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アーヴィン家での生活

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「ねえ、あなた。なんでこんなところで死にそうになってるの?」
「——……?」

 不思議そうな顔で覗き込む少女。

 全身は傷だらけ、もう死を待つだけの身体なのは自分がよくわかっていた。
 降り注ぐ雨が、流れ出る血を滲ませる。

 身体は言うことを聞かず、感覚はほぼない。

 兄弟に虐げられ、家族に見捨てられ、囮にされ、そしてこんな地獄の底で死を待つだけの存在。

 心にあるのは捨てられたという深い絶望。
 生きる希望などなく、ただ闇に身を任せたかった。その方が楽だと思っていた。

 そんな暗く落ちた闇の中で、その金髪の少女はまさに光のようだった。

「——ねえ、私の護衛として、お家に来ない?」

 それが、すべての始まりだった。

◇ ◆ ◇

「——きて……」
「ん…………」
「起きて……ねえ、起きて、レクス!」

 呼ばれて、パッと目を開く。
 暖かな布団にくるまり、身体をさする振動で目が覚める。
 見えるのはあの雨の空ではなく、豪華な模様をした天井だ。

「夢……か」

 出会った頃の夢を見ていた。
 リーゼに助けられた時の、あの日の夢を。

 あの時、俺の身体は確実に死を待っていた。
 それが、あの瞳で――。

「夢か……じゃないよ! もう朝だよ!」

 ベッドに上半身を埋め、両手で必死に俺の体をゆすっていたのは、俺の命を助けた張本人である金髪美少女、リーゼリア・アーヴィン——通称リーゼだ。

「リーゼ……」

 リーゼは頬を膨らませ、こちらをじとーっと見つめている。

 あの日から、俺はリーゼの家にお世話になっていた。
 アーヴィン家は由緒正しい伯爵家であり、リーゼはその長女。

 大きな屋敷に住み、その中には多くの侍女やお抱えの護衛騎士、庭師、料理人などが居る典型的な貴族だ。

 その伯爵家の長女とはいえただの小さい少女の言葉をご両親が聞くなんて、しかも子供一人を家で養うという話だ、本来通るはずがない。

 ——はずなのだが、リーゼの提案は割とあっさりと受け入れられた。

 もちろん、リーゼの父であるローデウスさんの、リーゼと同年代の護衛を手元で育てたいという思惑もあるのだろうが、それよりも、受け入れた理由はリーゼのにあった。

 リーゼは“二十年に一人の魔術の天才”であると同時に、“”所有者でもあるのだ。

 ——魔眼。
 それは、魔力の操作を必要としない、それ自体が魔術を帯びた神秘の瞳。

 魔術師には稀に、そういった魔眼を所有して生まれてくる存在が居る。
 魔術師なら誰もが欲しがる代物だ。

 天才×希少。
 その存在自体が、既に価値を持っている。それがリーゼという少女だ。

 そんな国宝級のリーゼのお願いなら、よっぽどのことでない限りお父さんも無下には出来ないという訳だ。

 そんなこんなで、今こうやってリーゼに叩き起こされる日々を送っている。

 俺は、ふああ……と欠伸をしながら、窓の外を見る。

「もう朝……いや、朝って……おい、待てリーゼ」

 俺は外の様子を見て、異変に気が付く。
 空は青白く、太陽はまだ地平線のすぐ下で縮こまっていることを物語っている。

「まだ外は暗いじゃないか! 日も登ってない……」

 なんて早起きなんだ……。

 すると、リーゼはニヒヒとイタズラな笑みを浮かべる。

「今の時間なら、屋敷の中で鬼ごっこしても怒られないよ!」
「なるほどね…………って、はあ!?」

 俺は思わず少し大きめの叫び声を上げてしまい、慌てて口を押える。

 でた、リーゼのお転婆の発動だ。

 先日、リーゼのわがままに付き合った鬼ごっこで、侍女のビビアンにしっかりと怒られたばかりなのだ。

 リーゼはとにかくお転婆だった。
 貴族、それも伯爵の娘だというのに、ドレスや宝石には興味がなく、泥だらけになって遊んだり、虫を拾って観察したり、イタズラしたり、そういったことに興味を持っていた。

