死んだ俺は、神に頼まれて世界を救うことになった

藤井 サトル

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扉の前で立ち止まるのはダメだった

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 街――ハルバートの外壁は遠目で見た印象とは比べものにならないほど巨大だった。
 草原の彼方にぼんやりと輪郭を描いていたそれは、近づくにつれて圧迫感を伴った『壁』としての存在感を露わにしていく。見上げれば首を大きく反らさなければ頂が視界に収まらないほどで、空を切り取るように聳え立っていた。

 石造りの城壁は一つ一つの石が驚くほど丁寧に積み上げられている。大きさも形も微妙に異なる石材が隙間なく噛み合うように配置され、その上から長年の風雨に晒された痕跡が濃淡のある影として刻まれていた。ところどころには金属製の補強材が打ち込まれ、壁面からせり出すように設けられた見張り台には侵入者を逃がさぬための工夫が随所に見て取れる。

 無駄のない実用的な造りでありながらそこには威圧と安心が同時に宿っていた。この街は一朝一夕で築かれたものではない。数え切れない年月と人々の生き残ろうとする意志が幾重にも積み重なって形になった――そんな重みが、城壁そのものから静かに伝わって来た。

 門をくぐった瞬間、空は思わず足を止めた。目の前の光景を脳が理解するまで身体が動くことを拒んだかのように……。

「……え」

 喉からこぼれた声は驚きと困惑が混じった、ひどく間の抜けたものだった。
 予想していた光景とあまりにも違っていたのだ。
 街は沈黙に包まれ、人々は怯えた顔でうつむき、死の影が漂っている――そんな光景を空は疑いもなく想像していた。

 だが、現実は真逆だった。

 街の中は想像以上の活気に満ちていた。石畳の通りは人の波で埋め尽くされ、肩が触れ合うほどの距離を老若男女が絶え間なく行き交っている。露店の呼び声や笑い声、子どもたちの足音が幾重にも重なり、街そのものが生き物のように脈打っていた。

 歩くたびに焼き立てのパンや香辛料、屋台の肉の匂いが風に乗って鼻腔をくすぐり、否応なく生活の温もりを感じさせる。すれ違う人々の表情は明るく、忙しさの中にも余裕と活力があり、この街では『生きること』が前向きに回っているように見えた。

 ――滅びに向かっている世界。

 その言葉から空が思い描いていたのは病と不安に支配され、声を潜めた沈んだ街だった。張り詰めた空気に包まれ、息をするだけでも重く感じる光景。

 だが、目の前に広がっているのはその想像を裏切る光景だった。恐怖も絶望も見当たらず、あるのは今日を生き、明日を信じる人々の熱気だけ。耳に届く賑わいも、鼻をくすぐる匂いも、色とりどりの人々の姿も、この世界が『滅びに向かっている』という前提とどうしても噛み合わなかった。

「……なんか、普通だな」

 その言葉に隣を歩くシエルが小さく目を瞬かせる。透き通るような青い瞳がもう一度だけ街の様子をなぞるように巡った。

「……はい。私も、想像していたより……ずっと賑やかです」

 二人は自然と顔を見合わせた。
 言葉は交わさない。だが、その沈黙だけで互いの考えが伝わっていた。
 周囲を見渡せば通りには人が溢れている。商人の張り上げる声、子どもたちの笑い声、荷車の軋む音。活気という言葉がこれ以上なく似合う光景だ。

 ――これが滅びに向かっている世界なのか?

 世界が滅びかけていると聞いていたはずなのに、ここにはその気配が欠片もない。
 意を決して近くを歩いていた中年の男に声をかける。日に焼けた肌、使い込まれた革袋を肩から下げた、ごく普通の街人だ。だからこそ、この街の日常を知っているはずだった。

