人生の時の瞬

相良武有

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第3話 フェード・イン

⑤水木は数年振りに心を昂揚させた

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 水木は急に子供たちに会いたくなった。
最後に子供たちに会ってから、もう数ヶ月、いや、それ以上経つだろう、彼は最後に子供たちに会った日をはっきりとは思い出せなかった。
街路をぶらつきながら水木は二人の息子と娘のことを考えた。
心配なのは娘も息子も同じである。が、先ずは息子の方が心配だった。息子たちは何処でどう道を踏み外すか判らない。不良共の仲間入りをするかも知れないし、薬物に手を染めるかも知れない。一獲千金を夢見て馬鹿なことを仕出かさないとも限らない。どういう落とし穴が待っているか解らない。
娘の方は、本もよく読んでいるようだし、頭も良さそうである。だが、男の毒牙に懸ればイチコロで転落の道を辿るだろう。何処でどう傷つくかも知れたものではない。
水木は急き立てられるように携帯を取り出して妻の番号をプッシュした。
呼び出し音が鳴っているのが聞こえる。一回、二回、三回・・・
あいつらは皆で何処かへ遊びに出かけているのかも知れない。近くの海岸へ海水浴に行ったのだろうか?其処でホットドッグやポップコーンやポテトチップス等の売店をまわっているのだろう、きっと。それならそれで良いのだが・・・
だが、携帯を切った後、水木は急にやり切れない孤独感に襲われた。

 そろそろ店を開け始めた酒場が在った。
その内の一軒に飛び込むと、水木は孤独感を追い払うようにカナディアン・クラブを立て続けに二杯呷った。琥珀色の熱い液体が突き刺すように胃に沁み通って来た。彼はズボンのポケットを弄ってハンカチを取り出し、汗を拭った。
バーテンは不愛想な若い男で、テレビの下でスポーツ新聞を読んでいた。水木は誰かと話したくて堪らなかった。が、話す相手は誰も居なかった。彼はもう一杯ウイスキーを呷って街路に戻った。
 ぶらぶら歩いて行くうちに、いつの間にか駅前のバスターミナルに立っている自分に気づいた。
眠たげな細い眼をした老婦人が数人、覚束ない足取りで駅の方へ歩いて行く。駅ビルの陰には派手なシャツを着てサングラスをかけた若者たち。バスターミナルや駅から出て来た連中が、待機しているタクシーに次々に乗り込んで行く。水木は道路を渡って駅のエントランスに入って行った。
行き交う人々や居並ぶ人たちの顔を見るとも無く眺めながら、彼はぶらぶらと歩き回った。
二階に上がって行くと、腰の張った大柄な女性が二人の子供を連れて途方に暮れた様子で突っ立っている姿が眼に入った。長時間列車に揺られて来たのだろう、彼女の服は皺だらけだった。彼女が小さな男の子に何か言うと、その子は身を屈めて靴の紐を結び始めた。その子が紐を結ぶ手つきは、別れた息子が靴ひもを結ぶ手つきとそっくりだった。結び終えたその子が母親の顔を見上げた時、水木は思わずウっと顔を伏せた。彼は素早く後ろを向き、泣き顔を見られないようにそのまま急いで階段を降りて、駅を飛び出した。水木は二度と背後を振り返らなかった。
 
 マンションに帰って六階の窓から外を見下ろしていると、彼の頭の中にゆっくりと「フェード・イン」と言う言葉が浮かんで、心の中に画像が次第に鮮明になって来た。
「生と死と・・・」。
水木には見え始めたのである。
そして、斎藤の言葉が再び頭に蘇えって来た。
「資料を漁りデータを読み解く机上の作業では、人間や人生の真実は摘まめないよ。小説は、街に出て風景を眺め風を感じる、人に会って人と話しその思いに触れる、そうして、喜び躍動する或は悲しみ打ち沈むその生の姿を自分の眼でしっかり捉えなければ、書けるものではない。小説は足で書くものだ、歩いて書くものだ、と俺は考えているが、な」
 十年前は忙しくてそんなことを思う暇も無かった。それどころではなかった。締め切りに追われ枚数に急き立てられて書き流していた。それが五年以上も続いた。そして、その後の五年間は、売れなくなった、仕事が来なくなった、その焦りから文章切り売りの売文屋に成り下がっていた。その間に想像力も創造力も枯渇し、自分自身もが摩耗してしまった。今一度、ものを創り出す原点に立ち返らなければならない。
 斎藤が言っていた。
「自分自身と真正面から対話しなければ駄目だぜ。例えば、何事かを見る、見ると何かを感じる、そして考える、それを文章に纏めようとする。その訓練を自分に課し続けていくことだな」
そうだ、何も感じず何も考えずただ漠然と物事を見ていたのでは駄目だ。眼と心と頭の姿勢を一変させなければ、そして、生きるとは何程の価値が有るものなのか、人間とは何なのか、人生の幸せとは何か、どういう時に人は幸せを感じるのか、さまざまなことについて自分と向き合って対話しなければならない。時代とその波の中に生きる人間の健気さと醜悪さを浮かび上がらせることが重要なのだ。
「生と死と紅の翼」
 破傷風の血清を運ぶ紅いセスナ機とそれを操縦するパイロット、東京の上空を吹きすさぶ風や眼下の海を航行する小さな漁船、嵐に巻き込まれて途中の新島へ不時着する主翼を損傷した機体、八丈島空港の近くの病院前で未だか未だかと待機する人々、そして、山裾に点在する民家からうっすらと立ち上る一条の煙、それらが「フェード・イン」して水木に見えて来た。「生と死と・・・」を見詰めてこれを越える物語を創出しなければならない!
よし、早速に八丈島へ赴いて医師や看護師や患者に会おう、離島における医療の現実と課題について直に話を聴こう、そして、空港ではパイロットの仕事や人生に就いて詳らかに取材しよう。
 水木は数年振りに心を昂揚させてベッドに入った。
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