 これだけのお転婆娘だ、俺はリーゼの制御係としての仕事も期待されているのだろう。……というか、遊び相手か。

「別に朝早ければいいってもんじゃないだろ……。むしろみんな寝てるんだから起こしちゃうだろ。また怒られるぞ」
「うぅ……」

 正論に、リーゼは悔しそうに頬を膨らませる。

 そしてお転婆と同時に、ちゃんと理解力があり、誠実で、そして優しい。

 だからこそ、みんなリーゼが好きなのだ。

「けどお……」
「はあ。そんな遊びたいなら、中庭に行こうよ。あそこでなら走り回ってもそこまでお怒られないさ」
「本当? やったー! 行こう行こう!」

 嬉しそうに跳ねるリーゼに、思わず俺も頬が緩む。

 そうして俺たちは身支度を済ませ、まだほとんど誰も起きていない屋敷から飛び出し、庭で遊ぶ。

 こんな朝から子供だけで遊んでいるのも何だか怒られそうだが、すでに起きている侍女や夜警の騎士が、微笑ましそうに俺たちを見て笑っている。

 ここでは、誰もがリーゼを娘のように可愛がっている。天才だからと、忌避したり嫉妬することなく。

 ここはあの村とは違って、天国のようだ。

 そうしてリーゼの相手をして遊び、時にはそっちへ行ったらダメだとか、それは駄目だとか、手綱を握りながら楽しんだ。

 朝から服を汚して! と軽く侍女のビビアンに怒られたのはいうまでもない。

◇ ◇ ◇

「調子はどうだ、レクス」

 金髪をオールバックに整えた、精悍な男――リーゼの父であるローデウスさんが、木剣で素振りをしている俺の元へとやってくる。

「ローデウスさん」

 俺は木剣を下ろし、腰のベルトに通すと改めてローデウスさんに向き直る。

「調子は悪くはないと思います」
「ふむ、剣術か。聞くに、お前は剣術に関してはなかなか見所があるらしいじゃないか」
「ですかね?」

 あぁ、とローデウスさんは頷く。

「精進しろよ、護衛としてな」
「はい、がんばります」
「……お前が我が屋敷に来てから三ヶ月か。どうだ、ここの生活は」
「楽しいです。良くしてもらってますし」

 ふむ、とローデウスさんは顎髭を撫でる。

「……して、あー、リーゼの方はどうだ?」
「リーゼは今日も絶好調ですよ。今朝も、ビビアンさんに怒られました」

 その言葉に、ローデウスさんはクックックと笑う。

「まったくあいつは。……そうか、あの子は天才だ、なんでも出来てしまう。だからこそ、この先きっと踏み外すこともあるだろう。だが、お前が上手くあの子を制御してやってくれ。こっちは友達としてな」

 そう言って、ローデウスさんは俺の肩をポンと叩く。

「期待してるぞ」
「はい」

 ローデウスさんは口角を上げふっと笑うと、踵を返しそのまま屋敷の中へと戻っていった。

 ここには、生活があって、恩人がいる。
 ここでなら。いや、ここでこそ、俺の力を有効活用するべきなのだ。

 ローデウスさんが俺に求めているのはきっと、同年代としてリーゼを一人にしないことだ。
 天才ゆえの孤独。痛いほど俺も理解している。 

 リーゼなら、このまま成長すれば大抵のことなら自分の身は自分で守れるだろう。

 だが……魔術は奥深い。
 世の中にはより悪意に満ちて、より強力な脅威がある。

 その時、リーゼを守れるだけの力をつけておく必要がある。そのために、俺のこの才能はあるはずだ。

 魔術、剣術、体術の習得に、知識や思考力の強化……やることは沢山ある。
 力を付けなくては。今よりも、もっと。

 そして、陰からリーゼを守るのだ。俺になら、それが出来る。

 去り行くローデウスさんの背中を見つめながら、俺はそう決意を新たにする。

 その決意を胸に、俺はまた剣術の稽古へと戻った。
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