天翼の抵抗者(レジスタンス)

鳴門悠

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第一章

第2話 復活

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 スオウは一日安静にしたら、翌日から課業に復帰した。
「お、スオウ、復活か!」
 彼が、壁が半壊した講義室に入ると、リッカルドがいち早くそれを見つけて言った。
「おう。悪かったな、心配かけて」
「いやいや、気にすんなよ」
 スオウの言葉にそう返答しながら、リッカルドはスオウの肩を叩いた。

「っと……ああ、スオウ。もう体は大丈夫なのかい?」
 外の片付けをしていたのか、割れた窓から入ってきたヴィクトールが、リッカルドに続いて尋ねる。
「ああ。後で三人にも言ってくるよ」
 スオウの班は、スオウ、ヴィクトールと、ナターリヤ、ベルトラン、ヴィルヘルムで所属する小隊(ここで言うのは学級のようなもの)が違う。スオウの言った三人とは、残りの三人のことである。
「早いほうがいいんじゃないかな。昨日は一日中ナターシャの落ち着きがなかったから……相当心配してるんだろうね」
「あのナターシャがねぇ……まあ、クールなやつだけど、情に厚そうではあるよな」
 スオウの言葉はなんだか的はずれな気がするけど……ヴィクトールはふと思ったその言葉を飲み込んだ。曰く、「面白そうだったから」だそうだ。

 兵学校では、襲撃の翌日に死者の追悼と、諸々の後処理を行ってから、その次の日には、壊れた校舎の復旧もそこそこに、通常の課業が再開されていた。
 そして、あの襲撃は何だったのかと思わせるほど平和に日々が過ぎていった。四年生が行っていた野外訓練も、全く招集がかからなくなった。兵学校周辺での天使の出現がパタリと止んだのである。

 そうしてまた一日が終わった。
 全ての課業を終えた学生たちが、それぞれの寮に戻っていく。
「なんだか平和な一日だったな……」
 スオウは本館の廊下を歩きながらそう呟く。
――血みどろの一日よりはマシだろ。
 アザゼルがそう言って反応した。
「まあ、確かにそうだな。その通りだ……しかし、なんでこんなパッタリ天使が出てこなくなったんだろうな?」
――それは多分、オレたちも原因の一端だな。あんだけ暴れたんだ、奴らも警戒するんだろう。
 スオウの独り言のような問いに、アザゼルがそう返答する。
「なるほど、それもそうか……しかし、ナターシャたちにはちょっと申し訳なかったな」
 スオウはふと、今日の昼休みのことを思い出す。


スーニカスオウ……!」
 自身がつけた愛称を叫びながら、広場の端に座り全身で風を感じていたスオウのもとに走ってくるナターリア。
「あ、ああ、ナターシャ。どうしたんだ?」
 スオウはその声に気付き、パッと目を開け、ナターリアを見て言った。
「『どうしたんだ?』じゃない……もう、あんな無茶はしないで……!」
 ナターリアはスオウの肩を掴み、しっかりと目を見て言った。
「それは……お前らに心配をかけさせたのは反省してる。ごめん」
 スオウは一瞬身じろぎをしたが、すぐに姿勢を正して謝った。
「まったくだぜ、スオウ」
「そうだな。ナターシャの焦燥感に当てられるこっちの身にもなってくれ……」
 ナターリアから遅れること約一分。ベルトランとヴィルヘルムがやってきて、半ば苦笑しながら言った。
「う、申し訳ない……」
 スオウはまた謝罪する。
「まあ、スオウが元気ならそれでいい。気にすることはないさ」
 ヴィルヘルムがスオウの背中を叩いて言った。

