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第一章 北州編
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そして次の日、飽食し、充分に英気を養った兵たちに出撃の準備をさせた鄧禹と蓋延は、整列した彼らの前で本隊の切迫した状況を伝えていた。
敵の大軍を撃ち破り、さらにそのまま邯鄲攻撃に移るというその内容にどよめきが起こるが、蓋延がひと睨みすると兵たちは事情と動揺を飲み込む。
それを見た鄧禹は、兵へ自分たちの方針を告げた。
「我々は本隊には戻らず、このまま別動隊として本隊の攻撃に呼応して倪・劉の軍を討つ。これはつい先日銅馬を討つに我らが使った策だ。細かな点や状況、なにより敵兵の強さが違うが、そのあたりは私と蓋将軍がすでに検討済みである。汝らは我らの指示・命に忠実に従えばよい。先の銅馬撃破に加え、明公よりさらなる報奨をいただける好機だ。汝ら、励めよ!」
鄧禹の演説に兵たちは拳や武器を突き上げて「おお!」と鬨の声をあげた。
勝利に自信を深めている兵に自分たちのすべきことを整理させ、加えて欲望を煽り、士気も高める。鄧禹の狙いは充分に果たされた。
「開門! 出撃!」
その兵たちを見た蓋延は、城門前にいる清陽兵へ、そして自兵へ命令した。
すでに清陽城主とは挨拶は終えている。隊列を組んで城門を抜け出撃する蓋突騎兵・騎馬隊を、清陽兵たちも鬨の声をあげて送り出した。
共に戦い、勝利した間柄である。すでに彼らとも戦友だった。
そんな清陽兵の歓呼に応え終えると、蓋・両将軍は行軍速度を上げた。
鉅鹿を出発した劉秀軍本隊は、王郎の根拠地・邯鄲のある南ではなく北へ向けて進軍していた。
それは当然、倪宏と劉奉の軍が北からやってきているからである。
王郎が北州の大部分を御したといっても、すべての兵を邯鄲へ集合させたわけではない。それぞれの邑主や豪族は彼らの街や城をそのまま治めつつ、王郎の支配権を認めたというだけのことである。
劉秀の城攻めがうまくいかないのはこれが一因でもあった。彼らにしてみれば(王郎の件を置いておいても)自らの土地が攻められているのである。将や兵だけでなく民も全霊をもって協力し、防衛してくるのは当然のことだった。
王郎がこれまで自らに従うとした城へ援兵を送らなかったのは、劉秀をあなどっていたこともあろうが、そのような各城の防衛能力を高く評価していたためでもある。攻めても取れなければ兵も豊かとはいえない劉秀軍はさらに目減りし、結局は消滅してしまう。そのような期待を持っていたのかもしれない。
が、劉秀はしぶとかった。信都を発して、柏人、広阿、鉅鹿と立て続けに城を攻めつつ、なかなか消滅しない。
こうなると王郎も苦しくなる。各邑・各城が彼の支配権を認めたと言っても、それは王郎が自分たちを守ってくれることが大前提である。少なくとも攻められているのに援けも送らないとなれば、たとえ自分たちで敵を撃退したとはいえ、主に不信感を持たざるを得ない。
しかもそれが二度、三度(柏人、広阿、鉅鹿)と続けば、北州全体が王郎への不信を深め離反するのも自然な流れである。
そうなれば支配権確立が急であった王郎は、その喪失も同じくあっという間となり、滅亡してしまうだろう。
そのような事情もあって王郎は倪・劉の二将に出動を命じたのだが、邯鄲から自兵を出さなかった。
理由はあるにはある。
一つは純粋に二将が強かったからである。特に倪宏は猛将として知られており、彼であれば劉秀軍の撃破は困難でないはずだった。
二つ目は、王郎は邯鄲の直属軍の実力に自信がなかったのだ。倪宏だけでなく柏人の李育や鉅鹿の王饒も予想以上のいくさ上手ぶりを発揮しているのだが、彼自身、占い師あがりで戦闘指揮などおこなったことがない。
彼の軍師で事実上の首謀者である劉林も、劉秀に見向きもされなかった山師的な作戦を発想する男でしかない。王郎が自身の用兵に不安を持つのも当然だった。
そして三つめは、純粋に戦いが怖かったのである。前述したように王郎は戦闘経験はなく、自らが出陣することはもちろん、誰かに攻められるだけでも恐怖は消しようがなかった。
だが勝てばすべてが変わる。臣下の勝利は主君のもの。その考えは決して間違っていない。
だが倪・劉が敗れたときはどうするか。その懸念は今の王郎や劉林にはなかった。
倪宏や劉奉の本拠地がどこであったか明確ではない。しかし戦場が鉅鹿より北の南䜌だったことを考えれば、彼らのそれが北方にあったことは確かだろう。
