天翼の抵抗者(レジスタンス)

鳴門悠

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第一章

第1話(1) 契約

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 第二次エルサレム防衛戦から何年もの時が過ぎた。
 スオウは十三歳になる年の七月、ミラノの近郊に設置されている、抵天軍第一管区兵学校に入学した。


 そして月日は流れ、第二次エルサレム防衛戦から十年が経った、新暦一五二年九月。スオウは兵学校の最高学年、四年生となった。
「……本日、以前から予告していたように、君たちは自身の相棒となり、これからともに戦場を駆けることになる悪魔との契約を行う」
 前期が始まって二日が経った日、スオウたち普通科志望の学生二五〇人を広場に集め、教官が言った。
「知っての通り、悪魔との契約は、自身にも周囲にも危険を及ぼす可能性がある。くれぐれも、今まで学んできたことを忘れず、事を進めるように……ただし」
 教官はそこでひと呼吸置き、再び話し始める。
「ないとは思うが、もし、万が一にでも暴走すれば、私があの世に送ってやる。気をつけろよ」
 教官は剣に手をかけ、そう脅しをかけた。その瞬間、広場に、今まで気配を消して隠れていたのであろう、他の教官たち数名が警戒態勢で現れた。
「おっかねぇ……いや、まあ当たり前なんだが……」
 一人の学生が、整列した状態で呟いた。
「よし。わかったら、先頭から十人ずつ付いて来い。その後ろの者は、また呼びに来るまで待機だ」
 教官はそう言うと後ろを向いて歩き出す。五列横隊の形で整列していた学生たちは、指示に従い、一列目と二列目の十人がそれに付いて行き、広場に設置された地下に続く扉に入っていった。

「なあスオウ、ずっと訊いていいか迷ってたんだが……」
 待機中、スオウの隣にいた学生……スオウとは割と仲の良い、リッカルド・アヴァティが話しかけてきた。
「なんだ、改まって」
 スオウはリッカルドに、話の続きを促す。
「お前の、その、『アマミヤ』ってのはもしかして、第二次エルサレム防衛戦の……」
「ああ、姉さんの話か? こっちヨーロッパに来たときも散々訊かれたが、本当に有名なんだな……」
 リッカルドが言い切る前に、スオウが反応する。
 リッカルドはそれを聞き、再び話し始めた。
「俺の父さんがあのときエルサレムにいてさ。そのときに、お前の姉さんに助けられたらしいんだ」
「へぇ……お前の父さんは、なんでまたエルサレムに?」
 スオウは質問する。
「俺の家、ちょっとした商家なんだよ。それで、交易のためにエルサレムに行ってたんだが……」
「運悪く天使の襲撃に遭遇した、と」
 リッカルドが濁らせた結論を、スオウが補完した。
「そういうことだな……で、俺はその話がきっかけで抵天軍に入ろうと思ったわけだ」
 リッカルドはそう話を締めた。

「ところで、お前はどうして抵天軍に?」
 今度はリッカルドが質問する番であった。
「そうだな……最大の理由は、姉さんだ」
 スオウはそこで間を置いた。
「……姉さんはまだ生きているかもしれないって聞いて、『それなら自分が見つける』って思ったのが最初だ」
「あー、お前の姉さん、行方不明って話だからな……応援するぜ。何かあったら言ってくれよ」
 スオウの言葉を聞き、リッカルドはそう言って、スオウの肩を叩いた。
「ああ、ありがとう、リック」
 スオウはそう返答した。
 
 そうこうしているうちに、三十分近くが経過した。
「次の十人、付いて来い」
 最初の十人が全員契約を終えて広場に戻ってくると、教官がそう指示を出した。
 今度はスオウやリッカルドたちの番であった。


 スオウたち十人は、教官に先導されて地下に向かう階段を降りる。
 そこは薄暗く、空気は冷たく湿っていた。
 階段を降りる靴音が響く。
「この奥だ」
 数十段の階段を降りた後、教官は重厚な扉の前に立ち、学生たちに向き直って言った。
「一列になって入ってこい」
 教官はそう指示すると、扉を開けて中に入っていった。
 十人の学生たちはそれに従い、教官の後を追った。

 扉の奥は広くて一層暗い、円柱状の空間だった。そして、その床には壁に沿って五つの魔法円が描かれている。
 部屋の中心には一際大きな魔法円が描かれていた。
「前の五人はそれぞれ外側の魔法円に入れ。残りの五人は中心で待機だ」
 教官は再びそう指示を出す。
 学生たちは黙ったまま、その指示通りに動く。

