天翼の抵抗者(レジスタンス)

鳴門悠

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第一章

第12話 帰投

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 エーリッヒの言った通り、その日の昼過ぎ、具体的に言えば十四時前にはケルンから来た車両がベルリンに到着した。
 ベルリン天使研究所にその車両が到着する前に、スオウとエルヴィンの二人はエーリッヒと共に車寄せに出る。言うまでもなく、出迎えのためである。

 およそ十分ほどで、一台の馬車が車寄せに停車し、車内から銀の飾緒を着けた女性の士官と、少し遅れて金の飾緒を着けた男性の士官が出てきた。
 スオウとエルヴィンは揃って男性……カイ・リートミュラー中佐に向かって敬礼の姿勢を取る。
「二人とも、ご苦労さん」
 カイは二人に答礼するとそう言って労う。
「それと、エーリッヒもな」
 そしてカイはエーリッヒの顔を見てそう言い、微笑んだ。
「兄さんこそ」
 エーリッヒはカイを見ながらそう返すと、続けてもう一人の方、つまるところカイの副官であるシャルロッテ・クナウスト中尉に言葉をかけた。
「昨日ぶりですね、クナウスト中尉。お疲れさまです」
「ありがとうございます、エーリッヒさん」
 エーリッヒはシャルロッテと目を合わせて(苦笑いを含んだ)笑みを浮かべ合った後、カイに向き直ると話を切り出した。
「……さて、それじゃあ兄さん……」
「ああ。話を聞かせてもらおうか」
 エーリッヒが言おうとしたことを察したカイが食い気味に話を促すと、全員でエーリッヒの研究室に向かうことになった。


 エーリッヒはカイとシャルロッテに、先程スオウたちに話したことと同じような話をした。
「……なるほどな。大体の事情はわかった」
 話を聞いたカイは腕を組んでそう言うと、数秒ほど何かを考えてから言葉を続ける。
「それなら、その観察はでやろうか?」
 エーリッヒとスオウは互いの顔を見合うと、「やっぱりこうなった」と言いたげな視線を交わした。
 カイの言う「ウチ」というのは、紛れもなく第一遊撃大隊のことである。二人が予想した通りの展開だ。
「あー……兄さん……」
 エーリッヒは苦笑しながら言葉を漏らす。
 視線を移すと、スオウは複雑な感情が表情に出るのをこらえるが、こらえきれない様子で立っていた。「複雑な感情」の大部分を占めるのは、あまりにも想像通りの発言に対する呆れであったが。
「僕としてはその方がありがたいんだけど、本当に大丈夫なの?」
 エーリッヒはそう続けた。
「そもそもウチで保護したんだ。面倒を見る責任はあるだろ」
 カイはさも当然のように言い放つ。
 再び視線を移すと、今度はカイのそばに控えるシャルロッテが何か複雑な表情になり、スオウに至っては頭を抱えていた。エルヴィンからもまた「ははは……」と力のこもっていない笑いが漏れた。


 結局、アイリスはそのまま、カイが率いる第一遊撃大隊で保護されることになった。
「アイリスちゃん」
 別室にいたアイリスのもとにエーリッヒがやってきた。
「これを返しておくよ。遅くなってごめんね」
 エーリッヒはアイリスから預かった「鍵」を差し出す。
「ありがとう……」
 アイリスは安心したような表情でそれを受け取ると、紐の結び目を解いて首の後ろに回し、そして再び結び直した。
「何か思い出したことはあるかい?」
 様々な記憶が欠如しているらしいアイリス。それがこの「鍵」を見た瞬間に自分の物だと断定したことが引っかかっていたエーリッヒは、何か思い出したのではと思ってアイリスに尋ねる。
「うーん…………何も」
 アイリスは首をひねって記憶の隅々まで探すように思い出そうとしたが、最終的にはその首を横に振った。
「いつ、どこでその鍵を手に入れたのかも?」
「うん……ごめんなさい」
 続くエーリッヒの質問にも、コクンとうなずき、そして謝った。
「あっ、いや、それならそれで大丈夫。責めてるわけじゃないよ」
 エーリッヒは、申し訳無さそうに縮こまるアイリスを慌ててなだめる。
「……それはそれとして」
 数秒、呼吸を整えてエーリッヒが再び口を開く。
「アイリスちゃん、スオウ君たちと一緒にケルンに移ってもらってもいいかな」
 エーリッヒは尋ねるようにそう言う。
「もし嫌なら兄さんに……」
「うん。いいよ」
 アイリスはエーリッヒの言葉を遮って、首を縦に振って言った。
「……まあ、そう言うだろうなとは思ってたよ」
 エーリッヒは頭をかきながら、やっぱり……という表情で言葉を返す。彼女のスオウへの懐き具合いを見れば結果はわかりきったことだった。
「急なんだけど、今日の夕方には出発する予定だから、それまでに用意しておくことがあればしておいてほしい……とりあえず、スオウ君たちの所に行こうか」
 エーリッヒはそう言って部屋を出る。アイリスもそれを追って廊下に出た