前述したように倪宏は猛将として名高かった。ゆえに彼の軍が主力で、劉奉は補助兵だったとするのが無難だと思われる。王郎がわざわざ劉奉をつけたのは、倪宏の軍だけでは劉秀軍に兵数で及ばなかったからではないだろうか。
「正面から来る敵は私に任せてもらおう」
合流した劉奉との軍議の席で、倪宏は傲然と言い切った。そこに劉奉に対する侮りがなかったとは言えないが、やはり大部分はおのれの武に対する自信が理由である。本心を言えば自軍だけで劉秀軍を撃破し、すべての武勲を自らのものにしたいところであったが、主君である王郎の命令では仕方がない。
そもそも王郎の命令があったからこそようやく出撃できたのである。倪宏としては劉秀が鉅鹿でもたついている時点で早々に軍を発し、一撃のもとに屠ってしまいたかったのだが、王郎を主と仰ぐ限り勝手に軍を出しては命令違反、悪くすれば叛逆のそしりをまぬがれない。それでは王郎についた意味がなくなってしまう。
倪宏は自軍の強さに自信はあったが、残念ながら劉氏ではない。この時期、劉子輿を自称している王郎をはじめ、劉玄(更始帝)も「漢の再興」を大義名分として勢力拡大を図っている。倪宏が自立するならこれ以上の大義名分が必要だが、残念ながらめぼしいそれは存在しなかった。
とすれば倪宏としては功績を立て、王郎の陣営で可能な限り高みを目指す以外栄達の道がなかった。彼もまた乱世に夢を見る型の男なのである。
倪宏に居丈高に宣言され、事実上副将の地位を押しつけられた劉奉だが、口を閉ざしたまま頭を下げそれを受け入れる。
劉奉は劉姓なのだから、王郎の下につくことなく自立して奮励すればいいと思われるかもしれないが、事はそう単純な話でもない。
何事もやはり実力と時流あってのこと。更始帝が即位できたのは一定の力がある勢力の中で都合よくかつぎあげられたからであり、後に赤眉軍が拾い上げて祭り上げる劉盆子も同様である。
また王郎に代表されるように、実際は怪しくとも劉氏を自称して皇帝を名乗る者が幾人もあらわれるが、そのほとんどは実力が不足し、他の勢力に潰される結末を迎えることとなる。
勢力も持たず、時流にも乗っていない劉奉がこの時期に自立するなど自殺行為でしかない。
ゆえに劉奉が自立をもくろんでいたとしても、今は倪宏と同様できる限り功績を立てておく必要があった。仮に倪宏や他の野心家のような栄達や自立の欲望がないにしても、一定以上の地位や権力を手に入れておかなければ内部抗争で一方的に殺されてしまう恐れがある。
流動的な乱世では明日なにが奏功し、なにが災いとなるかわからない。実力を身につけ、実績を積んでおくに如くはなかった。
敵の大軍を撃ち破り、さらにそのまま邯鄲攻撃に移るというその内容にどよめきが起こるが、蓋延がひと睨みすると兵たちは事情と動揺を飲み込む。
それを見た鄧禹は、兵へ自分たちの方針を告げた。
「我々は本隊には戻らず、このまま別動隊として本隊の攻撃に呼応して倪・劉の軍を討つ。これはつい先日銅馬を討つに我らが使った策だ。細かな点や状況、なにより敵兵の強さが違うが、そのあたりは私と蓋将軍がすでに検討済みである。汝らは我らの指示・命に忠実に従えばよい。先の銅馬撃破に加え、明公よりさらなる報奨をいただける好機だ。汝ら、励めよ!」
鄧禹の演説に兵たちは拳や武器を突き上げて「おお!」と鬨の声をあげた。
勝利に自信を深めている兵に自分たちのすべきことを整理させ、加えて欲望を煽り、士気も高める。鄧禹の狙いは充分に果たされた。
「開門! 出撃!」
その兵たちを見た蓋延は、城門前にいる清陽兵へ、そして自兵へ命令した。
すでに清陽城主とは挨拶は終えている。隊列を組んで城門を抜け出撃する蓋突騎兵・騎馬隊を、清陽兵たちも鬨の声をあげて送り出した。
共に戦い、勝利した間柄である。すでに彼らとも戦友だった。
そんな清陽兵の歓呼に応え終えると、蓋・両将軍は行軍速度を上げた。
鉅鹿を出発した劉秀軍本隊は、王郎の根拠地・邯鄲のある南ではなく北へ向けて進軍していた。
それは当然、倪宏と劉奉の軍が北からやってきているからである。
王郎が北州の大部分を御したといっても、すべての兵を邯鄲へ集合させたわけではない。それぞれの邑主や豪族は彼らの街や城をそのまま治めつつ、王郎の支配権を認めたというだけのことである。
劉秀の城攻めがうまくいかないのはこれが一因でもあった。彼らにしてみれば(王郎の件を置いておいても)自らの土地が攻められているのである。将や兵だけでなく民も全霊をもって協力し、防衛してくるのは当然のことだった。
王郎がこれまで自らに従うとした城へ援兵を送らなかったのは、劉秀をあなどっていたこともあろうが、そのような各城の防衛能力を高く評価していたためでもある。攻めても取れなければ兵も豊かとはいえない劉秀軍はさらに目減りし、結局は消滅してしまう。そのような期待を持っていたのかもしれない。
