まひびとがたり

パン治郎

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謡舞寮、誕生(むかしがたり) その2

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 十と幾年か前――永現の乱が終結した。
 内裏の一部を焼くほどの大きな戦は、京の都を恐怖に陥れた。
 家々は打ち壊され、焼失し、大路にはいくつもの死体が積み重なった。そのため疫病も蔓延し、都のあちこちに陰気が漂っていた。
 弟皇子派に勝利した兄皇子派の公卿や、主だった雲上人たちは、主のいない内裏にて三ヵ月ぶりに王者議定おうじゃぎじょうを開く。
 王者議定――時の帝を選出する会議のことである。
 嫡子(正式な後継者)がいない場合や、あまりに幼い場合は、密に話し合ってふさわしい帝を決める。
 治天の君である帝は、日ノ本における大樹であり国家の背骨だった。
 先代の帝が病で急死したために開かれた最初の王者議定では、二人の皇子を支持する派閥で物別れに終わり、それが永現の乱へと発展したのである。
 そして二度目の王者議定。むろん話し合いなど形式だけであり、戦の勝者である兄皇子が即位した。それが今の帝である。
 帝は京の都の復興に務めた。同時に弟皇子派の粛清をおこない、戦で先陣を切って貢献した西国武士の棟梁・御堂晴隆を近衛大将としてそばに置き、政権の強化を進めた。

 そして、半年が過ぎた――。

 愛宕山のふもとの村に、春の芽吹きとともに双子の旅芸人が訪れた。
 一人は巧みに笛を吹く少年。
 もう一人は華麗な舞を差す少女。
 少女の舞はとても美しく、見る者すべての心を魅了した。天女の舞と人々は口々に噂し、瞬く間に近隣の村々で評判になった。
 そんなある日、愛宕山で狩りをしていた若武者がいた。
 その若武者は十五歳で元服し、わずか三年で弓上手と名を轟かせ、この日も巨大な猪を仕留めて帰るところであった。
 その道すがら、樹上であやしい人影を見かけた。何やら少女が太い枝に足をかけ、上に向かって必死に腕を伸ばしている。
「あの……何をしているのかな?」
「えっ? ああ、これは――どうしても放っておけなくて」
 少女の手には山鳥の雛がいた。察するところ、巣から落ちた雛を帰してやろうとしているらしい。
 若武者は馬から降り、木に登った。枝に乗って少女から雛を受け取ると、そっと巣に帰してやる。
 少女はすぐそばでその様子を見つめていた。
 若武者が先に木から降りて、少女が続く。その途中、少女は足を滑らせ枝から落下してしまった。若武者はとっさに真下に走り、少女を受け止めた。
「大丈夫ですか?」
 少女はゆっくりと状況を見渡し、若武者の腕の中にいることに気付いた。
「……まぁ、これは失礼を。急いで降りますね」
 と、言いながら少女はゆるりとした動作で実真から降りる。
「命を助けていただき、ありがとうございます。私の名は浮世――流しの舞人をしております。あなた様は? さてはお武家様……ですね?」
 若武者は大きな馬に乗り、麻の狩衣をまとい、弓を携えた己の姿を見る。
「……そのようだ」
 浮世は手を合わせてにっこりほほ笑む。美しい――には違いない。
「まあ、正解ですか。ではお名前は? ええと……そうね、何だかツナが付きそうなお顔。わかった、信綱様でしょう? いや、家綱? それとも正綱?」
「いやどれも違うが。実真だが……」
「実真様! 惜しい。ところで、ここはどこですか?」
 浮世はきょろきょろとあたりを見回す。実真は不思議な少女と出会ってしまったと呆れ半分、興味半分の心地だった。
「浮世! またフラフラと一人で」
 そこに駆け寄ってくる一人の少年。
「あ、来世」
 来世と呼ばれた少年は、浮世とよく似た美しい顔立ちだった。来世は実真と浮世の間に割って入り、背中に浮世を隠す。腰の短刀を抜いてサッと構えた。
「何だお前は、浮世に何をした」
「あのね、来世。この方は」
 実真は馬から降りた。
「名乗り遅れた。私の名は水野実真――帝にお仕えする武士だ」
 これが三人の出会いだった。