「……そういえばスーニカ、宿天武装はどうなったの?」
 それから少しして、ナターリアが話題を転換した。
「ああ、あれは流石に、修理どころか作り直しだってさ。納品までは一ヶ月近くかかるらしい」
 先日の襲撃の際、スオウの宿天武装はボロボロだった。半分ほどに折れたブレードはささくれ、内部機構も滅茶苦茶……特に、悪魔から供給されるエネルギーを増幅・転換・伝達する機構は跡形もなくなっていた(スオウが技官から聞いた話では)。
――……まあ、あのリミッターで半分以上が削られたとはいえ、オレアザゼルが全力でエネルギーを流した結果だな。今後は自重しよう。
 アザゼルはその話を聞き、そう言った。
 つまり、宿天武装がアザゼルの力に耐えられなかったのである。
「ちょっと待ってくれ、俺たちが使ってるのって兵卒・下士官用の大量生産品だろ?」
 ベルトランが確認するように尋ねた。
「そうだな。F48式だ」
 その問いに、ヴィルヘルムが答える。
「そうだよな。それなら、まだ学校にいくつかあるんじゃないのか?」
「あー……俺も技官から聞かされただけなんだが、どうもそうはいかないらしい」
 今度はスオウがベルトランの質問に答えた。スオウは話を続ける。
「俺の契約悪魔がアザゼルってことは、もはやみんな知ってるらしいが、今回の件、大量生産品を使ってそのエネルギーに耐えられなかったからってことで、色々と強化してくれるらしい……これで伝わってるか?」
「ああ、なんとなくは……つまり、お前専用にチューンアップしてくれるってことか」
 スオウの説明に、ベルトランは頷き、要約した。
「そうそう、そういうことだ」
「お前がいつも持ってた、あのF38式は使えないのか?」
 うなずいたスオウに、ヴィルヘルムがそう尋ねた。「F38式」とは、新暦一三八年に採用された宿天武装のことで……つまりは、第二次エルサレム防衛戦のあと、スオウがカイから受け取った、ハルカの持っていた物だ。
「それは無理だ。数年前にオーバーホールはしてもらったけど、なぜかエネルギー伝達機関が何をしても動かなかったらしい。まるで、何者かが封印でも施したかのようにな」
「うーむ、それはそれで気になるところだが……つまり、しばらく天使が現れてもスオウは出られないということだな?」
 ヴィルヘルムが腕を組んで首を傾げたあと、スオウに向き直って確認した。
「そういうことになる。申し訳ない」
「いやなに、お前が気にすることじゃない」
 ヴィルヘルムは微笑んで手を振った。
「こっちは私たちに任せてくれていいから、スーニカは心配しないで」
 ナターリアはニコッと笑って言った。


 そしてスオウの意識は現在に戻る。どうやら、回想の間に寮舎の部屋に着いたようだ。
「ただいま」
 スオウは扉を開け、部屋に入る。
「おかえり、スオウ」
 それを、彼のルームメイト、エドモン・プラドンが出迎えた。
「悪いが、ちょっと確認したいことがあるから騒がしくするかもしれないんだが、いいか?」
「ああ、うん。気にしないでいいよ」
 スオウはエドモンの返答を聞いてから、部屋の奥に進むと、ベッドの隣の棚に立て掛けてあった細長い袋を掴んで持ち上げ、口を開けた。
 そして彼はそこから一本の剣を取り出す。例のF38式、ハルカの宿天武装だ。鞘と柄に傷がついていることを除けば、比較的綺麗な状態である。