 スオウとリッカルド、そしてあと三人の学生が、外側の魔法円に入った。
「教官、この魔法円、何も刻まれていませんが……」
 一人の学生がそう発言する。
「そうだな……それに関しては、私たちからは『四の五の言わずにやれ』としか言えない。私たちも、仕組みはよくわからんのでな……」
 教官は頭をかいて返答した。
「……わかっているだろうが、くれぐれもその円から出るんじゃないぞ。そいつは結界の役割も果たすからな」
 続けて教官は言った。
 学生たちは頷く。
 そして外側にいる五人は、ほぼ同時に制服のポケットから、白い正八面体のついたペンダントを取り出した。
 このペンダントは、召喚した悪魔を地上に留めておくためのものだ。ここに悪魔を格納し、そして宿天武装に宿らせるのである。
「それでは、それぞれのタイミングで始めてくれ」
 教官は五人に対し、言った。

 まず動き始めたのはスオウ、そしてそれに次いでリッカルドであった。
 スオウはペンダントの紐を右手に巻きつけて腕を前に突き出し、それをぶら下げるように持つ。
 そして左手で小瓶を取り出すと、その中に入っている赤い液体……スオウの血を魔法円に流した。
「――我が魂を礎とし、我が血を捧げて請う」
 それに続けて、スオウは召喚の呪文を詠唱し始める。
「悪魔よ来たれ。汝が姿を地に現したまえ。我は汝の力を求める者なり」
 魔法円が赤とも白とも思える光を放ち、空中に浮かび上がる。
「我が身、我が命を汝に預く。我は汝に名を与え具現し、万象を穿つ剣と為す」
 その魔法円に、ひとりでに文字が刻まれ始める。ヘブライ文字にも見える文字だ。
 スオウは語調を強めていく。
「汝、我に力を与うならば、我とここに、契を交わさん……!」
 そこで詠唱が終わる。
 次の瞬間、スオウの胸ほどの高さに浮かび上がった魔法円から光の輪が生まれ、その中心、つまりスオウの方に、勢いよく収縮し、スオウの体に吸収された。
 そして、スオウの体から光が溢れ、球状に広がった。これは他の四人も同様であった。

『名……? 名などいらん……』
 まばゆい光の中、スオウの耳にそのような言葉が届く。本来この契約は、人間の契約者が悪魔に名前を付けて、その存在を地上に確立させることで終了するはずだ。しかし、スオウが呼び出した悪魔はそれを不要だと言った。つまり――。
『オレの名は、。悪魔アザゼルだ』
 いわゆるというものである。あまりに有名であるために、既に存在が確立された悪魔のことを指して、抵天軍内で使われる言葉だ。
 そのような悪魔は、滅多に召喚に応じない。それが普通であったのだが……何が起こったのか、スオウはかの堕天使、アザゼルを呼び出してしまった。
「アザ、ゼル……? あの、アザゼルか……⁉」
『……そうだな。きっとそのアザゼルだろう』
 球状の光になっているアザゼルはスオウの言葉を肯定する。
 この場合、呼び出された側が召喚者を契約者と認めなければ契約は完了しない。
『人間、お前は何故、オレの力を求める』
 アザゼルがスオウに問う。
「母さんを殺した天使たちを殺して、そして姉さんを探し出すためだ……!」
 スオウはリッカルドに話した理由に加え、話していない理由も伝えた。その声には熱がこもっていた。
『……なるほど。つまり大部分は復讐か』
 アザゼルはその言葉を、一言にそう要約した。
『復讐心に駆られた人間に、オレの全力は貸せない』
 そしてアザゼルはきっぱりと言い切った。
「ッ……⁉」
『オレを呼び出すことができた点は認めてやろう。お前は確かに、オレの契約者だ』
 アザゼルはスオウを契約者として認め、スオウが持つペンダントに入っていった。見ると、ペンダントは血のように赤くなっていた。
 スオウの、ペンダントを持つ手に力がこめられる。
「なんなんだよ……!」
 光が収まり、再び暗くなった部屋の片隅で、スオウは低く、強く呟いた。
――オレを認めさせてみろ。つまりはそういうことだ。
 ペンダントの中のアザゼルが言った。
 突然頭の中に声が響いたことで、スオウは一瞬驚き、体が跳ねた。が、すぐに平静を取り戻す。
「アマミヤ、終わったか?」
「はい」
 教官の質問に答え、部屋を見回すと、スオウはどうやら三番目だったようだ。
 先に契約を終えた二人の手には、の正八面体のついたペンダントが握られていた。
「な……!? アマミヤ、そのペンダントを少し、貸してくれ」
 スオウのペンダントを見た教官が、狼狽した声で言う。
「は、はい」
「…………これは……! アマミヤ、後で教官室に来い。これは一旦私が預かる」
 教官はそう告げると、助教にその場を任せて出ていった。
「教官、どうしたんだろうな?」
 先に終わっていた二人のうちの一人が言った。
「さあ……」
 スオウは首をひねって応える。
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