Dear〜親愛なる貴女へ〜

芋けんぴ

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第一章

握手

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 彼の家の住所を地図アプリに打ち込む。
 どうやら此方の世界にも存在していたらしい。
 喜ぶ私達を見て、彼は少し苦笑いした。

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 第一章
  握手
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 コンビニで涼んだ後、彼が降りたというバス停まで戻ってきた。彼の家の最寄りのバス停までは、次に来るバスで行けるらしい。時刻表を確認した彼が、後20分位で来ると教えてくれた。

 停留所の椅子に並んで腰掛ける。赤い夕陽が私達に降り注ぐ。首元にじんわりと汗をかいた。

「あ、そういえば。貴方お名前は?」

 彼に話しかけようとした時、お互い名前を聞いていない事に気が付いた。家に泊めてもらうというのに名前を知らないままではいけないではないか。

「ああ、お教えしてませんでしたね……。」

 彼は少し口を噤んだ後、僅かに微笑んで言った。

「椿です。」
「椿くんかぁ。良い名前だね。」
「ありがとうございます。」

 褒めれば照れ臭そうにはにかむ。先程までの澄ました顔とは違い優しい印象を受ける。澄ました顔からは誰も寄せ付けない冷たさを感じていた。もっと笑えば良いのに。

「僕、笹倉楓です。これから宜しくお願いします。」

 楓が椿の右手を取って握手をした。楓は椿の目をじっと見つめて逸らさない。その真っ直ぐな瞳に圧倒されたからか、椿が困った様に此方を見るので思わず笑ってしまう。

「私は平野桜。これから宜しく。」

 空いている左手を取り、私も椿と握手をした。バス停で3人で握手をしている状況は側から見れば滑稽に違いない。実際、前を通った小学生達に何度も振り返って見られた。それでも辞めようとしない私と楓に、最初からされるがままの椿。何故か段々と面白くなって来て、バスが来る頃には3人でけらけらと腹を抱えて笑っていた。


「あれ?目的地に到着したって。」

 私のスマホを見ながら先導していた楓が立ち止まった。目の前には木造の古い平屋が建っている。

「椿くん、ここ?」
「いや、ここじゃないです……。」
「でも、椿さんが言ってた住所ですよ。」

 椿がスマホを覗き込む。だが、打ち込まれた住所は正しかった様だ。自分の家がこの場所にない事に椿が動揺しているのが見てとれた。

「僕の家だけじゃなく、周り一帯何もかも違うんです。お二人の家が無かったってお聞きした時から覚悟はしてたんですけど……。」
「そりゃ動揺するに決まってるよ。こんな事になって冷静で居られる訳ないじゃない。」
「そうですよ。僕だって大分落ち込みましたから。」

 椿を間に挟んで2人で慰めようとすれば、椿の顔が更に暗くなる。

「お二人共、すみません。」
「何が?」
「お二人の事泊めるって言ったのに、こんな事になってしまって、申し訳ないです。」
「大丈夫だよ。椿くんが悪い訳じゃないし。」
「でも、」
「何とかなるって。大丈夫。」

 椿の背を摩る。泣いていた訳でも無いが、こうすれば椿も落ち着くのでは無いかと思ったからだ。楓は心配そうに顔を覗き込んだ後、椿の両手をぎゅっと握った。

「これからの事、考えましょう。3人で。」

 椿は楓の目をじっと見つめ返す。それから椿は楓に微笑んで、そして、静かに泣き始めた。その姿を見て私も楓も感化されたのだろうか。3人で、声を押し殺して、ただしくしくと泣いてしまったのだった。



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