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第4章

夢語りの少女

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あの日、港の風は重かった。晴れているのに、まるで空そのものが、何か言いたいことを押し殺しているかのように、空気は濃く、沈黙していた。

「ねえ、あれって見える?」

そう声をかけてきたのは、少女だった。結芽よりも少し年下に見えるが、どこか大人びた眼をしていた。那覇港の南桟橋、立入禁止の標識の前で立ち尽くす結芽に、まるで最初から知っていたように声をかけてきた。

「光ってる、よね。水の中……深いとこ。誰も気づいてないけど」

その言葉に、結芽の心臓が跳ねた。誰も気づいていないはずの“蒼い光”。それを、この少女も見ている。

「あなたも、夢を?」

「うん。毎晩見るの。あの街、青い石、響く音……ねえ、あなたも“聞こえる”の?」

結芽はうなずいた。言葉にできないなにかが、互いの間に通い合った瞬間だった。

少女は、凛と名乗った。霧島凛。名前も、口調も、整った顔立ちも、すべてがこの空気とは不釣り合いなほど静かで研ぎ澄まされていた。蓮と合流した後も、凛はまるで“導かれてきた者”のように、言葉少なに、しかし確信に満ちた態度で語った。

「あなたたちはまだ知らない。目覚めはほんの始まり。波は拡がっているの。でも、誰もが迎えられるわけじゃない」

結芽が問い返そうとしたとき、凛は静かに結芽の手を取った。小さな手。だが触れた瞬間、強烈な眩暈が結芽を襲った。

──深海。青白い都市。石柱の間を歩く白い影たち。
──音ではない声。目を閉じて感じる、数万年前の祈り。
──そして、神殿の奥。そこに鎮座する、金色の瞳を持つ“誰か”。

見たことのない風景。聞いたことのない言葉。
それでも、どこか懐かしかった。

結芽が倒れそうになるのを、蓮が支えた。凛は手を放し、静かに言った。

「あなたが見たのは数万年前の記憶。封じられただけ。私たちは、“思い出す”ためにここに来たの」

源一郎博士の研究所に凛を連れて戻ると、博士は彼女を見るなり一瞬息を止めた。そしてぽつりとつぶやいた。

「君は?……あぁ、間違いない。覚えている者の目をしている。」

凛は、彼の問いには答えず、代わりに資料棚の一冊を手に取った。それは、博士が未解読のままにしていた戦前の民俗調査報告書だった。凛はそのページを開き、そこに記された“海の碑文”を指差した。

「この文字、意味はこう。“神は忘れぬ、波に託された記憶を”」

博士は絶句した。文字は、いまだ誰にも読めていなかった。凛はそれを“思い出した”のだという。

「私はかつて、あの都市にいた。今はこの姿だけど、魂は……あの時代を知ってる」

その言葉は、重くも、どこか自然だった。共鳴者というより、“記憶の継承者”。
博士は凛をそう呼び始めた。

凛の登場をきっかけに、結芽と蓮の中にも次第に“映像”のような記憶の断片が現れ始めた。
ムーと呼ばれる大陸と、その都市の記憶。
白い都市、螺旋の神殿、そしてそこに暮らしていた人々の姿。だが、それとともに胸を締め付ける“喪失感”もあった。

「私たちは、一度それを失った。だから今度こそ、迎え直さなきゃならないの」

凛の言葉に、結芽は思う。これは単なる偶然じゃない。
夢は導きであり、記憶は鍵だ。

海の底から響いてくる囁きは、ますます明瞭になっていた。
蒼い光は、日に日に強くなっている。

博士の研究では、共鳴域の拡大とともに、地磁気のゆらぎが局所的に拡大していることが確認された。そして興味深いことに、YAP遺伝子やミトコンドリア遺伝子に微細な共通性を持つ者たちに、共鳴感受が集中している。

「遺伝子だけじゃない。これは“心の記憶”の問題だ。文明を継ぐ意志を持つかどうか、それが鍵だ」

そう語る博士の背後で、スクリーンには今まさに再測定された沖縄本島から、太平洋側の海底地図が表示された。

その中央に──
明らかに“造形された構造体”と思しき、螺旋の形状が浮かび上がっていた。

それは、凛が夢の中で何度も歩いた“記憶の回廊”と、寸分違わぬものだった。

「次に“目覚め”が来たとき……きっと、封印は開く」

凛はそう言い残して、夜の街に消えた。

彼女が消えたあとも、結芽の心にはその声が残っていた。

──忘れないで。思い出して。
──ムーは、あなたたちの“故郷”だった。
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