死んだ俺は、神に頼まれて世界を救うことになった

藤井 サトル

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世界を救うには・・・?

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 草原を渡る風が、背の低い草を波のように揺らしながら、ゆるやかに二人の間を通り抜けていく。乾いた草の匂いとどこか冷たさを含んだ空気が頬を撫で、外套の裾と髪先を静かに揺らした。
 視線の先――なだらかな地平の向こうには石造りの建物が密集した街が小さく横たわっている。人の営みの気配はここまで届かず、ただ遠景としてそこに在るだけだった。

 空はその街をしばらく黙って見つめ続け、やがて胸の奥に溜まっていた息を静かに吐き出した。それは覚悟とも諦めともつかない、曖昧な感情を含んだ息だった。

「……シエル」

「はい、空さん」

 呼びかけると、シエルはすぐに足を止め、振り返った。その動きに迷いはなく、まるで声がかかることを最初から予期していたかのようだった。

 淡い金色の髪が振り向く拍子に静かに揺れる。彼女は空の方を見て、案内役らしい、柔らかく穏やかな笑みを浮かべた。相手を安心させるために用意されたよく整った表情だ。
 
「この世界のことを詳しく教えてほしいんだけど。世界を救うって何をすればいいんだ?」

 率直な問いだった。
 世界を救えと言われて連れてこられた以上、最低限の事情は知っておきたい。敵がいるのか、国同士が争っているのか、それとも魔王でもいるのか――そういった『よくある話』を空は無意識のうちに想像していた。

 だが、シエルは少し困ったように視線を逸らす。

「……ごめんなさい」

 その声はひどく小さく、空間に溶けるように落ちた。言葉の端々に相手を気遣う遠慮とわずかな自責が滲んでいる。責められることを恐れつつも、誠実に謝ろうとするシエルらしい柔らかさだった。

「私が知っているのは、この世界――ノクスディアが、滅びに向かっているということだけなんです」

「……それだけ?」

「はい」

 シエルは一度、小さく息を整えた。そのまま胸の前で指先をそっと組み、まるで壊れやすい言葉を扱うかのように、視線をわずかに落とす。すぐには声を出さない。何をどう伝えるべきかを頭の中で慎重に選んでいるのが、はっきりと伝わってきた。

 やがて、意を決したように唇が動く。

「……原因や詳しい経緯までは……わからないんです」

 語尾は柔らかいがその奥には確かな重みがあった。続く言葉を言うべきかほんの一瞬だけためらう。それでも、隠すことはできないと悟ったのだろう。シエルはわずかに指に力を込め、静かに続けた。

「神様も……同じ、です」

「え」

 空の口から思わず間の抜けた声がこぼれた。自分でもなぜそんな音が出たのか分からない。ただ、それ以外に返せる言葉が見当たらなかった。

 ――神ですら、知らない?

 その一文が胸の内に重く落ちた。この世界の全てを把握しているはずの存在がその行く末を知らないという事実
 空は、思わず目を見開いたまま、シエルの顔を見つめた。

「いや、ちょっと待って。神様も知らないって……それ、どういうことなんだ?」

「……はっきりとは分からないのですが、ただ『結果』だけが、ぼんやりと見えている……そんな感じです」

 シエルは一度、静かに息を整えた。先ほどまでの慌てた様子は影を潜め、表情にはいつもの穏やかさが戻っている。だが、その奥には言葉にしづらい重みが確かに滲んでいた。
 胸の前で指先をそっと重ね視線をわずかに伏せる。慎重に言葉を選ぶようにして彼女は再び口を開いた。

「このままいけば、この世界は、確実に滅びます」

 淡々とした声だった。感情を抑えているからこそ、その断言は余計に現実味を帯びる。
 シエルは続ける。

「ですが……なぜそうなるのか。どこから歪みが生まれたのか……」

 一瞬、言葉が途切れた。迷いではない。知らないという事実をそのまま伝えるための、わずかな間だ。

「そこまでは分からないそうです」

 最後の一言はほんの少しだけ声音が低くなる。自分だけでなく、神ですら把握できていない――その事実がこの世界の危うさを何より雄弁に物語っていた。

 沈黙が落ちる。

 その隙間を縫うように草原を渡る風の音が耳に届いた。さざめく草が擦れ合い、一定のリズムで波打つ。先ほどまで気にも留めなかったはずの音が、今はやけに大きくやけに現実的に感じられる。

