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第二章 諸国のうごめき
仮離宮の夏
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真っ青に晴れた空の下、遥か地平線まで見渡す限り草原である。
遠くに天に向かって昇る微かな土煙が見え、こちらに向かって動いていた。
ここは上都の仮離宮。C国皇帝の避暑地である。
「やはりご決断なさるので」
「このままでは結局彼らの文明に呑み込まれる。我々らしさを失いやがては独立も失うであろう。そうなってはご先祖様に申し開きできぬ」
ベランダで丞相バヤンの問いに答えていたのは帝国の皇帝である。
彼がこのことに気づいて愕然としてから既に相当な年月が過ぎていた。
その間の長期にわたる検討と準備は終わっていた。
遠くを見るハーンの眼には先祖が建国した遠い古の大帝国が見えているようだった。
やがて土煙の前に単騎が走っているのが見えた。
「陛下、あれは」
「おっ、ココジンではないか。地平線から帰って来るとは……四、五時間前の夜明け頃に出ていたのだな」
C国の貴族たちは皆乗馬を好んだ。
見ていると馬は速度を上げた。
ハーンの表情がほころんだが話題はすぐ元に戻った。
「既に我が民衆はかの国の産物を好むようになりかの国への憧れを強くしている。彼の国の企業もその考え方も沁み込むように入ってきている。しかし彼の国と我が国では統治原理が相いれない。その浸透は必ず我が社会および国家に矛盾を起す。彼等のビジネスの浸透は意図的で妥協の余地なく、放置すればどこまでも拡大し続ける。ところが初代皇帝の詔による門戸開放の国際的約束を止めることが出来ない。我が国には祖法はうごかすべからずという法の原理があるからだ。いずれ我が国を解体吸収することが彼の国の秘密戦略であるに違いない」
文明の浸透は軍事的政治的進出に匹敵する影響があるとハーンは思った。
このところ帝国は異文明のいいとこ取りに成功し、いつの間にか空前の素晴らしい繁栄を迎えている。
一般の人々は国の経済は大成功し、何の問題も無いと思っていた。
統治原理など一般人の関心事ではなかった。
どっちの原理だろうと採用して繁栄している国はいっぱいあるから心配いらない、と思っていた。
だがハーンには繁栄が不安定な土台の上に築かれた危ういものであり、その先に国家の崩壊・滅亡が見えていた。
大戦争の後は文明が変貌する。
文明の流入するすさまじい勢いを止められるのは戦争だけだと彼は思った。
実は目の前の繁栄には分かりにくい別の危機が埋もれていた。
それは帝国を長期的に袋小路に押し込んでゆく可能性が有った。
一般に、複雑な現代経済社会と独裁政権は相性が悪い。
しかし先祖の確立した統治機構を信頼するハーンは気づいていなかった。
いずれにしても将来に危機感を持つことは妥当だった。
ハーンはここ上都の地をこよなく愛していた。
仮宮殿はそのあたりで一番見晴らしのいい高台にある。
宮殿としては小規模で暫定的なものだが各所に気が遣われた設計になっており、夏の一時的滞在には十分使えた。
季節外れの頃には暴風のような厳しい気候に耐えるようにうずくまっていたが今は花の季節、離宮の周辺には赤、白、黄色など色とりどりの花が低いながらも思いっきり咲いていた。
最上階のベランダから見える風景は地平線まで平坦で、背丈の低い草原が続いていた。
じっと見ていると全世界は自分より下にいる、自分は世界の主になったという駆け出したいような高揚感が自然に湧き上がってくる。
馬を使えばここから遠からぬ丘陵地帯に湿地、洞窟や小川もあり、変化に富んでいた。
晴れの日が多く、滅多にない悪天候といえば広大な空の一部だけ黒雲に覆われ黒いカーテンのような驟雨)が遠く見えるくらいであった。
絶え間なく涼しい風が吹いてハーンと丞相バヤンを照らす強い日差しを和らげている。
「卿よ、この問題は戦争以外では解決出来ないと思う。このまま何もしなければ我が人生も不肖に終る」
「御意」
ハーンは即位直後から遥かなる高原を源郷とする自民族の古き良き伝統の復活を唱えていた。