         ※

 実真は狩りと称して愛宕山にたびたび赴くようになった。
 浮世に会いに、馬を走らせ、手土産を持って。
 浮世と来世は愛宕山のふもとの村を拠点に、近隣の村々を巡っていた。
「二人だけで旅をするのは大変ではないのか?」
 実真と浮世は渓流の大きな岩の上に並んで腰かけている。
「大変……とは?」
「ふつう流しの芸人は一座で旅をするのだろう? その若さで兄妹二人きり。頼る者もない。山には鬼も出るだろう」
「たしかに。でも来世がいるので。強いんですよ、とっても」
「しかし、たった一人では」
「逃げますよ。獣道を通って、洞穴に隠れて、時には沼に潜ってね」
「そ、そうか……やはり大変だ」
「自由であるためには、そのぐらいどうってことありません。私たちがいた旅の一座は自由ではありませんでしたから」
「そうなのか。でも、ううむ、心配ではあるな」
「ふふ、それにね、私いま、とても楽しいんです。音に乗って舞うのがこれほど楽しいなんて知らなかった……。どんな場所でも、どんな人の前でも、風になれるんです」
「風に……?」
「ええ、風です」
 その時、背後の繁みから来世が現れた。
「ここにいたのか。毎回探すのも面倒なんだぞ」
 来世は実真に鋭い一瞥を投げる。
「お武家さん、そろそろ行かなくていいのか? 狩りに来たんだろ?」
「ああ、そうだな。武士ともあろう者が手ぶらで帰るわけにもいくまい。それではまた会おう――浮世、来世」
「ええ、また――」
「ふん」
 実真の背中が木々の向こうに消えると、来世は浮世に言った。
「あの男に関わるのはよせ」
「どうして? とても良い方よ」
「だろうな。だから自由じゃなくなる」
 浮世は黙って来世を見つめ、それから首をかしげた。
「……ん?」
「わからないのか。俺たちは二人だけでいいんだ。他の誰もいらない。親だって俺たちには必要なかっただろ」
「ええ……そうね」
「わかったら舞の支度をしろ。行くぞ」
 何かに焦っているような来世の背中を浮世はジッと見つめていた。

          ※

 盛夏の日差しを避けて、実真と浮世は渓流で釣り糸を垂らした。
 涼風が斜めに吹き下りて、繁った緑で枝を重たくした木々が揺れ、波のような音を響かせる。遠い遠い残響が耳の奥を撫でた。
「このように穏やかな日々は久しぶりだ」
 釣り糸が風を孕んでゆるやかな曲線を描いていた。
「戦がお嫌いなのですね」
 浮世の言葉に、実真は笑った。
「ははは、私は武士だ。戦は本分。好きも嫌いもないさ」
「そう? 戦が嫌いな武士がいてもいいでしょう?」
 実真は口角を下げる。釣り糸がピンと張り、岩魚が釣れた。これで実真の釣果は三匹。浮世はまだない。
「そうだな……私は戦が嫌いだ」
「じゃあ何がお好き? 狩り?」
「狩りは仕留めた獲物を喰らう。だから好きでもないが嫌いでもない。釣りも同じだな。でも、戦はわからぬ。相手を一人多く殺しても、殺さなくても、何も変わらない。変わらなかった」
 実真が釣竿を引くと、針が川底に引っかかる。強く引っ張ると糸が切れてしまった。針は川下に流された。
「ああ、これはいかん」
 それを見て浮世は笑った。実真も困ったように笑う。
「浮世はまだ一匹も釣れていないな?」
「ええ、当然です。だってこんな針なんですよ?」
 浮世は釣竿を引いて見せた。釣り糸の先にはまっすぐの針が結ばれていた。
「それどころか、先ほどから一度も糸を浸していません。お気づきになりませんでした?」
「いや……まったく。でも、何故?」
「聞いたことがあるのです。大昔、万里の国にそういう仙人がいたと。とても面白いと思って真似してみました」
「釣れないのに?」
「そこがいいんです。だって動けなくなるでしょう? 一匹釣れればあと一匹。全然釣れなくてもせめて一匹。そのうちお尻が岩にくっついてしまう。だったら最初から釣ろうとしなければいい。いつでも立ち上がれますから」
 そう言って、浮世は釣竿を手放して立ち上がった。
 見上げる実真の顔が少し曇る。
「しかし、誰かが釣らなければ、飢えてしまう」
「そうですね。私は甘えています。きっと戯言でしょう。でも――」
 浮世は実真のすぐ隣に座った。肩が触れ合う距離で。
「こうしておそばに寄り添うことが出来る。おいでなさい、実真様」
 浮世は自らの太ももをぽんぽんと叩く。
 実真は照れて少し躊躇した後、釣竿を手放した。上体を倒して顔を預ける。浮世の手がやさしく実真の髪を撫でた。
「私は……歌や舞のほうが好きだ」
「そうでしょうね」
「わかるのか?」
「私の舞をご覧になる時の目が、まるでわらべのようでしたから」
「童か。もう、よい大人なのだがな。だが、悪くない」
 風が吹いた。浮世の前髪がゆっくりと流れる。
「私も歌と舞は好きです。まるで翼を得たような心地ですから」
「風になれると言ったな」
「ええ、心が軽やかになって、風になります。日ノ本のどこでも、いいえ、もっと広い海の向こうへだって行ける気がするんです」
「まるで迦陵頻かりょうびんだ」
「……か? 何です?」
迦陵頻伽かりょうびんが。極楽に棲む生き物さ。上半身が人間で、下半身は鳥。もちろん大きな翼を持っている。とても澄んだ声で歌い、華麗に飛んで舞うそうだ。その美しさは天女も遠く及ばないという」
「まあ……奇怪な」
「ははは! 奇怪か。そうだな。たしかに奇怪だ。だが、自由だ。きっと浮世は舞っている時、迦陵頻伽になっているのだろうな」
 実真は真上にある浮世の顔をまっすぐ見つめた。そっと手を伸ばしてその頬を包むように触れた。
「もう一つ、好きな物がある」
「何でしょう?」
「浮世だ」
「ふふ、そうでしょうね」
「わかるのか? また童の目をしていたとは言うまいな」
「いいえ、違います」
「ではどうして」
「私も、実真様が好きだから――」
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