 この世界そのものが静かに、しかし確実に終わりへ向かっていることを風が代弁しているかのようだった。

「……つまりさ」

 ぽつりと零れたその言葉には勢いも覚悟もまだ乗っていない。

「世界を救うって言われたけど、その前に――何が起きてるのか自分たちで調べろってことだよな」

 それは、声に出してしまえば愚痴にも弱音にも聞こえてしまうような、だが心の奥ではすでに受け入れてしまっている感情だった。諦めに限りなく近い納得。何が起きているのか。なぜこの世界は滅びへ向かっているのか。どこに原因があり、どうすれば止められるのか。そのどれ一つとして最初から答えは与えられていない。問題も、原因も、解決策も――すべてが霧の中だ。

 空はそう思い、短く息を吐いた。

「……はい。私も、そう理解しています。で、でも!裏を返せば空さんの選択でこの世界の未来が変わる、ということでもあります」

「……重いなあ」

 思わず漏れた本音は自分でも驚くほど正直な言葉だった。
 肩をすくめたまま、空は苦笑交じりに小さく息を吐く。冗談めかした調子でいなければ、この重さに押し潰されてしまいそうだったから。

「まあ……やるって決めたのは俺だし。文句言っても始まらないか」

 その言葉を受けた瞬間、シエルの肩からふっと力が抜けた。こわばっていた表情がゆっくりとほどけ、張り詰めていた緊張が静かに溶けていく。淡い金色の睫毛が一度伏せられ、次に上がったときにはそこにあったのは安堵の色だった。転んだ直後の気まずさや、不安を隠そうとしていた硬さはもうない。代わりに浮かんだのは、年相応の少し照れを含んだ柔らかな微笑みだった。

 彼女は小さく息を吐き胸元に手を添える。まるで自分に言い聞かせるように無事であることを確かめる仕草だ。

「ありがとうございます、空さん」

 そして、少しだけ気持ちを切り替えるようにシエルの青い瞳が街を静かに捉えた。

「でしたら、まずはあそこへ行きましょう」

「街?」

「はい。この世界で今、何が起きているのかを知るには人のいる場所へ行くのが一番ですから」

 視線を向けた先はどこまでも穏やかに広がる草原が視界の端から端までを満たしていて、風が吹くたびに足元から柔らかな緑がまるで水面のさざ波のように連なる。
 視線を上げれば、草原は緩やかな起伏を描きながら遠くへと続き、そのなだらかな丘を越えた先――大地の向こう側にひとつの街が姿を見せていた。
 白や茶を基調とした建物が規則正しく並び街路は整えられ外壁に崩れや傷は見当たらない。立ち上る煙は生活の気配を伝えるもので遠目に見る限りその光景は平穏そのものだった。
 争いの痕跡もない。破壊された建物も焼け跡も見えない。悲鳴や混乱を想起させる要素はどこを探しても見当たらず、この世界が『滅びに向かっている』などという兆しは微塵も感じ取ることはできなかった。

 ――だからこそ、不気味でもあった。

「……だよな」

 空は小さく頷き一歩、前に踏み出す。

「まずは、話を聞かないと始まらないか」

 シエルはその隣に並び控えめな歩幅で歩き出した。

「はい。一緒に行きましょう。空さん」

 草原を踏みしめ、街へ向かって歩き出そうとしたその時、空はふと隣を歩くシエルの背中に視線を向けた。
 純白の翼。風を受けてわずかに揺れるそれは、神聖で美しく――同時にあまりにも目立つ。

「……あのさ、シエル」

「はい、空さん?」

「その羽、街の人に見られたら……さすがに目立たないか?」

 足を止めたままの問いかけにシエルは一瞬きょとんとした表情を浮かべ――次の瞬間、何かを思い出したように「あ」と小さく声を漏らした。

「そ、そうでした……!」

 少し慌てた様子で背中へと意識を向ける。
 すると、純白だった翼は羽毛の一本一本が光に溶け込むように『ふわり』と輪郭を曖昧にし始めた。
 音もなく、抵抗もなく。まるで最初からそこに存在しなかったかのように翼は綺麗に消えていく。そこに残ったのは白い装束を纏った少女の背中だけだった。

「これで大丈夫です」

 そう言ってシエルは少し照れたように微笑む。
 空はその様子を見て小さく息を吐いた。

「……よかった。正直、どう説明すればいいか悩んでた」

「ふふ。お気遣い、ありがとうございます」

 二人は改めて並び、何事もなかったかのように街へと歩みを進めた。
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