 スオウはその剣を抜く。
「……宿れ、アザゼル」
 スオウは剣を構えて静かに言った。しかし、彼のペンダントも宿天武装も、ピクリとも動かない。
――……ダメだな。これは封印どうこうの話じゃない。誰かが……それこそ前の使用者が、内部構造をめちゃくちゃにしたんだ。
 アザゼルは唸りながら呟いた。
「『内部構造をめちゃくちゃ』……技官がバラして修理したはずだろ? それなのに、そんな話は聞いたことがない。どういうことだ……?」
――そういうことじゃない。物理的にめちゃくちゃなんじゃなくて、こう、なんだ、呪いの類いでもないし……「魔術的に」って言うのが一番合ってるか……つまり、組み込まれてる術式がしっちゃかめっちゃかにされてるような、気がする。
 アザゼルの言葉は詰まりがちだった。悪魔と人間は感覚が違うために、わかりやすい説明に四苦八苦しているようだ。
――オレは呪いは得意だが、魔法だの魔術だのはフワッとしたことしか言えない。シェムハザにでも訊けばわかるかもしれんが……まあ難しいだろう。
 アザゼルはかつて共に堕天した天使の名を上げた。が、彼の言うとおり、それを呼び出すのは至難の業であろう。前述の通り、アザゼルの例がまれなのだ。
「シェムハザって、えっと……人間に魔術を教えたっていうあれか」
――そうだな。オレを呼び出した要領で呼び出せるか?
 スオウが記憶をたどって反応すると、アザゼルは冗談混じりといった声で言った。
「無理に決まってるだろ……お前も偶然呼び出せただけなんだから」
――ははは、わかってるわかってる。
 アザゼルは笑いながらそう言った。

「スオウ、確認したいことは終わった?」
 しばらくすると、外に出ていたらしいエドモンが袋を持って部屋に戻ってきた。
「夕飯、貰ってきたから食べよう」
 エドモンはその袋を持ち上げてそう言った。
「ああ、俺の分まで悪いな。ありがとう」
 スオウは剣を鞘に納め、そのまま棚に立て掛けてから言う。
 本来、兵学校の食事は食堂でするのであるが、先日の襲撃の際にほぼ全壊し、その修復が終わるまで、朝、昼、晩の三食が配給されることになっていた。エドモンはそれを受け取りに行っていたのである。

「……ところで、確認したいことって何だったの?」
 ほとんど食べ終えた頃、エドモンが思い出したように尋ねた。
「ああ、あれF38式が動かないか確かめたかったんだ」
 スオウは棚に立て掛けられた剣を指差して返答する。
「あれって、修理したけど動かないって言われたやつだっけ」
 エドモンがその剣に視線を向けて尋ねる。
「そうそう。こいつアザゼルでも無理なのか試してみたんだが、どうも駄目だった」
 スオウは腕を組んで少し考えると、「あっ」と言ってエドモンを見た。
「工兵科なら、何かわからないか?」
 ハンガーに掛けられたエドモンの制服の兵科章は茶色……つまり工兵科である。スオウはそれを思い出した。
「あのねぇスオウ、確かに僕たち工兵科はそっち方面の整備なんかもするけど、技官がわからないことは僕たちにもわからないよ」
 エドモンは首を横に振って言った。
「だよなぁ……訊いてみただけだ」
 スオウは後片付けをしながらそう言った。


 結局のところ、スオウの新しい宿天武装が届くまで、一度しか天使は現れなかった。それでも大きな問題ではあるのだが、スオウとしては気が楽だった。
「アマミヤ、お前の宿天武装が届いたから取りに来い」
 週に一度設けられた休日、教官がスオウにそう告げる。

 スオウはその約五分後に教官室を訪ねた。
「失礼します、スオウ・アマミヤ、荷物の受領に参りました!」
 スオウはそう言うと、部屋の扉を開けて中に入った。
「来たな、アマミヤ」
 教官がスオウの方に視線を向けて呼びかけた。
「こんにちは、スオウ・アマミヤ君」
 その後ろから、一人の男性が顔を出し、スオウに挨拶した。
「教官、その人は?」
 スオウは質問を投げかける。
「ああ、お前の宿天武装を届けてくれた、ベルリン天使研のシュタイベルト技官だ」
 教官はその質問に答える。
 天使研……正式名称「天使研究所」は抵天軍の組織の一つで、各管区に一つずつ置かれている。名前の通り天使の研究を行うのが主任務であるが、このように宿天武装の開発や製造、修復も行っている。
「主席技官からテストしてこいと言われましてね。ちょっとお時間いただきますよ」
「ああ、はい。わかりました」
 シュタイベルトが言うと、スオウはうなずいた。