復古主義というほど過激ではなかった。
しかし征服王朝であるこの国の支配体制及び文明が二重構造の脆弱さを持ち、そこに大きく体制の異なる異質な文明が流入してくれば危ういであろうことは丞相にもわかった。
文明とは人間にとって第二の自然である、ハーンはそう考えていた。
多くの宮廷人にその感覚はなかった。
〝文明? 何それ〟というくらいだった。
皆空前の繁栄に違和感を持たず大いに娯楽を楽しみ、しっかり蓄財に励み、そして仕事もした。
国体の安定を保つというならば国を情報閉鎖し国民の自由を奪い強固な専制によって締め付けるという方法もあるだろう。
二人はその策を採らなかった。
そのやり方は滅ぼした前の独裁共和国のやり方だったからだ。
ある程度言論の自由もあったのだ。
「ところで陛下、戦略は如何に?」
「以前からこれしかないと思っておった」
「ヤドリバチ作戦と焼畑作戦でございますか? 私の記憶ではまだ完成度が不十分、例えば我が国とA国は核兵器による相互確証破壊(MAD)の関係になっていることをどう解決するか、とか」
「それを回避する策を朕は見出した」
丞相バヤンの表情に驚きが走った。
内心慎重さを期待していたのだが皇帝は本気だ。
バヤンが控えめに言った効果は無かった。
「MADでは個別の戦略兵器の配置まで相手国と協議することがあります。精密な計算と長期の交渉を伴いますが、それを超えるとは?」
「朕の策は今までの計算の前提を変えてしまう」
これだけではどういうことか判らなかったが丞相は気を取り直してさらに聞いた。
「核攻撃は占領地にしばらく人の入れない強い放射能地帯を作ってしまうのでは?」
「最初の数日間は大火災もあるだろう。しかし都市の上空で核爆発した場合、その災いの大部分は爆発衝撃波による破壊と熱線と一次放射線という一瞬のものだ。塵の大部分は希釈され、残留放射能は二週間ほどで減衰し人の入れるレベルになる。部分的に強く残っている場合は放射能を消す驚くべき装置があり、マルコが提供できるという。核兵器は実際には使えない兵器であるという者がいる。我々の戦いは反証となるであろう」
名将であり長年の友である丞相バヤンであったが皇帝の考えを必ずしも理解できたわけではない。
しかし満腔の忠誠心を寄せる皇帝は既に決断している。
大方針は決まった。
もはや異を唱える気はさらさら無かった。
丞相バヤンは外国との本格的な戦争よりも国内の不穏分子の動きが気になっていた。
マルコという異星人は海東のジパング国に何かの用で長期滞在していると聞いている。
異星の商人の言うこと、というのがバヤンの心に引っかかりを残した。
ところで海東のあの国は、これまで他国に勝手に付けられた名前をそのまま海外表記にしていたが国によってバラバラだった。
それで歴史ある〝ジパング〟を内外共通の正式国名とした。
するとすぐにザ行の発音が苦手な地方が文句を言ったので急遽〝デパング〟でもよいとされた。
離宮に戻ってきた単騎はハーンの皇女だった。
しばらく後に皇女は生地の薄い夏服に着替えて窓辺に現れた。
女性的な曲線がくっきり見え、歩くと裾が翻り玉のような肌がチラチラ見えた。
青春期の女性らしい危うい儚げな清楚さの中に覗く大胆な色気に官人たちはそっと袖で顔を覆った。
姿勢の良さは女性ながら武人らしい力を示していた。
大柄な彼女は大昔のアイギアルムの再来と言われる美貌の武人だが、昔のその人とは違い心優しい人であった。
彼女がわざわざ早朝から地平線の彼方に採りに行ったのはミヤマオダマキに似たこの辺りでは珍しい、美しい紫色の可憐なたたずまいの花だった。
父に送る誕生日花である。
「おお、なんとそなたもこの花を」
「お父様。草の乳液にはお気を付けられて」
「ああ、昔を思い出す。そなたの亡き母から結婚前にこの花を贈られたとき、今と同じ言葉を聞いた。そなたにもいつか良き相手が地平線の向こうからやってくるであろう」
と言いながらハーンは昔の思い出に浸った。
皇女は凛とした眉の下の優しい眼で遠い地平線を眺め微笑んだ。
目を細めて娘を見ていたハーンは人間らしい感情をその翌日から封印した。
彼はこれからの自分の決定が多くの人々に悲惨な運命をもたらすことを想った。