 アイリスはエーリッヒとともにスオウの所へ向かった。と言っても、スオウはカイたちと一緒にエーリッヒの研究室にいるのだが。
「スオウ!」
 エーリッヒが扉を開けるとすぐに、アイリスは部屋に飛び込んでスオウを呼ぶ。
「おっ、本当に元気になってるな」
 すぐにスオウの近くまで走り寄ったアイリスを見て、カイが言う。
「ああ……いや、ええ、はい。元気すぎるぐらいで……ランゲンツェンで最初に見たときはもっと大人しかったんだけどな……」
 スオウがカイにそう言葉を返し、後半は独り言のようにボソボソと呟いた。
「スオウ、スオウ、あの人だれ?」
 そんなスオウの言葉はお構いなしに、アイリスはカイを指差して尋ねる。
「はは……はじめまして、俺はカイ。カイ・リートミュラー、そいつスオウの上官だ。よろしくな」
 カイは笑いながら自己紹介すると、アイリスに近寄って右手を出した。
「……よろしく」
 僅かな空白の後にアイリスはその手を取り、返答した。

「……ああ、そうだ兄さん。これ、諸々の報告書」
 カイの自己紹介の後、エーリッヒがそれなりに分厚い封筒を二つ手渡す。
「一つはリッジウェイ少将第二師団長に渡しておいてほしい……もう一つは兄さんに」
「了解。渡しておく……俺も読んでいいのかこれ」
 カイはエーリッヒの言葉の前半に返事をし、すぐに後半の内容に引っかかった。
「一応、目を通しておいてほしい」
「……わかった」
 エーリッヒの目を見て、これは何かあるらしいと察したカイは、そう言ってうなずいた。


 ケルン・ベルリン間の移動は、抵天軍が所有する馬車を使って六時間から八時間ほどかかるので、カイたちは遅くとも十六時頃にはベルリンを出発するつもりでいた。
 ベルリンに担ぎ込まれてきたアイリスが何か大きな荷物などを持っているはずもないので、彼女の出発の用意はほとんど完了している。
 スオウとエルヴィンも特に荷物を広げていたわけではないので、すぐにでも出発できる状態にあった。
 そういうわけで、カイは出発時間を現在の時刻から三十分後の、十五時半頃に決めた。

 そしてその時刻が近付いた頃、ベルリン天使研究所の車寄せに再び数人が現れた。
「それじゃあ、またな、エーリッヒ」
「うん、また。兄さん。それにスオウ君たちも」
 カイが車両のステップに足をかけながら振り返ってエーリッヒに挨拶をし、エーリッヒもカイやスオウたちに挨拶する。
「お世話になりました。また何かあればそのときは」
 カイがまず乗り込み、シャルロッテがそれに続くと、エルヴィンがそうエーリッヒに挨拶をして車に乗り込んだ。
「俺たちも行くぞ、アイリス」
「うん!」
 最後にスオウがアイリスを連れて車に乗ると、彼は振り返ってエーリッヒに簡単に挨拶した。

 そしてスオウたちを乗せた馬車は動き出し、ケルンに向けて出発した。
 ベルリンの旧市街地を抜ける頃、カイは揺れる車内でエーリッヒから預かった二つの封筒うちの一方を開け、中から数枚の報告書を取り出して読み始めた。
「………………へぇ……」
 しばらく黙って報告書を読んでいたカイが、ボソッと呟くように言う。
 報告書に書かれているおおよその内容はすでにエーリッヒから口頭で説明されているのだが、カイの口から漏れた言葉は何か新しい情報を得たような響きがあった。

 カイが反応した箇所は、アイリスが持つ「鍵」に関する記述である。
 確かに「鍵」についてエーリッヒは、あまり詳しいことは説明できていなかった。カイが後から詳しい情報を得ることになったのも無理はない。
 その記述とは、大まかに要約すると次のようなものだ。
『アイリスが持つ鍵の形をしたペンダントの材質を調べたが、およそ人類が使用する金属とは思えない硬度を持っている。鉄、銀、白金プラチナ、アルミ、クロムなど、様々な金属の可能性を探ってはみたがいずれも違う様子だった』
 さらにエーリッヒは、あくまで個人的な想像であると断った上で、もしかするとアイリスの「鍵」は天使や宿天武装の斬撃を受け止めることができるほど硬いかもしれないとも書いていた(文字が走り書きであるため、本当に個人的な、公式の記録には残さない発言である可能性が高そうだが)。

「……なあ、カイ」
「……うん? どうした」
 書類から目を上げたカイに、スオウがコソッと話しかけた。
「お前、リッジウェイ少将から怒られても知らないぞ……」
 スオウはアイリスを小さく指しながら小声で言う。彼はカイが突然勝手に、アイリスの面倒を見ると言い出したのではないかと心配したのである。
「……ははは、安心しろ。ちゃんと許可は取ってあるに決まってるだろ」
 カイは軍服の上着のポケットから一枚の紙を取り出す。
 そこには、きちんとルイス・リッジウェイ少将の名前で保護された少女アイリスを第一遊撃大隊で保護・観察するのを認める内容の文言がしっかりと書かれていた。
「スオウ。お前、俺が何の根回しもせずに行動してると思ったか?」
 カイはいたずらっぽく笑いながら続ける。そして「そんなわけ無いだろ」と言って軽くスオウの額を小突いた。
「まあ、そりゃそうか……」
 スオウは記憶にあるカイを思い出し、確かにそうだと納得する。
 カイとスオウは小さく笑いあった。


 スオウたちが乗っている車両は、第二師団が保有しているものの中では大型の部類に入る、人員輸送用の物だ。
 車体の重量もそれなりにあるので、そこまで高速で移動できるわけでもないのだが、この日は調子が良かったらしく、最終的にケルンに到着したのは二二時過ぎであった。
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