 スオウとシュタイベルト、教官の三人は白兵戦訓練場に移動した。
 シュタイベルトが何やら機材の準備をする。それが終わると、スオウに向かって言った。
「……では、始めてくれ」
 スオウは黙ってうなずく。そして剣……宿天武装F48式改を抜き、構える。それは別段変わったことはない、普通の宿天武装と同じ見た目だった。
「――宿れ、アザゼル……!」
 スオウがそう唱えると、彼の周囲を取り巻くように風が吹いた。
「出力安定を確認……スオウ君、出力はまだ上げられるかい?」
 シュタイベルトが計器を見ながら言う。
「アザゼル、行けるか?」
――了解。一気に行くぞ。
 スオウが呟くように尋ねると、アザゼルはそれに答えた。
「おお……! 良いよ、出力はまだ安定してる……!」
 計器の針は一気に振れて安定している。
「ぐっ……」
 スオウは小さく呻く。
――スオウ、お前の体に流れているエネルギーの感じだと、そろそろお前が限界だ。
 アザゼルがそう警告した。
「……そろそろスオウ君も厳しいみたいだね……体に流れるエネルギーが乱れ始めた」
 計器を凝視していたシュタイベルトも、アザゼルと同じことを言う。
「それで、意識を保っているということは……」
 腕を組んでいた教官がそれを解き、発言する。
「性能は、大幅に向上しているね」
 シュタイベルトが、嬉しそうに笑ってその続きを補った。
「……よし、実験終了! スオウ君、宿天武装を止めてくれ!」
 シュタイベルトは続けてそう叫ぶ。
 スオウはすぐに宿天武装の中にいるアザゼルを戻し、剣を納めた。
「はあ、はあ……ッ」
 スオウは息が切れかかっていた。
「アマミヤ、体は大丈夫か?」
 思わず膝をついたスオウに、教官が駆け寄って尋ねる。
「はい。この前ほどでは……ッ」
 スオウは差し出された教官の腕を掴んで立ち上がった。
――なるほど、確かにこれは良い。前回より少し手加減したが、その調子なら問題なく戦えるだろう。
 アザゼルはそう、感想を述べた。

「……それじゃあ、私はこれで失礼します」
 しばらくの後、機材を片付けたシュタイベルトはそう告げて去っていった。


「あっ、スオウ、新しい宿天武装が届いたって聞いたんだけど……」
 F40式改を預けたあと、寮に戻る道中に、スオウはヴィクトールに出会った。
「ああ。さっき受け取って、ロッカーに入れてきた」
「これで、スオウも完全復帰だね」
「おう。運良く天使は一回しか来なかったとはいえ、穴開けちまってたわけだからな……」
「気にしなくてもいいのに……まあとりあえず、今後ともよろしく、スオウ」
 ヴィクトールはスオウに右手を差し出す。
「ああ、もちろんだ」
 スオウはその手を掴み、握手をした。

 翌日、スオウは他の班員にも同じことを報告した。
「待ってたぜ、スオウ!」
「これで元通りだな、班長」
「良かった……」
 ベルトラン、ヴィルヘルム、ナターリアがそれぞれ反応を返す。


 それからまた一ヶ月近くが経過した。つまりもう五月、九月に始まり六月に終わる兵学校の一年で言えば、そろそろ四年生は「卒業」という言葉が聞こえ始める頃だ。
 それまで、今までになく天使が現れなかったのである。野外での実戦訓練の代替として訓練カリキュラムが急遽組まれたが、それでもやはり経験不足と言わざるを得ない状態だった。

 しかしそんなある日、状況が動いた――突如として、兵学校の警報がけたたましく鳴ったのである。五月半ば、深夜のことだった。
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