「あの、すみません」

 男は足を止め、少しだけ怪訝そうに眉をひそめて振り向いた。

「ん?」

 短い返事。その声音には警戒も敵意もなく、ただ突然呼び止められた戸惑いだけがあった。

「この街……最近、何か変なこととかありませんか?」

 空は言葉を選びながら、慎重に問いかける。
 男は一瞬きょとんとした顔をし、それから空の顔をまじまじと見つめた。

「変なこと? いやあ……特には?」

 首を傾げながら、男は顎に手をやる。

「まあ、細かい揉め事ならいつも通りあるがな。盗みだの、喧嘩だの。どこの街にもある話だろ?」

「……病気とかは?」

「病気?」

 その言葉に男は一瞬だけ考え込むような仕草を見せたが、すぐに肩をすくめた。

「聞かねえなあ。少なくとも、この辺じゃ流行ってるって話はない」

 空とシエルは思わず視線を交わした。

「そう、ですか……」

 礼を言って離れようとすると、男は思い出したように言葉を付け足す。

「ああ、そうだ。何か探してるなら、ギルドに行ってみるといい」

「ギルド?」

「ハンターギルドだよ。この街じゃ一番情報が集まる場所だ。あそこなら、仕事も噂話も山ほど転がってる」

 男は親指で通りの奥を指し示した。

「初めてなら、まず間違いなく世話になる」

「ありがとうございます」

 男は軽く手を振り人混みの中へと消えていった。
 空はその背中を見送り、ため息混じりに呟く。

「……拍子抜け、だな」

「はい……」

 シエルは小さく頷き、空の隣で歩調を合わせながら説明を始めた。

「ギルドは、この世界ではとても重要な組織です。モンスター討伐や護衛、調査依頼などを仲介していて……街や国とも深く関わっています」

「……ああ、なるほど。ゲームでよくあるギルドみたいな感じか」

 空がそう言うとシエルは一瞬だけ考えるように視線を上げ、それから小さく頷いた。

「はい。概ねその認識で問題ありません。依頼という形で仕事を仲介し多くの人と情報が集まります」

 そして、少しだけ声を落とす。

「情報が集まりやすい分、危険な噂や……表に出ない問題もあそこから見えてくることが多いのです」

 賑やかな通りを進むにつれ、耳に届く音が一段と騒がしくなっていった。
 行き交う人々の足音、商人の呼び声、どこかで鳴らされる金属音。それらが混ざり合って街の中心に近づいていることを嫌でも実感させる。
 やがて視界の先に周囲の建物より一回り大きな建造物が姿を現した。建物の前には絶え間なく人が出入りしており、武器を腰に下げた者や革鎧を身に着けた者、疲れ切った表情で肩を落とす者まで、その顔ぶれは実に様々だ。

 入口に据え付けられた分厚い木製の扉は長年の使用で表面が傷だらけになっている。その上部には堂々と掲げられた一つの紋章――交差した二本の剣を模した印が刻まれていた。見慣れないはずのその光景を前にして、空は無意識のうちに息を呑む。

 ――ハンターギルドだ。

 ハルバートの通りを進むにつれて周囲を流れる人々の気配がゆっくりとしかし確実に変質していった。
 さきほどまで耳をくすぐっていた露店商の甲高い呼び声や子どもたちの無邪気な笑い声はいつの間にか背後へと押し流されていく。代わりに空の耳にまとわりつくように入り込んできたのは金属と金属が擦れ合う鈍い音だった。歩くたびに鳴る鎧のきしみ、武器が腰で揺れるたびに立てる重たい響き。

 鼻をくすぐる匂いも変わる。焼き菓子や香辛料の甘さは薄れ代わりに汗と鉄、油の混じった生臭い空気が肺の奥にまで染み込んでくる。周囲に立つ人影はいつの間にか屈強な体つきの男たちばかりになっていた。鎧に刻まれた無数の傷。刃こぼれした剣。視線を合わせれば探るような目が返ってくる。どこかで低く荒れた笑い声が弾ける。それは楽しげというより、獲物を前にした獣の唸りに近かった。

「……なんか、街の雰囲気違わない?」

 空は足を止めてゆっくりと周囲を見回しながらぽつりと呟いた。

 通りを行き交う人々の顔つきが明らかにこれまでとは違っていた。笑顔はなく、口元は引き結ばれ、鋭い目つきが辺りを警戒するように動いている。視線が合えばすぐに逸らされるか、逆に値踏みするようにじっと見返されるか、そのどちらかだった。

 身体つきも一回り、いや二回りは大きい。鍛え上げられた腕や肩が服の上からでもはっきり分かり、歩くたびに革鎧や金属の留め具が小さく音を立てる。腰には剣。背中には槍や大剣。盾を背負った者、弓を肩に掛けた者も珍しくなく、武装していない人間の方が少数派に見えるほどだった。街路に漂う空気もどこか張り詰めている。話し声は低く笑い声はなく、足音だけが石畳に乾いた響きを残していく。

