた)を一口飲んだ。

これでやっと、まともな仕事ができる。

そう思った矢先だった。


バンッ!!


とてつもなく大きな音を立てて、執務室の扉が開け放たれた。


「アーク! いるかアーク! 緊急事態だ!」


入ってきたのは、見慣れた金髪の男。

そう、我が元婚約者、ジュリアン殿下である。

彼は綺麗になった執務室に一瞬キョトンとしたが、すぐに私を見つけて目を剥いた。


「げっ、ロゼリア!? な、なぜ貴様がここにいる!?」


「宰相閣下の補佐官として雇われましたので。殿下こそ、ノックもなしに入室されるとは、マナー講師を解雇されたのですか?」


「うぐっ……! 減らず口を! いや、そんなことはどうでもいい!」


ジュリアン殿下は私を無視して、アーク様の机に詰め寄った。


「アーク! 予算だ! 今すぐ追加予算を出せ!」


「……殿下。今月の王族費は、すでに先週お渡ししたはずですが」


アーク様がこめかみをピクリとさせながら答える。

その声は絶対零度に近い。


「足りないのだ! リリィが……いや、その、リリィの部屋を改装してやりたくてな。彼女、田舎育ちだから『土の匂いがしないと眠れない』とか言うのだ。だから、部屋に温室を作ろうと思って」


「は?」


私は思わず声が出た。

温室?

寝室に?

湿気でカビだらけになる未来しか見えないが、それ以前の問題だ。


「見積もりは金貨300枚だ。すぐにサインしてくれ」


ジュリアン殿下がペラリと一枚の紙を出す。

アーク様が溜息をつこうとした、その時。

シュバッ!

横から伸びた私の手が、その見積書を奪い取った。


「なっ、何をするロゼリア!」


「検閲です。……ふむ、室内温室設置工事。施工業者は……『バロン商会』? ああ、あそこは相場の2倍をふっかける悪徳業者として有名ですが」


「う、うるさい! リリィがそこがいいと言ったんだ!」


「却下です」


私はその場で、見積書をビリビリに破いた。


「あーーーーっ!!」


殿下の絶叫が響く。


「私の夢の温室計画がーー!!」


「殿下。国庫は貴方様の財布ではありません。どうしても作りたいなら、ご自身のお小遣いを貯めてからになさってください。現在、殿下の予算執行権限は凍結中です」


「と、凍結!? 誰の権限で!」


「私です。宰相閣下の全権委任を受けておりますので」


私はアーク様に視線を送った。

彼は「よくやった」と言わんばかりに、口元をニヤリと歪めて頷いた。


「そういうことだ、殿下。金の話は、今後すべて彼女を通してもらう」


「そんな……悪魔だ! ここに悪魔が二匹いる!」


ジュリアン殿下は涙目で私とアーク様を指差した。


「覚えてろよロゼリア! いつか絶対にお前をギャフンと言わせてやるからな! リリィの可愛さに免じて今日は許してやるが!」


捨て台詞になっていない捨て台詞を残し、殿下は嵐のように去っていった。

バタン、と扉が閉まる。

静寂が戻った執務室で、私は破り捨てた紙屑をゴミ箱に捨てた。


「……ふぅ。手間のかかる元婚約者ですこと」


「全くだ。だが……」


アーク様が立ち上がり、私の隣に立った。

そして、不意に私の頭に手を乗せた。

ポン、と軽く。


「助かった。あの男をあそこまで完璧に追い返したのは、君が初めてだ」


「……仕事ですので」


「金貨300枚の節約か。……10%で金貨30枚。来月の給与に上乗せしておこう」


「!」


私の目が、チャリンという音と共に輝いた。

金貨30枚!

わずか数分の対応で!

なんて美味しい仕事なんだろう。


「アーク様! 私、一生ついていきます!」


「現金なやつだな……。だが、悪くない」


アーク様は少しだけ笑って、すぐに真顔に戻った。


「さて、邪魔者も消えた。仕事に戻るぞ、ロゼリア」


「はい、喜んで!」


こうして、私の「宰相補佐官」としての初日は、最高のスタートを切った。

……はずだった。

その翌日、リリィ様が「お姉様と一緒に働きたい!」と言って、宰相執務室に履歴書(クレヨン書き)を持って現れるまでは。
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