この世で恨まれる覚悟はできていた。
例年離宮ではハーンの誕生祝いが行われた。
その裏でごく近しい者たちと長期的展望を話し合うのが通例だった。
C国民はまだこの決断を知らなかった。
遠くに天に向かって昇る微かな土煙が見え、こちらに向かって動いていた。
ここは上都の仮離宮。C国皇帝の避暑地である。
「やはりご決断なさるので」
「このままでは結局彼らの文明に呑み込まれる。我々らしさを失いやがては独立も失うであろう。そうなってはご先祖様に申し開きできぬ」
ベランダで丞相バヤンの問いに答えていたのは帝国の皇帝である。
彼がこのことに気づいて愕然としてから既に相当な年月が過ぎていた。
その間の長期にわたる検討と準備は終わっていた。
遠くを見るハーンの眼には先祖が建国した遠い古の大帝国が見えているようだった。
やがて土煙の前に単騎が走っているのが見えた。
「陛下、あれは」
「おっ、ココジンではないか。地平線から帰って来るとは……四、五時間前の夜明け頃に出ていたのだな」
C国の貴族たちは皆乗馬を好んだ。
見ていると馬は速度を上げた。
ハーンの表情がほころんだが話題はすぐ元に戻った。
「既に我が民衆はかの国の産物を好むようになりかの国への憧れを強くしている。彼の国の企業もその考え方も沁み込むように入ってきている。しかし彼の国と我が国では統治原理が相いれない。その浸透は必ず我が社会および国家に矛盾を起す。彼等のビジネスの浸透は意図的で妥協の余地なく、放置すればどこまでも拡大し続ける。ところが初代皇帝の詔による門戸開放の国際的約束を止めることが出来ない。我が国には祖法はうごかすべからずという法の原理があるからだ。いずれ我が国を解体吸収することが彼の国の秘密戦略であるに違いない」
文明の浸透は軍事的政治的進出に匹敵する影響があるとハーンは思った。
このところ帝国は異文明のいいとこ取りに成功し、いつの間にか空前の素晴らしい繁栄を迎えている。
一般の人々は国の経済は大成功し、何の問題も無いと思っていた。
統治原理など一般人の関心事ではなかった。
どっちの原理だろうと採用して繁栄している国はいっぱいあるから心配いらない、と思っていた。
だがハーンには繁栄が不安定な土台の上に築かれた危ういものであり、その先に国家の崩壊・滅亡が見えていた。
大戦争の後は文明が変貌する。
文明の流入するすさまじい勢いを止められるのは戦争だけだと彼は思った。
実は目の前の繁栄には分かりにくい別の危機が埋もれていた。
それは帝国を長期的に袋小路に押し込んでゆく可能性が有った。
一般に、複雑な現代経済社会と独裁政権は相性が悪い。
しかし先祖の確立した統治機構を信頼するハーンは気づいていなかった。
いずれにしても将来に危機感を持つことは妥当だった。
ハーンはここ上都の地をこよなく愛していた。
仮宮殿はそのあたりで一番見晴らしのいい高台にある。
宮殿としては小規模で暫定的なものだが各所に気が遣われた設計になっており、夏の一時的滞在には十分使えた。
季節外れの頃には暴風のような厳しい気候に耐えるようにうずくまっていたが今は花の季節、離宮の周辺には赤、白、黄色など色とりどりの花が低いながらも思いっきり咲いていた。
最上階のベランダから見える風景は地平線まで平坦で、背丈の低い草原が続いていた。
じっと見ていると全世界は自分より下にいる、自分は世界の主になったという駆け出したいような高揚感が自然に湧き上がってくる。
馬を使えばここから遠からぬ丘陵地帯に湿地、洞窟や小川もあり、変化に富んでいた。
晴れの日が多く、滅多にない悪天候といえば広大な空の一部だけ黒雲に覆われ黒いカーテンのような驟雨)が遠く見えるくらいであった。
絶え間なく涼しい風が吹いてハーンと丞相バヤンを照らす強い日差しを和らげている。
「卿よ、この問題は戦争以外では解決出来ないと思う。このまま何もしなければ我が人生も不肖に終る」
「御意」
ハーンは即位直後から遥かなる高原を源郷とする自民族の古き良き伝統の復活を唱えていた。
復古主義というほど過激ではなかった。
しかし征服王朝であるこの国の支配体制及び文明が二重構造の脆弱さを持ち、そこに大きく体制の異なる異質な文明が流入してくれば危ういであろうことは丞相にもわかった。
