ハルホール

沢麻

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俺と嘘④

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 俺の家には夕希に出すお茶もなく、さっきスーパーで買ったペットボトルを二人で飲んだ。俺はもう眠かった。美代さんが俺を騙したまま死んで、夕希を完全に裁ち切ろうという日も眠くなるんだと思った。
 夕希は帰り際、靴を履きながら呟いた。
 「あたし、穴開けられちゃった。絶対開けさせないって思ってたのに」
 「?」
 「……心に」
 「馬鹿そりゃこっちの台詞だ」
 俺が夕希を完全に思い出にできたら、また友達に戻ろう。そう言いたかった。でも言えなかった。そんな日がくるのか、まだちょっと自信がないのだ。
 「……俊くんは、証が欲しいのかなって、あたしずっと思ってた」
 「証?」
 「穴を開けること。自分の存在や感情の証を、色んなところにつけたいのかなって思ってたんだけど、アタリだろ」
 「……」
 「でももう見知らぬ女には穴は開けないように! 開けさせてくれるドMの彼女でも作んなさい」
 「はいはい。駅まで道わかる? 気をつけて帰れよ」
 「はーい! じゃあなー変態」
 玄関前で俺たちは別れた。夕希は笑顔で手を振って去っていった。俺を心配してきてくれたのかと思ったが、結局自分がすっきりしたいだけだったということらしい。そんな、吹っ切れた笑顔だった。俺が開けたという心の穴は一瞬で塞がりそうで、悔しさと安堵が同時にこみ上げてきた。夕希の姿が見えなくなるまで、俺はそこにいた。
 「さてと、」
 俺はこれからどうしようか。とりあえず今日は寝て、明日からハローワークか。未練がましいけど、また調理師を目指してみようか。もし警察に捕まったら、正直に話すしかないな。逃げてても仕方無い。母親には……仕事が決まってから連絡するか。
 部屋に戻ろうとしたらブラックタイガーがいた。俺と目が合うと、そのまま来た道を走って引き返してしまった。どうやら俺にはもうお前は必要ないらしい。
 さよなら、ブラックタイガー。またコンビニで会うこともあるだろうが、仕事が決まればもう軽蔑の目を向けさせやしない。
 さよなら、美代さん。俺と話したことで、少しでも幸せな気持ちになれたかな。あの日、行けなくてごめんなさい。俺はどうなるかわからないけど、もし料理人になれたら俺の嘘を許してください。
 そしてさよなら、夕希。
 気付いたら俺は布団の中で泣いていた。いいんだ。思いっきり泣いて、立ち上がる。それが普通じゃないか。俺はその段階までに、二ヶ月かかっただけだ。
 俺は布団の横に散乱していた安全ピンを袋にまとめ、引き出しの奥底にしまった。
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