が、劉秀はしぶとかった。信都を発して、柏人、広阿、鉅鹿と立て続けに城を攻めつつ、なかなか消滅しない。
こうなると王郎も苦しくなる。各邑・各城が彼の支配権を認めたと言っても、それは王郎が自分たちを守ってくれることが大前提である。少なくとも攻められているのに援けも送らないとなれば、たとえ自分たちで敵を撃退したとはいえ、主に不信感を持たざるを得ない。
しかもそれが二度、三度(柏人、広阿、鉅鹿)と続けば、北州全体が王郎への不信を深め離反するのも自然な流れである。
そうなれば支配権確立が急であった王郎は、その喪失も同じくあっという間となり、滅亡してしまうだろう。
そのような事情もあって王郎は倪・劉の二将に出動を命じたのだが、邯鄲から自兵を出さなかった。
理由はあるにはある。
一つは純粋に二将が強かったからである。特に倪宏は猛将として知られており、彼であれば劉秀軍の撃破は困難でないはずだった。
二つ目は、王郎は邯鄲の直属軍の実力に自信がなかったのだ。倪宏だけでなく柏人の李育や鉅鹿の王饒も予想以上のいくさ上手ぶりを発揮しているのだが、彼自身、占い師あがりで戦闘指揮などおこなったことがない。
彼の軍師で事実上の首謀者である劉林も、劉秀に見向きもされなかった山師的な作戦を発想する男でしかない。王郎が自身の用兵に不安を持つのも当然だった。
そして三つめは、純粋に戦いが怖かったのである。前述したように王郎は戦闘経験はなく、自らが出陣することはもちろん、誰かに攻められるだけでも恐怖は消しようがなかった。
だが勝てばすべてが変わる。臣下の勝利は主君のもの。その考えは決して間違っていない。
だが倪・劉が敗れたときはどうするか。その懸念は今の王郎や劉林にはなかった。
倪宏や劉奉の本拠地がどこであったか明確ではない。しかし戦場が鉅鹿より北の南䜌だったことを考えれば、彼らのそれが北方にあったことは確かだろう。
前述したように倪宏は猛将として名高かった。ゆえに彼の軍が主力で、劉奉は補助兵だったとするのが無難だと思われる。王郎がわざわざ劉奉をつけたのは、倪宏の軍だけでは劉秀軍に兵数で及ばなかったからではないだろうか。
「正面から来る敵は私に任せてもらおう」
合流した劉奉との軍議の席で、倪宏は傲然と言い切った。そこに劉奉に対する侮りがなかったとは言えないが、やはり大部分はおのれの武に対する自信が理由である。本心を言えば自軍だけで劉秀軍を撃破し、すべての武勲を自らのものにしたいところであったが、主君である王郎の命令では仕方がない。
そもそも王郎の命令があったからこそようやく出撃できたのである。倪宏としては劉秀が鉅鹿でもたついている時点で早々に軍を発し、一撃のもとに屠ってしまいたかったのだが、王郎を主と仰ぐ限り勝手に軍を出しては命令違反、悪くすれば叛逆のそしりをまぬがれない。それでは王郎についた意味がなくなってしまう。
倪宏は自軍の強さに自信はあったが、残念ながら劉氏ではない。この時期、劉子輿を自称している王郎をはじめ、劉玄(更始帝)も「漢の再興」を大義名分として勢力拡大を図っている。倪宏が自立するならこれ以上の大義名分が必要だが、残念ながらめぼしいそれは存在しなかった。
とすれば倪宏としては功績を立て、王郎の陣営で可能な限り高みを目指す以外栄達の道がなかった。彼もまた乱世に夢を見る型の男なのである。
倪宏に居丈高に宣言され、事実上副将の地位を押しつけられた劉奉だが、口を閉ざしたまま頭を下げそれを受け入れる。
劉奉は劉姓なのだから、王郎の下につくことなく自立して奮励すればいいと思われるかもしれないが、事はそう単純な話でもない。
何事もやはり実力と時流あってのこと。更始帝が即位できたのは一定の力がある勢力の中で都合よくかつぎあげられたからであり、後に赤眉軍が拾い上げて祭り上げる劉盆子も同様である。
また王郎に代表されるように、実際は怪しくとも劉氏を自称して皇帝を名乗る者が幾人もあらわれるが、そのほとんどは実力が不足し、他の勢力に潰される結末を迎えることとなる。
勢力も持たず、時流にも乗っていない劉奉がこの時期に自立するなど自殺行為でしかない。
ゆえに劉奉が自立をもくろんでいたとしても、今は倪宏と同様できる限り功績を立てておく必要があった。仮に倪宏や他の野心家のような栄達や自立の欲望がないにしても、一定以上の地位や権力を手に入れておかなければ内部抗争で一方的に殺されてしまう恐れがある。
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