文明とは人間にとって第二の自然である、ハーンはそう考えていた。
多くの宮廷人にその感覚はなかった。
〝文明? 何それ〟というくらいだった。
皆空前の繁栄に違和感を持たず大いに娯楽を楽しみ、しっかり蓄財に励み、そして仕事もした。
国体の安定を保つというならば国を情報閉鎖し国民の自由を奪い強固な専制によって締め付けるという方法もあるだろう。
二人はその策を採らなかった。
そのやり方は滅ぼした前の独裁共和国のやり方だったからだ。
ある程度言論の自由もあったのだ。
「ところで陛下、戦略は如何に?」
「以前からこれしかないと思っておった」
「ヤドリバチ作戦と焼畑作戦でございますか? 私の記憶ではまだ完成度が不十分、例えば我が国とA国は核兵器による相互確証破壊(MAD)の関係になっていることをどう解決するか、とか」
「それを回避する策を朕は見出した」
丞相バヤンの表情に驚きが走った。
内心慎重さを期待していたのだが皇帝は本気だ。
バヤンが控えめに言った効果は無かった。
「MADでは個別の戦略兵器の配置まで相手国と協議することがあります。精密な計算と長期の交渉を伴いますが、それを超えるとは?」
「朕の策は今までの計算の前提を変えてしまう」
これだけではどういうことか判らなかったが丞相は気を取り直してさらに聞いた。
「核攻撃は占領地にしばらく人の入れない強い放射能地帯を作ってしまうのでは?」
「最初の数日間は大火災もあるだろう。しかし都市の上空で核爆発した場合、その災いの大部分は爆発衝撃波による破壊と熱線と一次放射線という一瞬のものだ。塵の大部分は希釈され、残留放射能は二週間ほどで減衰し人の入れるレベルになる。部分的に強く残っている場合は放射能を消す驚くべき装置があり、マルコが提供できるという。核兵器は実際には使えない兵器であるという者がいる。我々の戦いは反証となるであろう」
名将であり長年の友である丞相バヤンであったが皇帝の考えを必ずしも理解できたわけではない。
しかし満腔の忠誠心を寄せる皇帝は既に決断している。
大方針は決まった。
もはや異を唱える気はさらさら無かった。
丞相バヤンは外国との本格的な戦争よりも国内の不穏分子の動きが気になっていた。
マルコという異星人は海東のジパング国に何かの用で長期滞在していると聞いている。
異星の商人の言うこと、というのがバヤンの心に引っかかりを残した。
ところで海東のあの国は、これまで他国に勝手に付けられた名前をそのまま海外表記にしていたが国によってバラバラだった。
それで歴史ある〝ジパング〟を内外共通の正式国名とした。
するとすぐにザ行の発音が苦手な地方が文句を言ったので急遽〝デパング〟でもよいとされた。
離宮に戻ってきた単騎はハーンの皇女だった。
しばらく後に皇女は生地の薄い夏服に着替えて窓辺に現れた。
女性的な曲線がくっきり見え、歩くと裾が翻り玉のような肌がチラチラ見えた。
青春期の女性らしい危うい儚げな清楚さの中に覗く大胆な色気に官人たちはそっと袖で顔を覆った。
姿勢の良さは女性ながら武人らしい力を示していた。
大柄な彼女は大昔のアイギアルムの再来と言われる美貌の武人だが、昔のその人とは違い心優しい人であった。
彼女がわざわざ早朝から地平線の彼方に採りに行ったのはミヤマオダマキに似たこの辺りでは珍しい、美しい紫色の可憐なたたずまいの花だった。
父に送る誕生日花である。
「おお、なんとそなたもこの花を」
「お父様。草の乳液にはお気を付けられて」
「ああ、昔を思い出す。そなたの亡き母から結婚前にこの花を贈られたとき、今と同じ言葉を聞いた。そなたにもいつか良き相手が地平線の向こうからやってくるであろう」
と言いながらハーンは昔の思い出に浸った。
皇女は凛とした眉の下の優しい眼で遠い地平線を眺め微笑んだ。
目を細めて娘を見ていたハーンは人間らしい感情をその翌日から封印した。
彼はこれからの自分の決定が多くの人々に悲惨な運命をもたらすことを想った。
この世で恨まれる覚悟はできていた。
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