「はい。この辺りからは、ギルドに出入りする方が多くなりますから」

 隣を歩くシエルが少しだけ声を落として答える。

「依頼を受ける冒険者や仕事を終えた方たちですね」

「……冒険者、か」

 空はゆっくりと自分の身体を見下ろした。

 ――まず、剣がない。
 腰を探しても、当然のように何もない。

 ――鎧もない。
 胸を軽く叩いてみても鳴るのは情けない布の音だけだ。

 いや、そもそも装備以前の問題だった。服装が完全に『普段着』なのである。
 視線を上げると周囲はどうだろうか?全身鎧の大男、刃こぼれした剣をテーブルに叩きつける女戦士、いかにも『今朝モンスターと殴り合ってきました』みたいな傷だらけの連中。

 それに対して――自分。

 武器:なし。
 防具:なし。
 自力の戦闘力:たぶんゼロ。
 存在感:逆に浮きすぎて目立つ。

「……え?」

 一瞬、現実逃避するように瞬きをしてからもう一度自分を見る。
 うん、変わらない。ちゃんと弱そうだ。

「俺、完全に浮いてない?」

 心の中で誰かが『浮いてるどころか溺れてる』と答えた気がした。
 空は思わず頬を引きつらせ場違いオーラ全開のまま、ギルドの真ん中に突っ立っていた。

「だ、大丈夫です……たぶん」

「たぶんって言ったな今」

 思わず突っ込むと、シエルは一瞬だけこちらを見て――すぐに小さく視線を逸らした。

「最初は、みなさんそうですから……」

 その言葉に空は苦笑する。

「……まあ、いきなり馴染めって言われても無理か」

 会話をしているうちに目的の建物がより近くに見えてきた。
 通りの奥に鎮座する大きな石造りの建物。正面には分厚そうな両開きの木製扉が構えられ、その上には交差した剣の紋章が掲げられている。

「あれが、ギルドか」

「はい。ハルバートのハンターギルドです」

 近づくにつれ、建物の中から低くこもった声や何かがぶつかるような音が漏れ聞こえてくる。

「……なあ、シエル」

「はい?」

「中、ちょっと騒がしくないか?」

 扉の向こうから伝わってくる空気は外の街の賑わいとは明らかに質が違っていた。

 楽しげ――ではない。
 むしろ、荒れている。

 笑い声はある。
 あるにはあるが、どれも腹の底から響くような野太い笑いでどこか喧嘩の前触れみたいな棘が混じっている。酒と汗と鉄の匂いが扉越しでもはっきり分かるほど濃い。

 空は無意識に一歩、扉から距離を取った。
 その横で、シエルは扉をじっと見上げ少しだけ困ったように眉を下げる。そして、やや自信なさそうに小さく首を傾げた。

 シエルはうーん、と曖昧に微笑んだ後、自分の記憶の中にある内容を口にした。

「えっと……本で読んだ限りでは、もっと、活気があって……その……」

 扉の向こうから、何かが叩き割れるような音と怒鳴り声が響く。
 シエルはそっと言葉を濁し、視線を逸らした。

「……にぎやか、です」

「それ、にぎやかじゃなくて修羅場だろ」

 その空のツッコミに対しては「あはは」と苦笑を浮かべ、更に続けた。

「……たぶん、ギルドって……こんな感じ……じゃないですか?」

 疑問形が多い。というか、ほぼ全部疑問形だ。

「いや、そこで不安そうになるのやめてくれる?」

 空は深くため息をつきながら問題の扉を見つめた。

「嫌な『こんな』だなそれ」

 そう言いながら、空が扉へ一歩踏み出した――その瞬間。

 バンッ!!

 爆発音のような衝撃とともに両開きの扉が内側から勢いよく跳ね上がった。

「――っ!?」

 次の瞬間、巨大な影が視界を覆う。
 鎧に身を包んだ大男がまるで投げ捨てられた荷物のように宙を舞い一直線に飛んできた。

「ちょっ――」

 避ける間もなかった。鈍い衝撃。息が詰まり、視界が一瞬で暗転する。

「ぐっ――!?」

 重い。冗談みたいに重い。
 地面に叩きつけられた空の上に大男がそのまま覆いかぶさる形で落下した。
 肺から空気が一気に押し出され、喉から変な音が漏れた。

「が、っ……!」
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